無教会派の信者で指導者格の方がおられる。自分たちの考えだけが正しく、他の宗派ではダメだと考える傾向が強い宗派らしい。カトリックだけが正しいとされていた時代ならともかく、宗派の壁を越えて対話するのが主流の昨今では首を傾げるが、その流れになったのは、ここ数十年のことだから、無理もないかもしれない。
その方がクリスチャンになるには、恵みへの感謝と、罪の認識とでは、罪の認識を優先すべきとおっしゃったそうだ。どう考えても、恵みへの感謝から入り、経験を積んでから罪を認識するのが自然と思うが。私もイジメを乗り越えられた感謝から入った。でなければ、イジメられた私が悪いことになる。
そもそも、罪について力説したのはパウロだ。罪を強調するのはパウロ教だと皮肉る向きもある。主の祈りも、最初は不当に重い負債を軽くしたまえだった。キリストは、ローマ人やユダヤ教の指導者の圧政に苦しむ民衆を救おうとしたのだ。罪を犯した人を諌める場面もあったが、基本はあくまでも救いにあった。善男善女が罪を認識し始めたのは、キリスト教がヨーロッパに伝わってからの話。キリスト教は救いの宗教。自分が罪を認識するのは構わないが、他人に強要してはいけない。
(その2より続く)救いを求めて来た修道院で、私は家にいるより何倍も苦しかった。音が気になり、孤独感とも戦わねばならなかったのだから。雨の日や涼しい日は窓やサッシが閉まっていたから聖堂で祈れたし、沈黙の行を解いたシスターとも話せたが、もうダメだった。
その修道院は、知的障害者の施設や学校も運営していた。彼らが実習に来るから手伝わないかと言われたが余裕はなかった。最寄の駅前のホテルに移り、色々なミュージアムを見て数日を過ごし、落ち着いたところで前の修道院に戻ったが、またダメになった。聖堂では音が気になるから、風邪と称し屋内だけで過ごした。泊まりに来たシスターたちの話は楽しかったが、精神的に限界だと思い、苦しいが贅沢な時間を過ごした末に、予定を早めて帰宅した。厳しい残暑と、痴呆の父と遊びに来た孫の世話で、疲れきった母が待っていた。その夏は精神的に暑い年だった。
だが修道院では収穫もあった。過去に水商売をしていたという女性と意気投合したのだが、貴女はそのままでいいと思うと言われた。助言など信用しないたちだが、この助言だけは、一生の宝になった。今は、真の静けさや孤独を知ったことも恵みと思っている。
(その1の続き)宿泊施設は、お寺の宿坊のキリスト教版。談話室、図書室もあり、周辺は自然も豊か。祈りや食事の時間以外は自由に過ごせる。食事に出る自家製のパンや野菜も美味しかったし、落ち着いて祈れた。
数日後、修道院の都合で、別のもっと山の上の修道院の施設に移動。そこには、来客専用のいつでも利用出来る小さな聖堂もあった。
ところで、天気のいい日は、施設でも当然窓やサッシを開けている。すると、外で何かポンポンと音がするのが聴こえる。どこにいても聴こえる。それが気になって、さっさと食事を済ませ部屋で祈り、後は談話室か図書室で過ごし、外に出られなくなった。体を動かさないので、食事が美味しくなくなった。
施設には、よそのシスターもみえる。人によっては、自分に沈黙の行を課し、他の来客と一定期間は口を聞かないと決めている人もある。何日かの間、泊まり客はそういうシスターと私だけだった。大勢の来客を想定して建てられた山の上の施設は、夜は底知れぬ深い静けさに包まれる。私は生まれて初めて、真の静けさと孤独を知った。
私は、人の多い場所は苦手だが淋しがりやでもある。だから、中途半端な孤独にしか耐えられない。

(その3に続く)