【テーマ・りか】
なぜひとつの種子から
決まって双葉が芽吹くのでしょう
双葉の中心から
双葉を突き破るように
本葉が現れます
わたしたちはものを見るとき
必ずしも実体を見つめているのでなく
多くは実体を媒体にして
自らのものの見方を見ている気がします
見方を見るとは
物理的にややこしいですが
そこにあると信じて見ているものが
視神経を介して脳に運ばれた
単なる映像であるのかそれとも
見ずとも実在するものなのか
そういう疑問が浮かぶとき
視覚にとらえるという関わりかたが
必ずしもあるがままの実体を
受け入れているわけではないのだと
思うのです
わたしは新しい植物の若芽を
わたしの視覚にとらえながら
実際はわたしのなかの
これはあさがおだという記憶と
これは双葉という記憶と
双葉を割って芽生える本葉だという
わたしの記憶と知識を見ているのです
あさがおだと知っているから
これはあさがおに見える
ものすごく狭いものの見方をしています
けれどもそうやって
実体を通して自分のなかの
ある一定のものに照準を合わせ
あるいは知り得たものの名前に注目して
他のものと区別した見方をすることで
脳裏に映るこのみどりのものが
目の前のあさがおだと信じて
安心することが出来て
さらにあの種子から生まれた
待ち焦がれていた双葉と知って
はじめて嬉しさや喜びや
安堵を抱くことにつながります
わたしがいま見ているのは
目の前のあさがおである以前に
わたしのなかに蓄積された
感情と行いの記憶であるのです
あさがおはただ生きるだけ
わたしもまた生きるだけ
互いに生きる以外のことは
なにもしてはいないのに
狭く切り取られた見方のなかでだけ
こんなにも大きな喜びを感じられる
同時に
芽吹かなかった種子の存在に
こんなにもこころが痛む
わたしたちは
わたしたちを取り囲む
膨大な現象のなかから
視覚にとらえたものを
自分の内側の事情に照らして
狭く切り取ったなかでだけ
喜んだり悲しんだりしている気がします
しかしそれこそが
わたしのものの見方であり
わたしのなかの喜びであり
わたしのなかの痛みであり
それがあってはじめて
目の前のあさがおなのだと
思いました
そろそろ水捌けのよい
ベランダの鉢に
お引っ越ししようと思います
なぜひとつの種子から
決まって双葉が芽吹くのでしょう
双葉の中心から
双葉を突き破るように
本葉が現れます
わたしたちはものを見るとき
必ずしも実体を見つめているのでなく
多くは実体を媒体にして
自らのものの見方を見ている気がします
見方を見るとは
物理的にややこしいですが
そこにあると信じて見ているものが
視神経を介して脳に運ばれた
単なる映像であるのかそれとも
見ずとも実在するものなのか
そういう疑問が浮かぶとき
視覚にとらえるという関わりかたが
必ずしもあるがままの実体を
受け入れているわけではないのだと
思うのです
わたしは新しい植物の若芽を
わたしの視覚にとらえながら
実際はわたしのなかの
これはあさがおだという記憶と
これは双葉という記憶と
双葉を割って芽生える本葉だという
わたしの記憶と知識を見ているのです
あさがおだと知っているから
これはあさがおに見える
ものすごく狭いものの見方をしています
けれどもそうやって
実体を通して自分のなかの
ある一定のものに照準を合わせ
あるいは知り得たものの名前に注目して
他のものと区別した見方をすることで
脳裏に映るこのみどりのものが
目の前のあさがおだと信じて
安心することが出来て
さらにあの種子から生まれた
待ち焦がれていた双葉と知って
はじめて嬉しさや喜びや
安堵を抱くことにつながります
わたしがいま見ているのは
目の前のあさがおである以前に
わたしのなかに蓄積された
感情と行いの記憶であるのです
あさがおはただ生きるだけ
わたしもまた生きるだけ
互いに生きる以外のことは
なにもしてはいないのに
狭く切り取られた見方のなかでだけ
こんなにも大きな喜びを感じられる
同時に
芽吹かなかった種子の存在に
こんなにもこころが痛む
わたしたちは
わたしたちを取り囲む
膨大な現象のなかから
視覚にとらえたものを
自分の内側の事情に照らして
狭く切り取ったなかでだけ
喜んだり悲しんだりしている気がします
しかしそれこそが
わたしのものの見方であり
わたしのなかの喜びであり
わたしのなかの痛みであり
それがあってはじめて
目の前のあさがおなのだと
思いました
そろそろ水捌けのよい
ベランダの鉢に
お引っ越ししようと思います
