【テーマ・こくご】



お茶を一服できたのは

ここまでお水を運んでくれたから
蛇口をひねる腕に力があったから
つまみを回せば火がついてくれたから
火がお湯を沸かしてくれたから


急須と湯呑みに出会えたから
湯呑みを口元に運ぶ手があったから
ふうふうできる肺活量があったから
受け止めるくちびるがあったから


茶葉を買うだけの小銭があったから
お店が見やすく並べてくれたから
立ち止まって買う勇気があったから
いい香りが漂っていてくれたから


茶葉を畑で育ててくれたから
そんな仕事をしてくれる人がいたから
雨と風がたくさん注いでくれたから
ぽかぽかお日さまが照らしてくれたから


地球が回って季節が巡るから
重力がしっかり地球をつかまえてくれたから
バクテリアが酸素を生んでくれたから
絶滅しながら命を繋いでくれたから





お茶を一服できたのは

朝目覚めて生きていたから
目覚めの前に眠っていたから
眠っているときも眠るその前も
いまと同じように生きていたから

今日この瞬間まで
死ぬことなく生きてきたから

いまこの瞬間を
死なずに生きていられるから




【テーマ・こくご】



ぼくのなかにぽかりと空いた穴

駅に向かう数百歩のみちのりを
ぼくを運ぶ両足の刻むリズムが

ぼくの体を駅に運びながら
ぼくの心を宙に撒き散らす


ぼくのなかにぽかりと空いた穴

それはあの日きみが抜け落ちて
できた穴だとぼくは知っている

何もかもがその穴から流れ落ちて
ぼくが二度と満たされないことも


ぼくのなかにぽかりと空いた穴

たとえきみがもう一度やってきて
この穴を埋めようとしてくれても

ぴたりとはまるはずのきみは
今のきみではないってことも



ぼくから抜け落ちたきみはいま
ぼくの心の隙間に入り込む悪魔

あのときの姿のままぼくが
記憶に閉じ込めた哀れな影

ほんとうのきみはもう二度と
ぼくのなかには戻ってこない



ぼくのなかにぽかりと空いた穴

ぼくの体の細胞がすっかり
入れ替わっていくあいだも

そのまま変わろうとしなかった
いつまでもぽっかりとしたまま



ぼくは穴の空いたこころを抱えながら
ほんとうのきみを探そうともしないで

素敵な思い出になれるはずのきみを
意地悪な悪魔のすがたに変えてまで

塞がるはずのないこころの隙間から
大切な時間をずっと逃し続けていた



ぼくのなかにぽかりと空いた穴

ふと気がつけばぼくはホームの上
すべり込む電車の巻き起こす風の

向こう側にきみの微笑みがみえた
ぼくの時間はそこで一度止まって

ふたたび動き出した時にはもう
ぽかりと空いた穴をぼくはもう









ぼくのなかにぽかりと空いた穴

世界のどこへでも繋がる入り口
ぼくのすべてがあふれる出口は

いつまでもぽかりと空いたまま
けどぼくにはもう見つからない




















【テーマ・そうさく】





子どものころ聞かされていた物語は
いま思うととても優しかった。

昔むかし、あるところに
おじいさんとおばあさんが住んでいました‥‥

昔むかしが何年何月何日なのか
あるところがいずこなのか
おじいさんが誰でおばあさんが誰なのか

ちっともわからないけれど
それでもとても優しくぼくを
物語のなかにいざなってくれた。



近頃ぼくの物語は唐突に始まる。

寝耳に水の晴天のへきれきはぼくを
いきなり物語のなかに乱暴に引きずり込み

手元の新聞が今日の日付を教えてくれても
携帯のGPSが現在位置を示してくれても
誰かがぼくの名前を呼んでくれても

いまがいつで、ここがどこで
ぼくが誰なのかわからなくなってしまう。



子どものころ、語り手は母と決まっていた。

最近の物語は語り手がいない。
語り手がいないのになぜ物語が現れるのか
ぼくには不思議でたまらない。

懐かしい母の声が
めでたしめでたしと言ってくれるのを
ぼくはいつも待っているように思うけれど

最近の物語はめでたしでは終わらない。


母の聞かせる物語が終わったあと
ぼくは時々お話の続きを考えて
すっかり興奮したり不安になったりして
眠れなくなることがよくあった。

最近の物語はぼくが勝手に考えた
その続きの物語と少し似ている。

ぼくの好きになるようで
実は全く好きにならない。




ぼくの唐突でおかしな物語を
あなたに聞かせてあげられたらいいけれど
物語のなかに引きずり込まれて
コテンパンになっているぼくが

どうやって語り手になれるというのだろう。

そんなことが出来るのだとしたら
ぼくがぼくのほかにもうひとり
どっかにいなくちゃいけなくなる。

物語の顛末を知っているぼくが
どっかにいるってことになる。

そんなぼくがいるのだとすれば
それは少なくとも今日のここのぼくじゃない。

ほら、もうわからなくなったでしょう。

いまがいつで、ここがどこで
ぼくが一体誰なのか?

百歩譲っておまけして
ぼくがあなたに話せたとしても

あなたはいつのどこの誰なのだろう?




ぼくはもう物語のなかにいるようだ。

唐突に始まってなかなか終わらない
次から次へと語り継がれて目にも止まらない

摩訶不思議な物語のなかに
なんということだろう、もう
引きずり込まれてしまったようだ。

あなたが誰でも
もしもそこにいるのならば

しばらく一緒にいてはもらえませんか。

あなたにぼくが見えなくても
ぼくにあなたが見えなくても

同じ物語を生きてくれたら

いつかどこかでこの物語も
めでたしめでたしと
優しく終わってくれるかもしれませんから。