転派した11ヶ寺、壇徒1300戸はそのまま、西本願寺に所属し、


現在の西本願寺四日市別院となります。


1804年には、西本願寺四日市別院は九州の中心となり、九州御坊として発展します。


御坊(ごぼう)とは別格寺院のことだそうです。


東本願寺は後に、幕末の最中、佐田秀らによって、焼かれてしまいます。


当時、九州最大を誇った木造建築物は焼失。


現在の建物は、後に再建されましたが、規模は縮小。