気づけば9ヶ月近くもブログを放置していたんですね。公私共多忙に過ごす中、ブログの存在自体を忘れていたかも😅。
 そんな私がここに戻ってきたのは、書かずにはいられなくなったから。でもどこから始めればいいのか? 今回のブログは、いつも以上にとりとめないものになると思います。まさに徒然なるままに・・・自由連想の垂れ流しのような乱文をご容赦あれ。

 私はレンタル DVD での映画鑑賞が趣味なのですが、最近『Summer of  85』を観ました。これは昨年公開されてた映画なんですね(情報番組をチェックしていない私は、どんな映画が封切りされているか把握していなくて、この映画についても全く知りませんでした)。ただ DVD の情報を集めていた時に浮上してきて「美少年同士の BL かあ」と思い😁、借りることにしたんだと思います。そしたらエンドロールで、原作が「DANCE ON MY GRAVE」と出て来て「おれの墓で踊れ? え?『おれの墓で踊れ』ってBLだったの?」と驚いたのです。それまでにエイダン・チェンバース作『おれの墓で踊れ』という作品の存在は知っていたけれど、タイトルの印象からノワール、つまり暗黒街を舞台にしたハードボイルドかなんかと勝手に想像して、敬遠していたんですね。
 という訳で原作を読むことにしました。アレックスとダヴィド(小説ではハルとバリー)が、男の子同士にも関わらず、あまりにもスムーズに恋愛関係に移行するので、主人公は元からゲイ自認している子なのかな?と、そこが知りたかったのです。
 感想としては、原作はかなりパンク😄! イギリス人の書く物だから捻くれてて、そこが面白いんだけど、映画の方がロマンティックでしたね。終わり方も映画の方が好きだな(映画化にあたって設定を少し変えてるところあり)。
 結論は、ハルは性的指向としてはバイ。そしてハル君は、子供の頃に観たテレビドラマで、主人公の二人の男の子がナイフで傷を付けた手を握り合い、血を混ざり合わせて、お互いの忠誠を誓う場面に強い印象を受けるような、聖書のダビデとヨナタンの友情に感動するような、“理想の親友”を求める男の子だったのです。だから心から愛している相手とならば肉体関係を結ぶことも厭わない。ゲイ自認というより、同性愛に対する罪悪感がない男の子とお見受けしました。
 一方バリーは、楽しめるなら男でも女でもウェルカムなプレイボーイ。ここが二人の別れ道だったんですね。しかしバリーが死なずに、二人が仲直りしてたら、バリーとハルは、浮気性の旦那と嫉妬深い妻みたいなゲイ・カップルとして続いていって、それこそ凡庸で陳腐で、これだと小説にも映画にもなりませんね😁。

 で、ここで脱線。昔々グループサウンズというものが流行し、その中にテンプターズというグループがありました。今は亡き萩原健一がボーカルを務めていたバンドです。で、そのテンプターズに「純愛」という曲があり、その歌詞が「腕に傷をつけて、腕と腕を重ね、若い愛の血潮わかち合った恋は、誰も誰も壊せはしない」というものでした。この歌を聴いていた時、私の頭の中には二人の男の子の姿が浮かんでいたんです。子供の頃の話ですし、当時は BL なんてものはありませんでした。同性愛なんてタブー中のタブーで、世の中には存在しないものだったんです。そして歌詞をよく聞けば恋愛(たぶん男女の恋愛。セックスはしてないけど、強く愛し合っていることを表している)の歌なんだから、二人の男の子が浮かぶのは変なんです。おそらく“男同士の血盟”という何か元ネタがあって、私はそれをどこかで見聞きしていて、「腕に傷をつけて~」の所でそれを連想したのだと思うのですね。でも「純愛」を聴き、二人の男の子の姿が浮かぶと、私はドキドキしていました。“神聖かつエロティック”という得体の知れないものに触れているような興奮でしたね(「純愛」はなかにし礼の作詞なんですね😊)。

 プラトニック・ラブという言葉を生み出した古代ギリシャでは、男女関係は単なる生殖のためで、恋愛は少年とするものでした。男女の仲よりも男同士の関係の方が尊いとされていたのです。魂が触れ合い、天上で結ばれた愛は、生命を生み出す男女のような肉の交わりは必要ない、というのがプラトニック・ラブの真髄でしょうか。また橋本治は「友情とはセックスのない恋愛である」と言っていますね。
 とはいえ、愛している人に触れたい、一つになりたいと思うのは自然な感情ですし、心と体は繋がっています。友情が恋情に近いものであれば、友愛と同性愛の壁は、思いのほか薄いのかもしれません。

 さて、ここでまた脱線するのですが、男子サッカー界ではゲイは忌み嫌われています。なのでたとえゲイの選手がいたとしても、カミングアウトは難しいそうです。サッカー選手は、点が入ると抱き合ったり、重なり合って倒れたり、端から見ているとかなりホモっぽいんですが😁、これは飽くまでも男同士の絆の表現なのですね。男同士が連帯する世界(ホモ・ソーシャル)では、ゲイ=オカマ(女々しい奴)で、女性的な要素が侵入することは、男同士の絆を壊すものとして感じられるのだそうです。フットボールは男らしさの象徴のようなスポーツですから、ゲイなんてあってはならないことなのですね。

 ところで私は久保選手と堂安選手の関係が好きなのですが、この二人はふだんは特に仲良くはないと思うのです。ライバル意識もあるだろうし、特に堂安選手は「3コも下の久保には負けられない」と思っているでしょうから、多少の緊張感のある関係だと思うのですね。だけどピッチ上での相性は抜群じゃないですか。「男同士はこうじゃなくちゃ」という理想ですね。
 だから堂安選手と久保選手の関係が好きと言っても、変な妄想をしている訳ではありません。と言いながら、6月の代表戦前の練習初日に、ミニゲームで堂安選手が久保選手の足首を踏んでしまい、久保選手が負傷というニュースが流れてました。練習の後、久保選手の様子を見に行った堂安選手が「すまん」とか言ってる姿を想像すると、ちょっと萌えますね(こんな文章に引き合いに出されて、堂安選手も久保選手もいい迷惑でしょうね。スミマセン😅)。

追記1:「Summer of 85」ではロッド・スチュワートの「セイリング」が印象的に使われていましたね。あのクラブの場面が好きという人も多いようです。若くてミーハーだった私は、ルックスが好みではなかったので、ロッド・スチュワートのファンではなかったのですが、改めて聴くと、ロッドっていい声ですよねえ。ハスキーで(私はハスキー・ボイスが好きなのだ)。ミーハーで物事を判断すると、本質を見損なうということを今回学びました😁。

追記2:映画の中で、ランボーに捧げたヴェルレーヌの詩が引用されていましたが、原作を読む前に「イギリスの小説なら、引用されている詩は W.H.オーデンじゃなかろうか?」と予想したらビンゴ! 極めて偏った範囲にのみ知識があるというのは教養があるとはいいませんww。