連日クソ暑い!日が続いてますが体調は大丈夫でしょうか?
私事で恐れ入りますが前回に引き続き、名古屋の丘陵地区にある総合病院に入院中でしたが7月21日火曜日に無事退院出来ましたので簡単にですが健忘錄兼ねて時系列に事の次第を数回に分け記して行きます。 今回はその2回目、ICUから腎臓内科病棟へ転棟し退院するまでの18日間の内、最初の7日間のお話です。
①7月3日金曜日
昼食後、腎臓内科病棟の看護師さんがICU病棟に迎えに来てくれて転棟。尚、移動はベッドで覚えてるのはエレベーターに乗ったのとただ天井を見つめてるのみ(笑)
病室は4人床の窓側、早速とここはどこかわかりますか?といつもの質問とバイタルチェック。
この時点で身体に繋がれた管は左手の末梢血管、右首もと?辺りのCV、尿道カテーテル。また心電図やら一連のセットがまだ装着されていて気分的にはICUにいるのと変わりませんがベッドが一般的なベットに変わったのとテレビがある、スマホがあるという変化がありました。
※ICU入室中はラジオを貸し出してくれて数少ない意識がクリアな僅かな時には聞かせてもらいました。
この後、回診やら食事やらあったと思いますが覚えてるのは夕方以降の悪寒からの解熱剤が効いて?大量の発汗し看護師さんが着替えをしてくれた?位です。
②7月4日土曜日
この日はこれまでICUで実施していた人工透析を透析室で実施。
透析中にナースステーションに近い部屋に移動しますねと聞いていて新たな部谷は前と同じく4人床の窓側。ただ違うのは外の景色が見覚えがある建物がありなぜかホッとした自分がいました。
③7月5日日曜日
余り覚えてないのですが前日に朝食はパンをと希望したみたいで早速とパン食になってましたがお世辞にも美味しいと言える物ではありませんでしたが自分から言い出した事もあり食欲が出だしたのち退院まで食べ続けました(笑)
この日はまだまだ余談を許さない状態で各科のドクターの回診に点滴やら処置その他色々と看護師さんが来ていたものの日曜日の病院は平日と違いヒマなのは過去の入院で体験済みでしたが自力で起き上がることすら出来ない体調の自分には記憶が所々薄れていてあっという間に1日が過ぎて行きました。
④7月6日月曜日
この日は透析室で2回目の人工透析。
看護師さんから暇潰しにスマホや水分を持っていっていいよと言ってもらえたものの身体はダルく水分もこのごろは500#cc/日に制限されていて貴重な水分をという思いから手ぶらで透析室へ、、、ただベットで移動でしたが(笑)
透析は4時間だったかな?、透析終了に来た女性の臨床工学士さんと少し会話を交わしましたがICUで初めて人工透析をした際に対応して頂いた方と知り改めてICUでの事を余り覚えていないのを実感。
昼食は透析後に病室で14時過ぎに食べましたがこの時はダルサラームが軽く完食したのを覚えてます。
ただ夕方以降は変わらず悪寒からの 40℃近い熱発、大量の発汗の後に深夜になると意識が鮮明になるというパターン。この後数日続きました。
⑤7月7日火曜日
相変わらずのベット上の生活にダルさでしたが昼食が七夕仕様でメッセージカードと茶碗蒸しが美味しかったのは覚えてます。
午後からはリハビリさんが来てくれ、ベットからの起き上がり~床に立つリハビリをしたような、、、?
⑥7月8日水曜日
この頃は毎日朝早くに大量の採血がありましたが、その結果からか朝食前にだったと思いますが今日は数値が改善されてるから予定されていた人工透析は中止という嬉しいお告げを聞き思わず心の中でガッツポーズ(笑)
また頃から尿量が増え出したかと思いますが定かではありません(-_-;)
※数日前は300cc程度だったみたいです。
あと身体からモニター類が外れたのはこの日だったと思います。
⑦7月9日木曜日
翌日に救急搬送前から予約が入っていた大腸ファイバー(業界用語でCFというみたいで看護師さんはやり取りする際に普通に使ってました笑)が入っていて3食検査用の寂しい食事でした。
午後恒例のリハビリはこの日から廊下で立ち上りから数歩歩いては車イスに座るリハビリ。実はドクターもリハさんも一気にここまで進むと思っていなかったみたいでスゴいですね!って喜びを分かちあってくれたのを覚えてます。何しろ本人もベットから立ち上がることはしばらくムリだと諦めモードでしたから。
夜になると相変わらずの熱発でしたがこの頃になるとMAXで8℃程度でカロナールの服用は断りアイスノンで冷やすのみで夜半には解熱するようになってました。
※転棟後数日は解熱の点滴をつないでいたみたいですが本人は全く覚えがありません。
以上、最初の7日間のお話です。
おつきあいありがとうございます。