これは、

ある母子の物語。


母は43歳で息子を出産した。


高齢出産。


息子は、

ちょくちょく叱られながらも、

たくさんの愛情を受けながら育った。


決してデキの良い息子じゃないかもしれないけど、

それでも母は、

多少の事には目をつぶりつつも、

たくさんの愛情を育てたつもりだった。


ある時、

息子の反抗期と、

母の更年期障害が重なった。


母は何かと虫の居所が悪く、

ちょっとした事で、

今まで息子に見せた事の無い鬼の形相で、

息子にキレた。


石油ストーブの上のヤカンのお湯を、

息子にかけようとした。


反抗期の息子は必死に抵抗した。


体力的にも勝る息子は、

その気になれば、

正当防衛として、

力でねじ伏せる事だってできた。


それでも、

そうしなかったのは、

どういう形であれ、

相手が自分を育ててくれた母親だったから。


だから、

手をあげるような事は絶対にしなかった。


その時の息子は、

感情を押し殺すしか無かった。





それ以後、

ぎこちない年月が経過したものの、

息子は社会人になり、

結婚し、

孫の顔を見せる事ができた。


父親が亡くなった後、

息子は、

独り身になった母を気遣い、

建て売りのマイホームを購入した。


しかし、

息子の妻と母は折り合いが悪く、

嫁姑問題で揉めた。


息子は、

「全てを大切にしたい」

と、

どちらかの味方に偏るような事はしなかった。


しかし、

全てを守る事なんてできなかった。


息子は、

その悔しさから自分を責めた。


さらに、

職場でのストレス、

人間関係、

妻との不仲による離婚など

様々な問題を抱えきれなくなり、

うつ病を発症した。


働けなくなった息子は、

毎月のマイホームのローンを払い続ける事が困難になり、

自己破産をする事になった。


83歳の母は、

年金での生活に加え、

新聞配達店で今も働いている。


今年で40歳になる息子は、

なかなかうつ病が寛解に向かわず、

それでも頑張っては挫折を繰り返し、

季節の変わり目には決まって体調を崩し、

生活保護を受けながら、

最低限の生活だけは送れている。


母もまた、

体力的にも精神的にも、

疲れていた。


息子から電話がかかってくると、

「何の話だろうか?」

と、ビクビクしていた。


母子共に、

少しずつ限界が近づいていた。


そして、

母子共に、

胸に罪悪感を抱いていた。


「自分の人生とは、一体何だったんだろう?」


「何故、母子共に、こんなにも苦しいのだろう?」


「何故、わかり合えないのだろう?」


そして、

「人生の最期は、どうなるのだろうか…」






今も尚、母子共に暗闇の真っ只中に居る。