バブル景気の頃 | 言っておきたいこと

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バブル景気の頃

 この円安は、バブル景気が大きな一因である。また、非正規が増え、経済不安による少子化の一因でもある。30年以上経つが、いまだに脱していない、バブル景気を振り返ってみよう。分析と評価の一助となればいい。

 
私はバブル景気を借金景気だと思っている。30年以上かかっても返せないところか、借金体質から抜け出せずにさらに借り続けているのが今の日本なような気がする。
まずは、1965年から2000年までの経済年表である。

これを見ていくと、経済はアメリカ合衆国中心であることが解る。アメリカの不利にならないようにしている。日本はアメリカに、第2次世界大戦と経済戦争で2度大きく負けたのだ。

 
できごと
●1965  
  ・日本の対米貿易が戦後初めて黒字に
●1966  
  ・日米鉄鋼摩擦→対米鉄鋼輸出を自主規制
●1968  
  ・EIAが日本製テレビを再度ダンピング提訴
  ・ニクソンが大統領選で繊維産業保護を公約に
●1969  
  ・日本が鉄鋼輸出を自主規制し、前年比22%の輸出減
●1970  
  ・日米繊維交渉→1971年、繊維製品の輸出自主規制
  アメリカの景気が悪化したことで、突如としてドルと金の交換を辞めた。
   円は1ドル360から38円に切り上げられた。
●1971  
  ・ニクソン・ショックでドルと金の交換廃止。1ドル360円ら138円に切り上げ
●1973  
  ・円が変動相場制へ移行→為替差損が重要な問題に
  ・GATT、東京ラウンドで農業交渉開始
●1976  
  ・日本の鉄鋼産業をダンピング提訴
●1977  
  ・カラーテレビの市場秩序維持協定→対米輸出を175万台に制限
●1978  
  ・牛肉・オレンジ自由化交渉→1988年、完全自由化へ
  ・米国、鉄鋼に「トリガー価格」を設定し、それ以下の値段のものはすべてダンピング扱い
●1980  
  ・電話交換機などNTT調達品の外国製品枠を策定
  ・レーガンが大統領選で自動車産業救済を公約に
●1981  
  ・日米自動車摩擦→対米自動車輸出を自主規制
●1982  
  ・IBMスパイ事件。おとり捜査によって日立・三菱電機の社員ら逮捕
●1984  
  ・円ドル委員会が本格化し、金利自由化や外国銀行の進出など、金融緩和の議論拡大
  双子の赤字に悩む米国は、世界的なドル安方針を決定、ニューヨークのプラザホテルに米、英、西独、仏、日本の蔵相と中央銀行代表が集まり、実質的な円高ドル安が決まりました。
●1985  
  ・アメリカが7年ぶりに対外純債務国に転落し、新通商政策を発表、貿易に積極介入へ
  ・プラザ合意→円高ドル安が既定路線に
  ・MOSS協議→エレクトロニクス、電気通信、医薬品など各分野別での協議開始
  ・米半導体業界、日本市場の閉鎖性を理由に通商法31条で提訴
  半導体の2割を米国製にすることで合意、メモリは日本製、CPUはアメリカ製という構造ができ、インテルの全盛時代となります。
●1986  
  ・日米半導体協定→1992年末までに外国系半導体のシェアを2%以上に
  ・関西国際空港建設プロジェクトで「国際入札」を要求
●1988  
  ・スーパー30条の導入で不公正貿易に対し一方的に報復可能に
  ・大型プロジェクトに限って日本の建設市場に外資の参入を認める(日米建設合意)
  IBM互換機の台頭、マイクロソフトのウィンドウズ95の登場。
  坂村健教授が提唱したTRONという日本製OSがあった。
●1989  
  ・日米構造協議で、内政干渉の合法化→1年間で総額43兆円という「公共投資基本計画」を策定
  ・人工衛星、スパコン、木材・建材にスーパー301を発動
  ・教育用パソコンに採用予定だった日本独自のOS「TRON」に圧力
●1991  
  ・日米携帯電話摩擦→モトローラの圧力で、IDO(現在のKDDI)が旧式のアナログ方式(モトローラ方式、TACS方式)を採用
●1992  
  ・ブッシュ大統領が米自動車メーカーのトップを連れて来日
●1993  
  ・日米経済包括協議→1994年、板ガラス輸入拡大、知的所有権の強化などで決着
  ・ウルグアイラウンド→コメの部分開放
●1994  
  ・日米保険協議→1995年、保険に外資参入認める。これにより、カタカナの保険会社が増加
  ・公共事業の指名競争入札を廃止→談合制度に打撃
  ・総額43兆円の「公共投資基本計画」にさらに2兆円の「社会資本整備費」を加算
  ・年次改革要望書の提供を開始
  年次改革要望書
  年次改革要望書の翻訳(1996年版)
●1995  
  ・WTO設立で、日米交渉から国際交渉の枠組みへシフト
  ・サービス貿易自由化交渉→金融サービス、長距離電話など自由化へ
  ・日米自動車摩擦→アメリカは数値目標を要求するも、多国間交渉で日本が勝利
  ・日米フィルム摩擦→コダックが富士フイルムを提訴するも多国間交渉で日本が勝利
●1996  
  ・日本製スパコンにスーパー301を発動して事実上の輸入拒否
●1997  
  ・独禁法改正、持ち株会社の解禁→談合制度を弱め、企業買収を簡易化
●1998  
  ・企業買収のさらなる簡易化を要求
    →1999年、商法改正で持ち合い株式の解消、コーポレートガバナンスの導入による経営の透明化、株式交換による企業買収を合法化
  ・確定拠出型年金の導入を要求
    →21年、日本型41kが導入され、企業年金制度が弱体化。企業と従業員の関係が弱まり終身雇用制が崩壊へ
  ・労働者派遣の原則自由化を要求
    →1999年解禁し、以後、人件費削減で年収2万円時代へ
  ・土地の利用規制を緩和し、不動産の証券化を要求
    →2年、REIT創設で不良債権となった日本の一等地をハゲタカが買い占め
  ・建築基準法改正
    →阪神大震災の後にもかかわらず、安全基準を「最低限」にし、アメリカの建材を認可
●1999  
  ・水道や道路など、公共事業の運営を民間がおこなえるPFI方式が制定される。
  J-REIT設立
●2000  
  ・大規模小売店舗立地法→郊外に大規模店が増え、地域の商店街がシャッター通りに
  ・21年3月期決算から会計制度を時価会計に→株の持ち合いが減り、株価が暴落。外資が日本企業を買いやすくなった。同時に税収も減少することに
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今の40歳以下には想像すらできないと思うが、かつて日本が、バブルの時代=1985年から1990年は非常に景気が良かった。
値段が高いほど売れ、日産は「シーマ」をトヨタは「セルシオ」を出した。

土地の値段は 下がることはない と信じられた。預金残高があると「定期のほうが得です、予定がないなら定期にしましょう」といつも受付で言った。

定期預金の金利の推移、利息で「10年で2倍」な時代もあった | アメリカ株でアーリーリタイアを目指す (america-kabu.com)

銀行はお金を貸すから、株を買えとか土地を買えとかも言った。これが、バブル経済の直接の原因だったが、多くの客がその言葉に乗った。

 日本でバブル景気がはじけたのが1991年である。

日経平均株価の最高値は1990年最後の取引日で4万円手前だった。
第1節 家計の所得・資産面の変化 - 内閣府 (cao.go.jp)

銀行員で 1流大学出は 40歳で年収2000万以上あったし、テレビディレクターは下請けの金で、銀座で飲み食いしていた。

食事をおごる男をメッシー、車で送る男をアッシーと言っていたのもこの頃だった。

今オリンピックをめぐる汚職でにぎわせている高橋氏の実弟は、長銀をつぶした男と言われ、5千億円の借金もあった。

【わかりやすく】東京五輪・パラ汚職事件 全体像は?高橋元理事とは? - クローズアップ現代 - NHK

億で驚く人はほとんどいなかった。

 

ボディコンが流行り、ディスコではみんなが着ていた。

大衆演劇では植木に花に見立てた1万円札を差し込まないと相手にされなかった。花なので百枚ほど必要だった。


株取引では最低単位を頼む人は馬鹿にされた。その当時、1株5万額面のNTTを2株を買ったが、2株と聞いて電話口で証券マンが「2株ですか」と絶句していた。常識的に最低10株であったのだろう。株価は2株で250万ぐらいだったので、手数料は4万円強である。(百万を超えると利率が下がった)「そんな小さな取引はしたくない。もう私に電話しないで」との雰囲気があった。億単位の取引じゃないと証券マンは喜ばなかった。

土地ころがし とか 地上げとかが流行った。土地をめぐるビジネスで暴力団がどれだけ儲けたのか 分からない。上場企業もよく暴力団を使い、地上げや総会では暴力団を使うことが常識化していた。暴力団が、あまりに目についたし、都会に住む普通の人が被害にあい、殺人事件も起きたので暴対法ができる きっかけ となった。

富士フイルム専務殺人事件 : definition of 富士フイルム専務殺人事件 and synonyms of 富士フイルム専務殺人事件 (Japanese) (sensagent.com)

王将社長射殺事件 - Wikipedia

暴力団 - Wikipedia
1995年ごろの地価は平均で最高値の1/4.5になった。
都会では1/10以下になったものも多い。

バブル3

バブルのころ 私のところへ土地売買の話が来た。
あまりに、高いので根交渉をしていると他の人が買った。
その10年ぐらい後にその人から前の売値の1/5で私が買った。土地は駐車場で自分で利用するものではなかった。駐車場収入では借金返済どころか金利も出ない。
L字型の私の土地が、その土地を加えることで四角になったが、相手は近くの日用品の問屋だった。

 

集団催眠により金銭感覚がマヒしていた。醒めてみると実に奇妙な時代だった。
ある意味ではナチスドイツと似ているのかも知れない。
みんながおかしいと心の底では思っていても、自分はババをひかないと思っている、そんな時代だった。

借金は未来の資産をつかうことであり、負債と言う。
その後、負債の処理に苦慮しているが、妙案は浮かばない。 

日銀のゼロ金利政策により、円安・物価上昇・給与は上がらず、可処分所得は下がり続けている。
欧米の国に、はめられたのだが、米の代弁のような発言をする学者も多い。