ご存知の方も多いかと思いますが...
今日は、山南さんの命日です。
1865年(元治2年 慶応元年)の今日、彼は組からの脱走に失敗して切腹しました。
山南さんは「江戸へ行く」と置き手紙を残し、新選組を脱走。
新選組の隊規では脱走は死罪とされているため、
近藤さんと土方さんは、沖田さんを追っ手として差し向けました。
その後、山南さんは近江国大津で捕捉され、屯所に連れ戻されました。
そして1865年の今日、切腹しその人生を終えました。
切腹介錯は、山南さんの希望により、彼が弟のように可愛いがった沖田さんが務めたそうです。
享年は33。
そして、切腹介錯を務めた沖田さんは、当時21歳もしくは23歳くらい。
その切腹を近藤さんは「浅野内匠頭でも、こうは見事にあい果てまい」と賞賛したといいます。
そして伊東さんは、山南さんの死を悼んで和歌を詠んだそうです。
春風に吹き誘われて山桜 散りてぞ人に惜しまれるかな
吹く風にしぼまんよりも山桜 散りてあとなき花ぞ勇まし
– 伊東甲子太郎
昔は、このようなことが日常茶飯事とはいかないまでも、
よくあったんでしょうね...
つくづく、今の日本は平和だな...と思う紗彩です。
お墓は、京都の光縁寺にあるそうなのですが、
遠くて行ける距離ではないので、今日はきちんと手を合わせることにします。
参考文献→幕末人物年鑑、Wikipedia
iPhoneからの投稿
今日は、山南さんの命日です。
1865年(元治2年 慶応元年)の今日、彼は組からの脱走に失敗して切腹しました。
山南さんは「江戸へ行く」と置き手紙を残し、新選組を脱走。
新選組の隊規では脱走は死罪とされているため、
近藤さんと土方さんは、沖田さんを追っ手として差し向けました。
その後、山南さんは近江国大津で捕捉され、屯所に連れ戻されました。
そして1865年の今日、切腹しその人生を終えました。
切腹介錯は、山南さんの希望により、彼が弟のように可愛いがった沖田さんが務めたそうです。
享年は33。
そして、切腹介錯を務めた沖田さんは、当時21歳もしくは23歳くらい。
その切腹を近藤さんは「浅野内匠頭でも、こうは見事にあい果てまい」と賞賛したといいます。
そして伊東さんは、山南さんの死を悼んで和歌を詠んだそうです。
春風に吹き誘われて山桜 散りてぞ人に惜しまれるかな
吹く風にしぼまんよりも山桜 散りてあとなき花ぞ勇まし
– 伊東甲子太郎
昔は、このようなことが日常茶飯事とはいかないまでも、
よくあったんでしょうね...
つくづく、今の日本は平和だな...と思う紗彩です。
お墓は、京都の光縁寺にあるそうなのですが、
遠くて行ける距離ではないので、今日はきちんと手を合わせることにします。
参考文献→幕末人物年鑑、Wikipedia
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