【テーマ・どうとく】


いまでもときどき
見た夢のことを書きたくなります

目覚めたときに
かすかにのこる夢の余韻を
何はともあれ反芻するのが
わたしの日課です

それはほとんどクセのようで
いまとなっては
夢を反芻することに
なんの目的もなく
なんの手段でもなく

ただ自分がいま
どんな世界にいたのかを
ぼんやりと振り返ることが

おもむろに目覚めたからだを
背中を伸ばしながら覚醒させる間の
習慣になっています


いまとなっては、と言うことですから
以前は少し違いました

おぞましい悪夢のときには
なぜそんな夢を見たのか

しあわせな夢のときには
なぜ目覚めてしまったのか

見た夢にどんな意味があるのか

現実に覚醒した時間を費やして
現実に覚醒すべき身体を駆使して
起きながら夢を見るかのごとく

夢に囚われることが
少し以前までわたしの
当たり前の慣習でした


夢判断や夢占いというのが
あるくらいですから
人間が自分の夢に関心を払い
夢を大事にすること自体は
ふつうのことですよね

むしろ気になる夢をないがしろにして
無理に現実から夢を閉め出すことのほうが
こころの作用としては不自然に思います

眠れば夢を見るのは
ひとの仕組みであるようですから
(これは、りか編になるかな?)

夢にまつわることを考え出すと
たくさんの思いが我先にと
あふれてくるので
なかなかうまくまとまらないのです

夢という現象があって

それを見る仕組みを思えば
理科的なアプローチですし

それの及ぼす身体への影響を思えば
体育のお勉強ですし

それの及ぼす思考への影響を思えば
社会や道徳のお勉強ですし

それを表現しようとすれば
国語や図工のお勉強ですし

夢という現象は
なんとも応用自在な
優れた教材であるわけですね


ほんとうは見た夢を分析したり
夢の意図を探ってみたり
してみたいと願っているのでしょうけど

それをするにはわたしの精神は
あまりにも未熟でありすぎて

いまはまだ
藪から棒に現れた
夢という現象を

ただ夢として受け止めて
ただ夢として反芻し
こころのどこかに留め置く

それくらいが
ちょうどよいと思っています


かつて悪夢に惑わされ
向き合うふりをして逃げ回った
その教訓をひとつだけ
活かそうとするならば

夢というのは
わたしが未だ使いこなせない身体の機能や
わたしが未だ意識できないこころの領域を

未熟なわたしが理解可能な範囲で
意識の浅い部分にある
経験や記憶を頼りにして

わたしにわかりやすく具象化された
オーダーメイドの翻訳物なのだから

どんなおぞましい悪夢であっても
どんなにしあわせな夢であっても

わずかばかりの人生経験や
わずかばかりの既得知識をもってして

意味を上塗りして満足したり
意味をねじ曲げて恐れたりするのは

愚かなことだと
いうことでしょう



いまでもときどき
見た夢のことを書きたくなります

その衝動を抑える理由もありません

だからたまには
ここで夢談義

してみようかなと
思っています