0.はじめに
中国5県の中で最も小さな県である鳥取県。しかしかつて池田家が統治した因州藩(鳥取藩)は32万石、実質石高は41万石にもなり因州藩(鳥取藩)は中国地方随一の大藩であり池田家は西日本でも指折りの有力大名であった。
今回はそんな因州藩の藩主である池田家の居城で織田軍の中国征討で織田方を苦しめ「難航不落の名城」と呼ばれた鳥取城を初め、かつて武田高信が築き羽柴秀吉が中国地方攻略に利用した丸山城(現:河原城)、里見八犬伝の由来となった里見家が代々城主を務めた打吹城(倉吉城)、羽柴秀吉の中国攻略を妨げた羽衣石城について調べてみた。
1.鳥取城
かつて信長の中国征討で織田方の武将で後の天下人である秀吉を大いに苦しめ「難航不落の名城」と呼ばれ、因州藩32万石の藩主である池田家の本拠地(持ち城)で現在でも鳥取県の県庁所在地である鳥取市のシンボルとして威光を放つ山陰屈指の名城である鳥取城。
大政奉還により江戸幕府が滅亡し、廃藩置県により因州藩が廃藩となり代わりに鳥取県が設置されると鳥取城は県の政庁と県知事の宿舎としての機能を果たした。しかし鳥取県が隣県の島根県に併合され廃県されると鳥取城は不要の城とされ中仕切門を除く建物全てが破却処分された。
しかし近年は地域おこしや町おこしの一環として城の復元運動を主に鳥取市の主導で行っており城は急ピッチで復元、かつての難航不落の名城の威光を取り戻しつつある。

【中仕切門】県の文化財に指定されている



【仁風閣】 国の重要文化財に指定されている

【宝隆院庭園と宝扇庵】城内にある屋敷と庭園
2.丸山城(現:河原城)
因幡源氏の血を引く名門武田家の当主、武田高信が領国守護の出城(砦ともいう)として築城したのが始まりである。その後織田軍による中国征討の際、丸山城は織田方の武将である羽柴秀吉の陣屋として機能した。
その後同城は廃城となっていたが1989年(昭和64年)に地域起こしの一環として政府から各市区町村に給付されたお金(ふるさと創生一億円事業)を鳥取県河原町は城の復元の為につぎ込み1995年(平成6年)に天守が復元された。


1995年(平成6年)に復元された天守閣

1995年(平成6年)に復元された城門
3.打吹城(倉吉城)
伯耆国(現在の鳥取県の中西部に当たる)の領主であった山名師義が現在の鳥取県の第三都市である倉吉市に築城し、田内城から守護所を移した。城下には商工業者が集められ、市が開かれるなどして活況を呈したという。以後、乱世の時代まで山名氏の居城とされた。
戦国時代に入ると南条氏の南条宗勝が伯耆国の領主となった。しかし南条宗勝は打吹城を居城とせず羽合町の「羽衣石城(うえし城)」を拠点とした。その後安芸国(現:広島県)の領主の毛利輝元が南条氏の征伐に乗り出すと『天正の伯耆合戦』、打吹城は南条氏攻略の居城として毛利軍が入り毛利軍の重要拠点として利用された。
その後織田軍による『中国征伐』が開始されると伯耆国の領主である南条元続は織田方の武将で後の天下人である羽柴秀吉に降伏し、以後羽柴氏の家臣となる。毛利軍に占拠されていた打吹城も奪還された。南条元続は正式に伯耆国の大名として認められ、拠点を羽衣石城から打吹城に移し、城周辺の産業を振興させ「倉吉」という名前の城下町を形成させた。そして南条元続は家督と領主の地位を嫡男の南条元忠に譲った。
しかし関ヶ原の戦いでは南条元忠は石田三成率いる西軍に属して敗北したため戦後改易され、伯耆国の東部には4千石の「倉吉藩」が置かれ里見忠義が支配するところとなった。里見忠義は打吹城を居城とし、打吹城の4千石の小大名として城下町の民に迎え入れられた。慶長19年(1615年)に打吹城はお取り壊しとなった。
取り壊しの理由は様々だが元和元年(1622年)に里見家も改易と倉吉藩も廃藩とされ因州藩に吸収された。現在は倉吉市によって城の周辺の整備が進んでおり、打吹山には2階櫓(模擬天守)も復元されている。また城庭には日本百庭園の「打吹園」や大正天皇が倉吉行幸の際に宿泊された「飛龍閣」という屋敷がある。



【二階櫓】打吹城の模擬天守である

【飛龍閣】天皇も宿泊した国の史跡に指定の屋敷

【打吹園】日本百庭園に指定されている城庭
4.羽衣石城
現在の鳥取県湯梨浜の羽合町にある羽衣石城は古くは伯耆国の領主である山名家の家臣であった南条氏の南条時貞によって築城された。その後南条元続によって山名家を追い落とし、伯耆国の領主となると羽衣石城を居城とした為羽衣石城が伯耆国の中心拠点となった。
織田軍による中国征伐が開始されると南条氏は織田方の味方をし、南条元続の居城である羽衣石城は毛利軍による激しい攻撃を受けたが、落城する事は無かった。
その後南条氏が正式な大名に取り立てられると拠点を羽衣石城から倉吉の打吹城に移した為、城は荒廃し、江戸幕府の一国一城令によって城は取り壊された。
1931年(昭和6年)に南条氏の末裔と鳥取県花見村(現在の鳥取県湯梨浜.羽合町)によって羽衣石城の復元計画が建てられ、天守閣の復元が行われた。その後復元天守の老朽化に伴い1990年(平成2年)に大改築が行われ今に至る。

復元された羽衣石城の天守閣(県の史跡に指定)



