みなさん、こんばんは

いよいよ
いよいよ
来月で平成最後ですね!
私は、平成元年3月生まれなので、
平成が始まり30年、節目を迎える30歳となり
本当に色んなことが沢山あった30年だったな、と振り返らずにはいられません


平成という元号が小渕総理(当時官房長官)が
掲げた1989年、3月に私は沖縄で生まれました

5人兄弟の末っ子、長女として元気いっぱい
兄たちと両親、母方の祖父母と暮らす日々。
保育園
祖父母宅に近い所から通いました
送迎バスは、アンパンマンが書かれたアンパンマン号!今でも忘れないほど印象的
幼稚園、小学校
幼稚園と小学校は、同じ敷地内にあり兄たちと一緒に通っていました
小学4年生、10歳になった時に背中の痛みを感じはじめ、小学5年生の時。
小児がんステージⅣ(末期)
ユーイング肉腫と診断
その後、東京の国立小児病院
(現 成育医療研究センター)へ入院。
すぐに抗がん剤投与を開始しましたが、
約2ヶ月の間(お正月とクリスマス)、危篤に。
寝たきりが続いたこともあり、身体は指を動かすことも忘れていました。また、この時皮膚移植を行いました。リハビリを続け、体力が回復したタイミングで、沖縄へ帰郷。
小学6年生
沖縄の病院で検査をすると、
小児がんが消えていました。
中学1年生
入学して間も無く、2ヶ月ほどか…記憶が曖昧ですが、小児がん再発。
沖縄の琉球大学病院を経て、
成育医療研究センターへ転院し、
中学2年生
抗がん剤、放射線治療、摘出手術の後、
体力の限界と治療の限界もあり、退院。
(その間、病院内の養護学校へ通っていました)
中学2年〜3年生
沖縄へ戻り、検査をすると
治療の結果 小児がんは消えている。
そう診断されました

無事、沖縄の学校で卒業式に参加。
高校1〜3年生
定時制課程の高校へ進学たこともあり、普通科ではあったものの、生徒数は6人の日も。
私は、バレーボール部やJRC青少年赤十字部長、生徒会副会長など学生生活がいつ終わるかわからない不安を抱えながら全力で過ごしていました。
その後、早稲田大学へ進学
辛かった小学校中学校…
友人があまりいなかった学生生活を大学で取り戻したくて、勉強だけでなく友人作りにも励みました
笑。
大学卒業
沖縄で就職。
ですが、2年半経った頃に足の痛みを感じ病院へ行くと治療などの影響などによる後遺症と診断され営業として勤務していた私は事務職になることに。
社会人3年目、東京へ
事務職として働き始め、さらに3年後(平成29年)
腰に痛みが出るようになり仕事を続けることに悩み始めますが、周囲の人に支えられ今に至ります

そして昨年、3月結婚。
今は、まだ腰の痛みを抱えながら仕事や
旦那さんとの生活にと、まだまだ私自身新しいことの連続に幸せな気持ちと痛みが思うように治らなくて焦る気持ちもありますが、
今日という節目に、また気持ち新たに笑顔で前向きに、今の幸せを大切に思いながら、また私も新しい目標に向かって頑張っていきたいな〜と思うのでした



そんな今日は、お家でのんびり🏠
過ごしております

みなさんにとっても、また明日から笑顔の日々が訪れますように

桜の季節🌸となり、自宅近くも桜が咲き始めました
凄くきれいだったので、ぱしゃり。
