

思考とは潜在意識と認識して
扱っています…

せっせと片付けを開始してから
3か月くらいになります…
何百冊の本を手放し
CDやDVDなども片付けて
洋服や趣味のものを結構手放しました
ためらっていた物たちも
最近は思い切ることができるようになり
少しずつ新たな世界へ前進しているように
感じます
そうは言っても
ここまで来ると手放し保留のものたちばかりとなり未だ決断できないでいるもので
密かに悩むというか、葛藤しているというか、感情の部分でとても厄介だなぁと思います
やはりこれも執着?なのでしょう…
私の執着は本当にしぶとい
この執着の根本は?
愛?の不足?
愛着不足?
私は自分の両親から
愛情を沢山もらって育ちました
末っ子ということもあってか
長女育ちとは違って親の愛を一身に受けて育ったと思います
歳の離れた姉はおねだり上手で
私はおねだりベタで
姉のように
◯◯買ってー
が言えない子だったことを
よく覚えています
その延長なのか、思ったことを
すぐに口に出すことをせず
頭の中で噛み砕いて
その思いが相手にどうジャッジさせるか
どんな、返答がくるかまで考えて
結局言わず仕舞いパターンになることは
言うまでもありません
そんな子供時代の私でしたから
大人になっても
その感覚は取れませんでした
◯◯したいと思っても
相手はどんな反応をもつか?
そこに重きを置いてしまい
本当に伝えたいことが言えないまま
自分の中で消化してしまうところ
そしてその消化してしまう後は
自分の欲求は自分で解決するよう
そう努めること
それが私の物に対する執着かな…
それで私は自分を抑制してきたのかも
しれません…
そんなことを片付けを通して
再び感じるようになりました
そんなこんなで
つい二三日前のこと
8歳の誕生日に両親からプレゼントされた
お人形を手放しました
あのお人形をこの歳まで持ち続け
あのお人形を見る度に
8歳の頃の自分に一瞬戻ります
買ってもらった日
バスの後部座席に両親の間に私が座って
そのプレゼントを抱えていた光景から
どうしても離れたくなかったのです
あの幸せな思い出を思い出すことが
私の支えだったのかな…
つい数年前までの私生活は
私にとって我慢と忍耐と思いに蓋をしてきたことばかりだったから
時折目にするあのお人形は
8歳の私そのものだったのだと思います
私、こんなはずじゃなかったのに…
無意識でしたがそんな事を
感じていたような気がします
そんなお人形を
とうとう手放した自分
涙は出ませんでしたが
さようならは言いました
そして手放した今は
何かまた自分の中にあった
執着の一つと決別できたようにも
感じてます
そして
思いを掴んでいただけでは
何も始まらないことを改めて感じることになったわけです
思いをあれこれ考えたところで
結局はあまりいいら結果には繋がらなかったような気もします
ある程度考えることは必要だとしても
ある程度の事はあまり余計な詮索をせずに伝えることは大切だなと考えます
それが自分への愛でもあります
私は両親に愛されて育った
今も変わらない
大人になって伴侶と生きて
その伴侶と互いを信頼ししあって
生きていることは間違いなく
これからも夫と慈愛しながら生きていくつもりであることも
今回の片付けから学んだこと
そして
何十年も前の8歳の私と
あのお人形から教えてもらったこと
愛を感じていたら
物は少しずつ手放せるのかもしれません
思考が現実を創る考えでいくとしたら
私の潜在意識にもそろそろ
愛という尊い思いが溜まってきて
それがステキな未来を創り出し
願い以上のことが現実化することも
遠くはないのかな…
そんな事を考えています…
家作りが
現在の私のターニングポイントと
なっているようです
思考を見直して思考を諦めずに扱うと
本当に自分の思いって
叶えられるのが
少しわかるようになりつつあります
不思議ですが…
今の私ならばそう思えます
思考が私の現実を創り出す
私は自分の未来を創り出す創造主
ではではこの辺で![]()
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またね🙋
読んでいただきありがとうございました🙇