『赤間神宮』(あかまじんぐう)
御祭神 安徳天皇(第八十一代)
御祭祀 八咫鏡(安徳天皇神鏡)
(水天門)
行ってきました!
まだ若干桜が残ってた
いつ見ても朱色が綺麗です。
だがしかし…安定の曇天
(後日、天気のいい日に再度行って写真を撮ったのでそれも載せています
ごっちゃですみません)
(水天門)
赤間神宮は、
第八十一代 安徳天皇を御祭神とする神宮です。
安徳天皇は、
第八十代 高倉天皇と平清盛の娘・徳子(のちの建礼門院)との間に生まれました。
どういう背景があったのかわかりませんが
なんと2歳の時に天皇に即位されています。
で、超絶端折りますが…
平宗盛とともに都落ちした安徳天皇は
瀬戸内海を流浪の末源氏軍に追われ、
下関市彦島に陣を取っていた平知盛と合流しました。
が………。
平家軍は壇ノ浦の戦いで敗れ
安徳天皇は二位の尼(現代でいう祖母・平時子・平清盛の正室)に抱かれ、三種の神器とともに壇ノ浦に入水したと言われています。
安徳天皇とともに壇ノ浦に沈んだ三種の神器は源氏の手により、
「八咫の鏡(やたのかがみ)・八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)」は引き上げられましたが、
「天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)」だけは発見されず、未だ関門海峡に沈んでいるとか…
(壇ノ浦…本州と九州を隔てる海峡・関門海峡)
入水された時安徳天皇は6歳でした。
天皇家に生まれ
戦いに巻き込まれ、
最後は入水。
私には到底真実とは受け止められない
作り話のような感覚です。
でも祀られている神宮があり
ゆかりの地も所々ある。
人々は手を合わせ
御霊を慰める。
私だけでしょうか…
ものすごく不可思議な感覚を覚えます。
(大案殿)
とにかく綺麗です
ここに安徳天皇の御霊が祀られているのかぁ
と手を合わせること数分…
ん??
なんも感じない
なんも感じない
こんなもんなのかな?
って思いながらお参りは終わりました。
本殿の左横に安徳天皇の宝物殿もありました。
中は写真撮れませんでしたが、
中央に安徳天皇の等身大の木彫像が
ありました。
安徳天皇の入水を知って悲しんだ
後鳥羽天皇が木彫像を作らせて
こちらに届けた
と書かれてありましたが、、、、
そのお顔はとても悲しげな表情でしたが
とても聡明で綺麗な顔立ちをされていました。
宝物殿の横に平家一門の墓「平家塚」があり
横には耳なし芳一像が祀ってあります。
(耳なし芳一の伝説はここ赤間神宮が舞台です!)
平家塚はいつ来ても冷ややかな空気が流れていて少し躊躇してしまう場所ですが、
今回はしっかりと手を合わせて来ました。
写真は怖くてよう撮らんです
そして下に降りてこの写真を撮った時に気づきました
えっ?
「安徳天皇阿彌陀寺陵」ってなに?
あんまりにも私無知すぎる…
無知や
ここで雨が本格的に降り始めたので
「安徳天皇阿彌陀寺陵」は次回にすることにしました。
赤間神宮に行く前にしっかり調べたと思ってたのに
こんな大きなこと見逃してたなんて
つづく〜〜