祖父母を殺害し金品を奪ったとして、強盗殺人などの罪に問われた少年(18)が昨年暮れ、さいたま地裁で懲役15年の判決を受けた。法廷で明らかにされたのは、少年の「無援の日々」だった。裁判長は問うた。大人は救いの手を差し伸べられなかったのですか。
 事件があったのは、昨年3月26日正午ごろ。少年は埼玉県川口市のアパートに暮らす祖父母の背中を包丁で刺すなどして殺害し、母親(42)=強盗罪などで服役中=と共謀して現金約8万円やキャッシュカードなどを奪った――とされる。
 昨年12月に6回開かれた裁判員裁判で、検察と弁護側の冒頭陳述や少年、母親の証言で明らかにされた事件までの経緯はこうだ。
 小学4年。
 生活が大きく変わった。別居を続けていた母親と父親が離婚。少年を引き取った母親は知人男性から金銭的な支援を受けるかたわら、ホストクラブ通いを続けた。1カ月帰宅しないこともあった。「捨てられたかと思った」。少年は弁護人から問われて答えた。
 5年生になると、母親が交際する別の男性と3人で静岡県内へ。学校に通ったのは2カ月間。その後、住民票を静岡に残したまま埼玉県内などを転々とし、自治体も居場所を把握できなくなった。
 金があるときはホテルに泊まり、ないときは公園で野宿をする生活。男性からは理由もわからないまま、暴行を受けた。「(母親は)様子を見て笑っていた」と少年は言った。
 中学校にも行かなかった。この間に13歳年下の妹ができた。母親は少年に親戚に金を無心するよう強く求めるようになった。「中学で野球部に入って道具が必要なんだ」。少年は、うそを重ね、実父のおばから現金400万~500万円を借りた。
 男性が失踪すると、母親は少年への依存を強めた。
 16歳だった少年は母親と2歳の妹を養うために塗装会社に就職し、会社の寮に家族で住み込んだ。ゲームセンターなどで浪費する母親からせがまれて給料の前借りを始めると、「(相手を)殺してでも金を持ってこい」と母親にたびたび言われるようになった。給料の全てが前借りの穴埋めに充てられるようになった。
 そして事件当日。
 「殺してでも金を持ってこい」。母親はこの日も自身の父母から金を借りてくるように迫った。1人で祖父母宅に行ったが、祖父に強い口調で断られた。「母親から言われた言葉を思い出した」。法廷で少年はそう振り返った。証人として出廷した母親は「殺害は指示していません」と言った。
 殺害以外に方法があったのではないか。
 検察側に問われた少年は「それ以外、考えられなかった」と言った。弁護人が「昔から母親の指示に従って生活しており、自ら考えて行動することができなかった」と言葉を継いだ。少年は母親と目を合わせようとしなかった。
 一番の味方であるはずの母親に追い詰められ、肉親から嫌がられながら借金を重ねた。少年の親族に裁判長は言った。「あなただけではないが、周りに大人がいて、誰かが少年を助けられなかったのですか」。少年の情状証人に立ったのは10年以上前に別れた実父だった。
 懲役15年――。
 判決を言い渡した裁判長は前を向く少年に「君のことを思う人と一緒に、社会に帰ってくるのを我々も待っていようと思う」と語りかけた。少年は「はい」と、小さな声で答えた。この日、判決を不服として東京高裁に控訴した。
 正月、少年に年賀状が1通届いた。事件の弁護人からだった。「年賀状をもらうのは小学校以来。うれしかった」。少年は差出人の弁護士に笑顔を見せたという。