古代石造物を巡って世界一周したい。そんな夢がたやすくかなう場所が、福岡県中間市にある。
 JR中間駅近くにある約400メートルの緑道「屋根のない博物館」。チリ領イースター島のモアイ、エジプトのスフィンクス、ギリシャのパルテノン神殿……。アジア、アフリカ、アメリカ、ヨーロッパの各大陸にある石造遺跡の複製23種30体を眺めたり、さわったりできる。ただし、大人の目線ほどの高さに縮小されている。石碑に刻まれた説明文にはこうある。
 「あなたを古代へさそい、人生の初心にふれて頂くのである」
 「博物館」は中間市が1988年、その3年前に廃線となった国鉄香月(かつき)線の跡地に1億円以上をかけて建てた。
 元市職員の柴田芳夫さん(66)によると、香月線跡地に片側1車線の道路をつくった際、国鉄中間駅付近の幅約8メートル、長さ約400メートルの細長い土地が余った。住宅地としては狭く、「緑道にするしかないか」と柴田さんは考えた。
 だが、当時の木曽寿一(じゅいち)市長(故人)は違った。「『開けごま』のかけ声で扉が開き、中で子どもが遊べるピラミッドを建てよう」
 水墨画をたしなみ、童話の創作や合唱曲の作詞もした風流人。発想がユニークだった。柴田さんが土地の形状などで難しいと説明すると、市長は「『もやい』のシンボルとして、本物のモアイを持って来よう」と提案。当時の市のキャッチフレーズは「もやいでまちづくり」。「もやい」は、互いに助け合うという意味で使われる。
 沿道に何十体ものモアイが立ち並ぶ光景を想像し、一抹の不安を抱いた柴田さんは、モアイだけでなく世界の古代石造物を置いた緑道を提案。市長は採用した。
 市長が言う「本物のモアイ」とはイースター島のそれだった。「捕鯨船の帰途に積んでもらったらいい」。真顔で指示されて窮した柴田さんは、高校の先輩だった国会議員秘書に頼み、在日チリ大使館に問い合わせてもらった。先輩は「相当怒られた」そうだ。それでも「木曽市長がいなかったら、出来なかったと思う」と柴田さんは振り返る。
 制作は一部を除いて福岡県の業者が受注。韓国から招いた数人の職人が手がけたという。だが、制作段階でも苦労があった。メキシコの「巨石人頭像」のはずがなぜか「牛若丸」の頭像が出来ていた。業者の社長に尋ねると「気持ち悪いから日本風にした」。造り直してもらった。開館直前、スフィンクス像にマニキュアや口紅を塗られる、いたずらをされた。造り直す時間はなく、削って一回り小さくして開館に間に合わせた。
 それから四半世紀あまり。「博物館」は散歩道として市民に愛されている。時折、近所の人が掃除する姿もみられるという。