次女が、

孫のじろうちゃんの、
「とくじ」の診断書を、
主治医に、
頼みましたが、


じろうちゃんのように、
自分のことが、自分でできていて、

学校や療育に通えているような症状では、

申請できないと、
説明をうけて、帰ってきました。



「とくじ」を、
二十歳になるまで、
受給してきた自分は、

「そんなに、状態が、ひどかったん?」と、

改めて、
自分の発症当時のことを、
思いおこした様子でした。


「うん、うん、
ひどかったわ」

ごはんも食べれない
学校には、行けない

テレビも見ない
外出もできない

お風呂にも、
ひとりでは、入れない


1日の大半を、
眠り続けていましたね。


少しずつ、
少しずつ、
「認知行動療法」らしきものを、

家族で、
行っていました。

家族が、
24時間体制で、
寄り添っていました。


もう、すっかり、忘れてしまっていたけれど、

そういう、家族の在り方でした。


こんな風に、
元気に、アルバイトに行けたり、
子どもを生んだり、

想像をしたこともありませんでした。


いまの、この日常は、
わが家の「奇跡」なのです。