あの日の削除されるかもしれぬと、吾輩も自分のブログをスクショしておいたのだが、それを載せると消される可能性が高い故、一般公開はする予定はござらぬが、吾輩が強い言葉でかいたせいであろう、如何せん、AIに任せるとどうしても”棘”が抜かれたような文章になってしまう故、感情を優先してしまった結果吾輩ごと消されたという結果になってしまった。もちろん、反省はしておらぬ(`・∀・´)エッヘン!!

※今後はAIに添削してもらった場合には文末に一言添えることとする。

 

 

さて、阿佐ヶ谷のご婦人が5年前に書いた【繋ぐ】の話を今更誰が聞きたいと思うのか。

 

どんなものにも使用期限、賞味期限、保管期限など、「期限」が設けられておる。

それは時とともに「劣化」するからなのだが、【繋ぐ】の話も同様に劣化して読者が知りたい・聞きたいと思った時期は過ぎ、期限はとうに切れておると吾輩は思っておる。

5年前には阿佐ヶ谷のご婦人がブログで「話す」「話したい」と読者を惹けることは出来であろうが、その話の「興味を持たれる期限」はとうに過ぎておる。

 

緩和ケアの話も期限切れである。

5年という時間の経過とともに阿佐ヶ谷のご婦人の記憶も劣化しておるのは言うまでもなく、普段から時系列通りにブログを書かない癖も相まって、「いつ」「何」があって「どのようにことが進んだか」また夫はどんな話をしたか、自分が何をしたか、記憶の保存期限も切れておるであろうことを、今さら話したとて「曖昧な記憶の話」を誰が興味を持って聞くであろうか。

 

 

だからこそ、期限の切れた話ではなく、待たせるだけで何も話さぬのであれば、話さない理由や話せなくなった理由を読者に約束の代りとしてブログに記すことで誠実な気持ちを表してみていただけぬだろうか。

話す、話さないは本人の自由と考えておる方が居るのであれば、オフィシャルである立場である意味は何かと問わせていただく。