遠い昔、

社会に出たばかりの頃



手紙を書きたい衝動にかられた私は


よくお世話になっている人や恩師に


手紙を書いていました


中々の口下手だったこともありましたが


物を書く上では

思いをどんどん書けたのでしょう

今の私はない当時の私






その頃私は


灰谷健次郎さんの著書に


夢中になっていて


こういう人になりたいという

憧れを持っていたものでした





若い頃の

純粋な心を持った時代の私




ある日


自分が信頼していた当時40代半ばの


上司に自分のその熱い思いを

綴ったところ




急に神様みたいな気になったところで

この仕事は成立しない


と言われたことがありました




あの日から私は

自分の熱い想いを語ることや

綴ることをしなくなったのは

言うまでもありません





今思えばマインドを持っていれば

そんな思いにならなかったはず



当時の私にはそれがなかったのです



今更ながら

勿体なかったなぁと

思います






沢山の考えや思想は千差万別


今の私ならば


その熱い想いに頭ではそうじゃないかな


と思っていたとしても


その感覚を大切に尊重したい




そうやって自分よりもずっと

若い人を育てていくのだと

思っています



沢山のタケノコを収穫 すぐに加工しました

そのタケノコの一部はメンマにしました😊


また別に

当時、60代だった恩師にも

考えている熱い思いを綴った際に

返ってきたお手紙には


山本有三 訳の

「心に太陽を持て」の詩が

認めてありました




心に太陽を持て

あらしがふこうと

ふぶきがこようと

天には黒くも

地には争いが絶えなかろうと

いつも心に太陽を持て


くちびるに歌を持て

軽くほがらかに

自分のつとめ

自分のくらしに

よしや苦労が絶えなかろうと

いつもくちびるに歌を持て


苦しんでいるは人

なやんでいる人には

こうはげましてやろう

「勇気を失うな 

  くちびるに歌を持て

         心に太陽を持て」




恩師は何を伝えたかったかな

当時の私は単純に


自分自身のことばかり考えていて

周囲を見渡す余裕なんて

1ミリもなかったけれど


時を経て

大分経験を積んだ今の私ならば

この詩の中の後半にある

「苦しんでいる人

 なやんでいる人には

  こう、はげましてやろう」


に目を向けられる



私はそういう人でありたいのだなぁと

この詩を思い出した今、

改めて感じているところです




20年近く前天に召された恩師の

私への思いを今、形にしようと

励んでいるところです



ではではこの辺で愛飛び出すハート


皆さんの心にも太陽と

くちびるには歌を歌う心を忘れずに


またね🙋