蒲原鉄道は新潟県の五泉ー加茂間を結んでいた電化ローカル私鉄です。1985年4月1日に路線の8割を占めていた加茂ー村松間が廃止になってしまい、残りの村松ー五泉間で営業を続けていましたが、1999年には村松ー五泉も廃止になっています。

最後まで残った村松ー五泉は国道に沿ったほぼ直線のみの線路で路線的には全く面白みがなく、私の中では加茂ー村松が廃止になった1985年までが蒲原鉄道の想い出です。

 

蒲原鉄道の加茂ー村松間は沿線風景が美しく(例によって目を見張るような景色ではないが、日本の田舎の好ましい風景)、車両も小さな単行の電車、貨物は凸型電機が牽く短い列車、小さなかわいい(地方私鉄らしい)駅舎、と「完璧」なローカル私鉄でした。ローカル私鉄にしては本数もあり(1時間に1本程度だったか)、それなりに走行写真もとれたので何回か訪問しています。

雪国なので雪のある時にも行っていますが、あまりに雪が多いと身動きがとれなくなってしまうため、4月ころ、雪解けが進んだころを狙って行ったかと思います。

 

村松を出て、西村松、寺田、大蒲原と進み、その次が畑の中の小さな無人駅の高松、高松の次が土倉、冬鳥越、七谷でした。土倉と冬鳥越の間には小さなトンネルがありました。

 

大蒲原、高松、土倉、七谷のあたりは田んぼ(畑だったかも)しかなく、遠くに雪をいだいた山が臨め、近くの山に登ればS字カーブの中を走ってくる小さな電車が見られ、まるで模型をみているような、きれいな景色でした。

蒲原鉄道にはED1型という凸型の電気機関車が在籍しており、貨物を牽いていました。

私は旧型電気機関車の中でも特に凸型と呼ばれる、運転席が中央にあって真ん中が出っ張っている、横から見ると「凸」の字のような機関車が好きだったので、蒲原鉄道は「完璧」な路線でした。

なぜ、凸型が好きなのか、、、まあ希少性もあったと思いますが、やはり、どちらかと言うと輸送力が少なくともよい地方の鉄道に多かったので魅力を感じるようになったのかもしれません。

凸型電機を現役で撮れたのは蒲原鉄道、近江鉄道、岳南鉄道、栗原電鉄、位でしょうか、、

また別の機会に紹介したいと思います。

 

大蒲原ー高松間を走る単行の電車です。

「完璧」ですね、、。昭和30-40年ごろは日本中、到るところにこんな好ましい地方私鉄が走っていたと思いますが、もう昭和50年代になると数えるほどしか残っていませんでした。

当時、国鉄(今のJR)中心に撮っていたので地方の私鉄は本当にわずかしか撮っていませんでした。その一つが蒲原鉄道です。

これは1982年(昭和57年)の撮影です。

 

同じ場所の電機

貨物がなくて単行ですが。

 

大蒲原駅付近の貨物です。

いいですね、、、

 

大蒲原駅は廃止後に行ったところ、こんなになっていました。

上の2枚が1986年

 

これは1989年です。

ちょっと寂しいですね、、。

 

高松駅に進入する列車

ホームの端っこが枕木です。私が見る限り、ほぼ単行(1両)での運転でしたが、ホームを延伸する必要があった時代もあったのかと思います。朝夕とかは2両で運転していたのかもしれません。

 

停車中ですね

廃止後の高松駅はこんな感じでした。

 

高松駅と土倉駅の間だったように記憶していますが、その辺の山に登って俯瞰撮影をした時のものです。

全然写真にも鉄道にも興味なかった大学の同級生のO君と行ったことを覚えています。

よく付き合ってくれたなと思います。ありがとうございました。

この写真の上の方に高松駅があります。

 

土倉と冬鳥越の間のトンネルにて

 

七谷駅にて

全列車ここで交換していたように思います。

廃止後もホームと駅舎が残っていました。

 

この頃は写真を撮ることに集中していて、七谷ー加茂の間は乗ってさえおらず、それはそれで今から考えるとちょっと残念ですが、現役時代に電車と凸型電機を十分に撮り、廃止後も2度も訪れており、非常に想い出が深い路線です。

 

最後に一枚、1999年まで残っていた五泉ー村松間で撮ったED1の写真を載せます。

 

尾小屋鉄道と並んで想い出深い路線です。

現役の時、私は行けませんでしたが、山形交通とか横荘鉄道、越後交通や福井鉄道の廃止路線とか、こんな雰囲気だったのではないかと想像します。

こんな非効率的な鉄道が残ってやっていけるわけないんですが、昭和のよき時代でした。