もう普段では連絡も取らないし、遊ぶなんてことない友達。


でも別に仲悪がくなったわけでもなく、って友達の誕生日。


今ではSNSがあるから、なんとなく、フワっと繋がってる なんてことがある。


昔ではこんなことはなかったんだろうな。


そう思うと、自分が年取ったときに、時代がどうなってるのかワクワクするけど、怖くもある。



今日、ふと日付を見たら18日。


中学生の頃に仲良かった友達の誕生日だ。


案外覚えてるもんだなーと思った。


相手も、私の誕生日を覚えていて、誕生日にツイッターからを連絡くれた。


今では、SNSに登録してるだけで、明日は誰々の誕生日です。


と教えてくれる。


これからSNSの世界はどうなっていくのだろう。


何か近いうちにでも大きな事件が起きて、規制が厳しくなるような気がしないでもない。


本当は、気が小さくて臆病だということを隠すように


自分の言動を派手に、大きく、本当の自分が見えてしまわないように必死だった。



ここに感じたことを書いていこうと思ったのは


極端な人見知りになって、頭ではひっちゃかめっちゃかに


いろんなことを考えているのに


それを人に話そうと思うと、その「話す」という行動自体が面倒臭い。



フェイスブック、ツイッター、ミクシー。


どれも、「これは本当に話すべきなのか、いや、必要ないんじゃないか別に」


と思って、打っていた電子文字を消して何もなかったことにする。


その繰り返し。



そんなこと気にせずに言いたいことを投稿すればいいのだけど


自分のすべてを見せてしまいたくない自分がいて


でもその節度が下手で極端で


どこからどこまでを どうしたらいいか


がわからない。


私を知らない人にだったらこんな臆病な気持ちを見られても気にならない。


気にしないで自分の思考を発信していきたいと思ったから。



でないともったいない気がしたから。


自分の可能性を信じている自分を信じたいから。


「誰かにこの記事を読まれている」ってだけでいい。


コメントも何もいらないんだけど、この気持ちを誰かが知ってくれればいい


「へ~、あっそ」


でもいいんだ別に。


自分の存在価値として、ここに記したい。