聖セバティアヌス

知りませんでした。
禁欲、清貧の誓いが、ここまで自身を苦しめていたとは、知りませんでした。

何度も言われても、
気づきませんでした。

それほど、
私にとっては、自然のことでした。

でも、正直苦しかったのですね。

ようやく、わかりました。

自分の深いところは、感じ見ずにいたところがありました。

愛だとか、神だとか言い放ちながらも、

大切なことを、
おざなりになっていました。

愛を受け取る大切さ。

与えるだけではなく、

受け取る大切さ。

これを、身に沁みて感じております。

清くありたいが為に、

苦しみを創り出していることさえ、全く気づかずに、

苦しみの最中にいる時は、

何が原因かさえも、見極められずに、

その苦しみさえも、なかったことのようにしてしまう。ふるまってしまう。

このような癖が、長年体内に、自然に蓄積されていました。

しかし、もう、ここで、

このような思い癖も、終わりにいたします。

もっともっと、軽やかに、自分に正直に生きてまいります。

正直に生きることは、何も悪いことではなく、

誰も傷つけることもない。

もし、たとえ、誰かが、傷ついたとしても、

私は、私の気持ちを優先に、正直に生きてまいります。

自分の人生ですからね。

尊い学びを、ありがとうございました。

感謝いたします。

もっと、楽に生きてまいりましょうね。


聖セバティアヌス
(2024-03-25)