大島康徳殿は他界される3日前にホスピス(緩和ケア病棟)に入院されておったことを、のちに妻である大島奈保美殿からブログで報告があった。
そして、緩和ケアについて話したいことがあることも綴られており、読者や応援していた方々はその話を聞かせてもらえるものと期待したのだ。だがしかし、緩和ケアについて夫婦で感じたこと、妻として見てきたことを話されることはなかった。
“なかった” と過去形で表現したのは “話すことはないだろう” と思うからである。
この5年間、話す機会はいくらでもあったはずなのだが、日々の「私」を報告するだけに留めてファンに向けての言葉を綴ることもなかった。しかしながら夫を喪った妻の心情を理解できるからこそ誰もせかすことはなく、心配するコメントや気遣うコメントが溢れ、大島奈保美殿を多くの方が応援しておったのだ。そして心が整うまで待っていてくださいと言われて読者は待っておる。
緩和ケアについて、何を語ろうとして頓挫したのか。
夫の意志と言葉を繋ごうとしたブログが逸脱したのは何故か。
大切に綴るはずのブログがおざなりになったのはどうしてか。
聞きたいことを問えば、吾輩のコメントは承認されず、大島奈保美殿のブログ内容に関することを自分のブログで書けば削除され、何が規約違反だったのか理由を知るすべもなく、これではオフィシャルとは何か、Amebaは何を守っておるのかと疑問を抱くのは当然ではなかろうか。
話す、話したいと意思表明をしたのは大島奈保美殿であって、大島康徳殿の意志と言葉を繋いでほしい、緩和ケアについて話して欲しい、と、読者が要求したわけではござらぬ。大島奈保美殿が話すと発信したことに対してブログに書かない訳を話して欲しいと問うことがタブーであるのなら、何故、何度も読者に「待っていてください」と言ったのであろうか。
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同じ内容ばかりになってしまうが、今回はAIに添削してもらっておらぬので、強い表現もある。
なおみ殿が吾輩の削除された記事を解析してくださっておるが、なおみ殿の言うようにAIに判定してもらえば鋭さや感情が抑えられてしまう故、このままUPさせていただく。
もし、削除された場合、AIに添削して頂いたものを再掲載する予定である。ハッシュタグも変更する。