ルワンダは
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「アフリカの奇跡」![キラキラ](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/088.png)
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と呼ばれています。
主な理由としては
緑豊かな国土
発展レベル
そして、23年前に起きた虐殺からの復興
ルワンダに来たからには訪れるべき場所がそこにはありました。
2つの記事
・ムランビ虐殺記念館に行った話
・キガリ虐殺記念館に行った話
にわけて今日と明日とお届けしマス。
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Murambi Genocide Memorial
(ムランビ虐殺記念館)
【ルワンダ大虐殺】
ルワンダで起きた悲劇について。
(私が理解しきれていないことと説明ヘタクソなことは大目にみてね)
ドイツの支配下だったルワンダはドイツが戦争に負けた後、ベルギーの支配下に。
この地域には、フツ族(農耕民族)、ツチ族、トゥワ族(狩猟民族)という民族が住んできました。それをベルギー政府が顔の特徴などに(無理矢理)違いをつけ、ものさしで測り、明確に差をつけました。
何の違いもなかったひとつのルワンダ人をベルギーはわけたんです。(国内で対立させとく方が宗主国にとっては都合がいいのでしょう)
ベルギーはツチ族を支援するような形をとりました。
そして、フツ族(多数派)とツチ族(少数派)で対立させました。
その対立が最も過激化した1994年。
同じ国の人が、それが隣の家に住む人でも、それが同じ家に住んでいた家族でも、殺すという悲劇に変わりました。
殺された人の数は100万人ともいわれています。
【ムランビ(ニャマガべ)虐殺記念館】
そこはかつて学校でした。
凄く新しい綺麗な建物です。
ここに来ればフランス軍が助けてくれるらしい
という市長の言葉のは嘘で、ここに死に物狂いで逃げて来た人は騙されて殺されました。
その数、4万から5万人。
学校のあるニャマガべというところはフツ族住む山々に囲まれていてこの場所が大虐殺には好まれたみたい。
水道パイプは切断され、外に水を汲みに行ったものは殺される。どんな思いで助けを待っていたかと思うと胸が痛みます。
虐殺までの歴史や、ここで起きた虐殺の話が中の部屋に展示されていました。
衝撃の白い遺体がこの学校にはありました。
頭蓋骨や足の骨が展示してあるのではなく、皮膚や髪の毛まで白い化学製品によって保管されています。
wikiに写真が載ってると思う→ムランビ虐殺記念館
聞くところによると年に2回、10人ほどのスタッフで、その化学製品を死体に手で塗っているそう。
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白い遺体として展示されているもの意外のお骨は納骨箱に入れられ、ここに眠っていました。
《行き方》
首都Kigali(キガリ)からバスで3時間ほど南下したところにあるHuye(フィエ)へ。
Huye Bus Stationから「ニャマガべ行き」のバスで約1時間、Nyamagabe Bus Stationへ。
そこからバイタクで15分くらい
《入場料》
入場料はありませんが寄付ボックスがあります
室内での写真撮影は禁止なので写真はありませんが、屋外はオッケーらしい
【ルワンダを知れば知るほど感じる奇跡】
23歳以上の人は、虐殺を見ていて
虐殺した人も、この社会に生きています。
もしかしたら、そこで掃除しているおばちゃんも・・・なんて考えると、ゾッとしますよね。
虐殺からの復興には、
「あれは悪夢だった」
という言葉(捉え方)が大きく人々を動かしたそう
これは後で聞いたお話。
子どもを殺した人がその両親(キリスト教徒)の元に養子に入ったこともあるらしい。
どんだけ〜って思いました。
なんでそんなことができるのか私には理解できないし、いいことかどうかもわからない。
ここの人単純だなって思ったのが正直なところ
政府が殺せといえば殺し、あれは悪夢だといえば殺した人と遺族が共存する。
ここの人が凄いとかじゃなくて、怖いです。
私の想像できる域を越えている。
この世に殺人を犯した人は何人いるんだろう
それは想像するより多いんだろうなって思いました。
*******
自分の生まれる3年前、考えられないようなことが起きていました。
正直、なんで国連や十分発展していた国がこの悲劇を止められなかったのかもひとつの疑問。
現地の人に教えてもらったのは
実際今でも今でもツチとフツは見分けることができるってこと
そりゃたった23年前見えてたんだからルーツ探ればわかってしまうよね。(ここでは顔の特徴などを無視して)
でも今のルワンダに恨みはない、リベンジもない。
We don't look back, JUST LOOK FORWARD!
(僕等は後ろは振り向かない、ただ前を向くだけ)
と話すルワンダ人、あー、奇跡だなって思いました。
明日は首都キガリの虐殺記念館を訪れた話を更新予定。
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