
独裁者アドルフ・ヒトラー
前回はヒトラーの成年期の動向、権力掌握までの道のり、そして組閣までの歴史について解説した。今回は、ヒトラーの人種政策と民族的浄化について見ていく。
1.議事堂放火事件
アドルフ・ヒトラーは、1933年1月30日に首相に任命されたもののその権力は盤石では無かった。彼が率いるナチ党(国家社会主義ドイツ労働者党)は、議会の過半数に達しておらず、また社会民主党やドイツ共産党といった反ナチの立場を取る勢力は以前として衰えていなかった。
その為、ナチ党(国家社会主義ドイツ労働者党)とヒトラー内閣の基盤を固めるには、議会を解散させ総選挙を実施する必要があった。しかしナチ党とその連立与党である国家国民党の熱狂的な支持は一過性の物でヒトラー内閣の組閣後、早くも1週間足らずで支持率は5割を切っていた。
この状況で選挙に臨めば間違いなく、ナチ党と親ナチ派の極右勢力は大敗、そしてドイツ共産党、社会民主党、ドイツ民主党といった反ナチ勢力が勝利するのが確実な情勢となった。

延焼する議事堂 議会制民主主義の終焉を印象づけた
そのような中で2月28日にドイツ国会議事堂が何者かに放火され、炎上焼け落ちる事件「ドイツ国会議事堂放火事件」が起きる。ヒトラーとナチ党は、この放火の犯人をオランダ国籍の共産主義者の仕業と断定、激しく批判する。
この議事堂放火事件の真犯人はよく分かっていない。本当に共産主義者の犯行だったかは疑わしい。ただ唯一本当なのは、この議事堂放火事件を口実にヒトラーとナチ党政権は、独裁的権威主義の強化とおぞましい犯罪的政治の導火線の口火を切ったという事だけだ。
2.共産党弾圧と全権委任法の制定
ヒトラーはこの放火事件を政治的に利用、「共産党が外部の共産主義勢力と結託してクーデターを起こそうとした。内乱勢力は徹底的にたたきのめさなければならない」と発言。
ゲシュタポの指揮官には、「ヒトラーの懐刀」と呼ばれたヘルマン・ゲーリング元帥が就任。ゲーリングはヒトラーの命令の元、ドイツ共産党員らを逮捕拘禁した。
その後、エルンスト・テールマン書記長らドイツ共産党の幹部や国会議員、社会民主党の幹部と国会議員らも次々に手当たり次第に逮捕されていった。その後、彼らは思想強制収容所送りとなり生きて帰るものはいなかった。
邪魔物だった社会民主党やドイツ共産党の勢力を片付けたヒトラーは国会議事堂放火事件を口実に国家緊急権を発動、議会制民主主義を破壊したドイツ共産党勢力を壊滅させる為に自身の非常時大権を要求した。

軍事行進を見守るヒトラーとナチ党幹部ら
その後、国会で全権委任法の賛否を問う議員投票が実施された。ナチ党(国家社会主義ドイツ労働者党)は288票と100%が賛成、国家国民党やドイツ中央党は、一部棄権票が出た者の賛成となり、共産党や社会民主党は既に排除されていた為、これによりヒトラー内閣に非常時大権が与えられる全権委任法が国会の認可を受けて可決された事でヒトラー内閣の独裁が成立した。この法の制定後、ナチ党政権は反体制派と目す政党や労働組合を次々と解体に追いやった。
このヒトラー政権の反体制派への弾圧の残忍さを表す詩をキリスト教福音派ニーメラー牧師はこう師に綴っている。「ナチスが共産主義者を連れさった時、私は声をあげなかった。私は共産主義者ではなかったから。彼らが社会民主主義者を連れ去った時、私は声をあげなかった。社会民主主義者ではなかったから。彼らが労働組合員らを連れさった時、私は声をあげなかった。労働組合員ではなかったから。彼らが教会を弾圧し、私を連れさった時、私のために声をあげる者はいなかった」。
3.残虐な粛清劇「長いナイフの夜」
ヒトラー内閣の独裁を確立した首相ヒトラーは、次に自信が党首を務めるナチ党(国家社会主義ドイツ労働者党)による一党支配を強める為、11月に国会選挙を実施。
ナチ党(国家社会主義ドイツ労働者党)以外を排除した選挙の結果、議席661議席中、全議席にあたる661議席をナチ党議員で掌握。この選挙の結果ドイツにおける野党や政党制民主主義、議会制民主主義は完全に崩壊し、そしてここに国家社会主義ドイツ労働者党による一党独裁体制が成立した。しかし議会に敵はいなくなったが、ナチ党内にはヒトラーを批判する勢力がまだ存在いた。ナチ党左派のグレゴール・シュトラッサー、そしてヒトラーの竹馬の友である突撃隊SA隊長のエルンスト・レームだった。

党内左派のグレゴール・シュトラッサー


突撃隊隊長のレーム隊長
そして1934年6月30日、遂にヒトラーは党内の反体制派分子の粛清に乗り出す。突撃隊隊長のレームやナチ党左派のグレゴール・シュトラッサー、エドムント・ハイネス、陸軍幕僚長付き官房のフォン・ブレボウ、保守革命論者のユリウス・ユングらが突如ナチ党からの除名を言い渡され、即日家族らと共に処刑された。
非ナチ党員への粛清も行われた。フォン・シュライヒャー元首相や、ヒトラーによるミュンヘン一揆を鎮圧したミュンヘン州知事のグスタフ・カール知事やパーペン内閣の閣僚だったヘルベルト・ボーゼ中央党幹事長やエーリヒ・クラウゼナー交通省海事局長らもヒトラーの命令を受けた秘密警察ゲシュタポによって処刑された。
ヒトラーと秘密ゲシュタポによる1934年6月30日〜7月2日までの冷酷無慈悲な粛清の事を「長いナイフの夜」と人々は言うようになった。この冷酷無慈悲な粛清劇によって推定1000人〜3000人近くの人が処刑されたという。
4.大統領の死と総統(ヒューラー)就任

ヒンデンブルク大統領とヒトラー首相
首相独裁と一党独裁を確立させたヒトラーだったが、あくまでヒトラーは首相、国家元首たる大統領はパウル・ヒンデンブルク公爵だった。ヒンデンブルクはヒトラーの事を見下していた。第一次世界大戦で陸軍大将や統合幕僚長などを歴任し、フランス軍を二度もはねのけ「護国の英雄」と呼ばれたヒンデンブルクにとって伝令兵上がりのヒトラーなど小物に過ぎなかった。
しかしヒトラーが首相に就任し、更に僅か1年未満で一党独裁体制を確立させた事は世界を驚かせ、ヒンデンブルクもヒトラーを認めざるを得ない状態を追い込んだ。

ヒンデンブルク大統領とヒトラー首相
こうしてヒンデンブルク大統領は、自身の死後は、大統領職をヒトラーに譲るとの遺言を残した。そして長いナイフの夜の僅か1ヶ月後の8月2日、ドイツワイマール共和国の大統領パウル・ヒンデンブルク侯爵は死去した。
ヒンデンブルクの死後、すぐにヒトラーは大統領選挙を実施、対立候補者のいない選挙はヒトラーの圧勝に終わり、ヒトラーは大統領と首相の地位を併せた役職である総統(ヒューラー)に就任し、絶対的な地位を確立させた。
5.アウトバーン建設、福祉制度強化
権力を固めたヒトラーは失業者対策として公共事業の強化に乗り出した。その一つがアウトバーン建設である。アウトバーンは「世界初の高速道路」とも呼ばれ、道路内に信号は無く、高架道路を走るので歩行者の心配も無い。
ヒトラーはこの世界初の高速道路アウトバーンをドイツ全土に張り巡らせる計画を発表、失業者らを公共事業として雇い、更にこの高速道路の建設で各地の観光業や自動車産業の活性化も期待される正に一石三鳥の事業となる。

アウトバーン
またヒトラーは自動車産業の強化に取り組み、1935年に国民車(フォルクスワーゲン)構想を提唱、「自動車は1人に1台」を合言葉に急速に普及、ドイツは欧州や欧米と比較して最も自動車が普及した国の一つとなり、ポルシェやビートルといった名車が次々に誕生した。
失業者はヒトラー執権前より10%も減少し、ドイツは未曾有の好景気となる。ヒトラーは「健康増進法」を推進し、アルコール飲料やタバコなどを規制、菜食主義を普及したり、社会保険制度を導入するなど革新的、進歩的政策を次々に打ち立てた為、国民はヒトラーを支持し、崇拝に近いまでの熱狂的支持者まで現れる。
しかしこれこそがヒトラーの真の狙いだった。「国民思いの政治をする偉大な総統」という親しみやすいイメージを作り、国民の為の政治を行っているふりを行う事で独裁政治や前述した大粛清への国民の嫌悪感が払拭された。
5.反ユダヤ暴動「水晶の夜」
1938年11月にユダヤ人の過激民族主張組織「イスラエル・シオニズム」構成員で構成された武装隊によって在ポーランド中ドイツ大使館が襲撃され、ドイツ人外交官1人が死亡、4人が重軽傷を負う事件が発生した。
これに対してドイツ国内では、大規模な反ユダヤデモが発生した。各地でユダヤ人に対する報復が叫ばれたが、当初、これらの反ユダヤデモ隊の主張はあくまで過激派ユダヤ国独立を目指す勢力に対する批判だった。
しかしこれに目をつけたのが、ヒトラーだった。強烈なまでの反ユダヤ主義感情を持っていたヒトラーはすぐに親衛隊SSや諜報員らに命じて「デモの暴動化」を図った。各地で「ユダヤ人によるクーデターが起き、ドイツを乗っ取ろうとしている」とか「ユダヤ人の狙いはゲルマン民族を絶滅させる事だ」といった反ユダヤ的な内容の新聞やチラシが全国各地で流布された。

破壊され窓ガラスを割られたユダヤ人商店
これにより、各地でデモは暴動に変化していった。各地でユダヤ人商店やシナゴーグ(ユダヤ教の教会)が破壊され、ゲットー(ユダヤ居住区)の建物は、放火された。
ユダヤ人らは在ドイツユダヤ人教会を通じて警察に被害届を出すなどしたが、既に警察はナチスに掌握されており、むしろ警察も積極的にユダヤ人への暴行や放火に加わる有様だった。暴動は丸一晩続いた。破壊され割られた窓ガラスの破片が月明かりに照らされて輝いていた事からこの反ユダヤ暴動は「水晶の夜」と呼ばれる。
翌日11月10日未明になってやっとヒトラーは「総統令」を発令し、暴動やデモ、一連の喧騒の終息を宣言した。これによりやっと一連の喧騒は終息、ユダヤ人100名の犠牲者、そして300億マルク相当の被害がでた。ヒトラーは「騒乱の原因を探し出し、厳正に処罰する。」と宣言した。多くのユダヤ人らは安堵した。「これで奪われた財産が返ってくる」、「家族を◯した犯人が捕まる」と多くのユダヤ人らは政府の保障に期待した。
しかし次第にユダヤ人らの「安堵」は「不安」、そして「絶望」へと変わっていった。そう、ヒトラーの主張した「厳正に処罰する」の「処罰」対象は暴動を起こした加害者ではなく被害者である筈のユダヤ人らだった。ヒトラーの指令の元、3万人のユダヤ人が「暴動扇動の元凶」の罪で逮捕拘束され、一般の刑務所ではなくダッハウ強制収容所、ブーヘンヴァルト強制収容所、ザクセンハウゼン強制収容所といった強制収容所に収容された。
ただし、この際に逮捕されたユダヤ人は、数週間で釈放された者が多い。ユダヤ人が本格的に迫害されるようになるのは二次大戦後の1940年以降に入ってからである。
ユダヤ人が暴動で受けた被害額は、窓ガラスの交換だけでも600万ライヒスマルクに及んだという。ゲーリングは暴動が経済損失に繋がるとヒトラーに指摘したが無視された。この頃よりヒトラーとゲーリングの関係は悪化し始めた。

ヒトラー・ユーゲント
ヒトラーは、過激な反ユダヤ政策を推し進める一方でドイツ国内では「ゲルマン民族至上主義」とも言える民族主義政策を推し進めていった。ドイツ国内の青少年は「ヒトラー・ユーゲント」と呼ばれる少年軍隊に入隊し、ユダヤ人やロマ人といった少数民族や障害者、同性愛者への差別感情やゲルマン至上主義思想に洗脳された。
女性達は良き母、良き妻になる事が求められ、早い段階から性教育が行われた。ヒトラーは「優等なアーリア人(ドイツ人の祖先)の血を引くの兵士を育てねばならぬ」とこれらの性教育や早期結婚、早期出産を国策で推し進めた。
6.日独伊三国同盟の下地が出来る
一方この頃、ドイツは英仏と軍事的な緊張状態にあった。理由は明白でヒトラーによる領土拡張政策に対して英仏が明白な安全保障上の脅威を感じるようになったからである。
ヒトラーは神聖ローマ帝国、大ドイツ帝国に次ぐ、「第三帝国(サード・ライヒ)」の建国を目指した。その為には、ドイツ民族の統一が必要だと訴えた。手始めに1935年に非武装地帯とされたラインラントに侵攻、短期間で占領、併合した。1937年には同じドイツ民族の国であるオーストリアを併合し、その版図を拡大した。
同年11月にヒトラーは更にかつてのドイツ帝国の領土で尚且つ多くのドイツ民族が居住していた隣国チェコ・スロバキアのズデーテン地方の割譲まで要求した。流石に英国のチェンバレン首相もこのドイツの要求には激怒し、ミュンヘンでの国際会談の開催を要求した。

ミュンヘン国際会談 左から英仏独伊の首脳
ヒトラーは難色を示したが、イタリアの独裁者ムッソリーニ首相の仲介で英国のチェンバレン首相、フランスのダラディエ首相、そしてドイツのヒトラーの英払独伊の4カ国の「ミュンヘン国際首脳会談」が実現した。
しかしこの首脳会談は終始、ヒトラーにペースを握られた。英仏伊の三首相はヒトラーに何も言い返せず、ズデーテン地方はドイツ領に割譲される形となった。
一方でこの体たらくに痺れを切らしていたのが、米国のフランクリン・ルーズベルト大統領だった。ルーズベルトはドイツ国の特にヒトラー嫌いで有名だった。
ルーズベルト大統領は周辺国に侵略を続けるドイツを満洲国を打ち立て、北東アジアと戦争を続ける日本国と併せて「病原菌」と呼び、これらを隔離すべきとした有名な「隔離演説」を行い、日独を批判したのだった。

日独伊三国同盟の結成を祝うプロパガンダポスター
自らの国を病原菌に例えた米国をヒトラーは憎んだ。「ルーズベルトは大した男だと思ってたが、やはり奴もユダヤ人の手先か(ヘスの回顧録)」と周囲に漏らしていた。
これを受け、ヒトラーは米国が「病原菌」に指定した国々に急接近していく。エチオピアを侵略して国際的な非難を浴びていたイタリアと軍事同盟「ベルリン・ローマ枢軸」を結成、日本国とは「日独防共協定」を内戦で権力を掌握したスペインのフランコ将軍の政権とは「独西安全保障条約」を締結し、関係を深めていく。

枢軸国の主要国 日独伊の旗は大きく描かれている
そして1940年に日本国、ドイツ、イタリアの3カ国による「日独伊三国同盟」が結成され、1941年には、これに加えハンガリー、ルーマニア、ブルガリア、クロアチア、スロバキア、ノルウェー、フィンランド、満洲国、タイ王国、フランス国(ヴィシー傀儡政権)、中華民国(汪兆銘政権)の11カ国を加えた「枢軸同盟」が形成される。
一方で米国、英国、フランス、オランダ、ベルギー、中華民国(蒋介石政権)、英領インド、豪州、ブラジルなどは、後の国連の前身である「連合国」を形成した。
こうして世界は、「枢軸陣営」と「連合国陣営」に分かれて対立するようになる。一次大戦で連合国に屈辱を合わされたヒトラーは連合国への復讐を誓っていた。そしてこのヒトラーにより二次大戦の戦端が開かれる事になる。
