凶悪都市・ダルエスサラームから逃げてきたと言っても過言ではないアフリカの楽園・ザンジバル島。
この島について知ったのは、まだ最近ですが、
凄くいいところです。
これらのことを考慮すると行きたくなってしまいます
そしてストーンタウンは【世界遺産】
物価と宿代が高くつくことがバックパッカーにとってはだいぶネックですが、
それでも・・・
・安全(治安が良い)
・綺麗(インスタ映えするよ)
・多くの外国人に出会える(安全なのでアフリカ大陸を歩いている人だけでなく短期旅行の人にもたくさん出会えた)
・Wi-Fiがびゅーん
日本にいる時には聞いたことがなかったので【ザンジバル島ってどんなところ?】ということについて今日は紹介するよ〜
〜ザンジバルの歴史〜
バスコ・ダ・ガマ(ポルトガルの航海者)が1499年に訪れ、ポルトガル人が東アフリカ海岸を支配。
1832年にオマーンのスルタン(アラブ)が宮廷を建設し、産業を盛んにするが1890年にはイギリスの保護領になる。
アラブ人やスルタンに不満を募らせたアフリカ人はジョン・オケラを中心にクーデターを起こす(1964年1月12日)
1964年4月26日、ザンジバルはタンザニア連合国となる。
私はこの日、奴隷市場(Slave Market)へ行ってきました!買い手はアラブ人、商品はアフリカ人です。アラブの奴隷商人が、東アフリカ全域(タンザニアやケニアかな)からアフリカ人を捕らえて、このザンジバル島に運んだ後、市場に運ばれ、値がつけられました。
奴隷市場って非道徳すぎるでしょ!
でもこれが1873年まで続いていたんだって。
新大陸(アメリカ)へ向かうの奴隷の話(大西洋奴隷貿易)は耳にしたことがあったけど、アフリカの反対側でもこのように奴隷の歴史があったのは知りませんでした。しかも、まだよく理解できてない!この博物館もどれがアフリカンを指して、どれがアラブ人を指すのかもう一つ理解できなくて(予習しないのが悪いんだけど)、見終わった後でなんか、変な気持ちになりました。
ザンジバル島で売り捌かれたアフリカ人は、中東(イラクやイラン、クウェートやトルコ)や南アジア(インドやパキスタン)に運ばれたみたい。(東アフリカの奴隷貿易の方が大西洋のそれより700年ほど古いらしい)
アフリカ大陸の移動では、木の柵みたいなのを首に繋がれたアフリカ人の絵があったり、航海の途中では、ダウ船という船に詰め込まれるアフリカ人の絵がありました。着くまでに多くの人が亡くなったみたい。
ちなみに、日本人として初めてザンジバルに訪れたのは「からゆきさん」とよばれる売春婦で、彼女たちの営むジャパニーズバー跡があるらしい。
(私は探せなかった)
ちなみに、からゆきさんについて調べると別名が「島原族」「天草女」と九州の方から東南アジアや東アジア、アフリカと売られていたらしいのですが、島原天草といえば宗教と大きく関わるところで、それも関係あるのかな?(適当にぼやいてます)
奴隷には、貧富の差というものがあって
権力を持つ人と従う人がいて
権力には大体、宗教が関わってて
女の人はお金の代償に体を売るけど男の人は買うだけで
今私が頭の中を文字にしている間も、
奴隷があって、貧富の差があって、宗教の勧誘があって、風俗があって・・・
これが人間だと思うと人間になるのちょっと嫌になってくるんだけど。笑
(ネガティヴ発揮してきたのでこの辺でw)
(奴隷市場の跡には大聖堂がありその横には奴隷の像がありました)
そしてストーンタウンは【世界遺産】
ザンジバル島の西側にある三角形の地区を「ストーンタウン」といいます。
細い路地に迷い込んでしまえば、素敵な景色と温かい人々に出会うことができます
街並みだけでなく、ここに住む人も立派な遺産だな〜と思いました。
(まだみんな生きてるのに遺産にしてしまう失礼さ)
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歴史について
何が本当に起こったのか整理することもできてないし、考えはまとまらないしで申し訳ないんやけど、なんせ次いつWi-Fiが使えるかわからないので(今いるマラウイよく停電する)このまま公開しまーす
(とりあえず)毎日投稿中
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7〜10日程先行投稿してるので、投稿が止まったら7〜10日前に何かあったと心配してくれると嬉しいな
笑
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