世間は狭いなあと思った2件のお話 | 誰かのために生きる日々

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82歳お婆ちゃん奮闘記です

この3月から新規開店のお店で働いている次女。10人採用された。20代、30代、40代、50代

60代と色々な年代の女性が集まった。

 

まだ全員辞めずに頑張っている。雰囲気が中々いいと言う。それは全員が新人だからです。皆同じ立場なので先輩面をする人が居ない。

 

ある日20代の若いママから2歳と半年の子供がいながら離婚調停中と聞かされたとか。

その子の母親の実家で暮らしていた。でもお婆ちゃんが口うるさく家を出て市営住宅に住んでいるんだよと。

 

ある日その子の父親は娘の働いているお店に食事に来た。まさかその子の父親とは知らずに中学校で仲良しだった子の弟さんだったので次女は話しかけた。

 

その子はそれを見て「何でお父さんを知っているの?」と訊いた。

実はその父親のお姉さんと仲良しだったんだよと話したのでその子はびっくり。

 

なんと今度はその子のお婆ちゃんがお店に来たそうです。孫の働いている様子を知りたくて来たらしい。次女は懐かしい友達のお母さんに挨拶に行った。仲良しさんは高校卒業後都会に行ったので会えていない。

 

まさか同じ職場の若いママは自分の父親やお婆ちゃんを知っているなんてと驚いた。

世間は本当に狭いね。

 

 

 

実は長女の結婚も世間は狭いでした。実は私たちは結婚当初は静岡市に住んでいました。

後から色々知ってびっくりしたお話です。

 

それは婿の実家はお布団屋さんでした。あの頃は景気が良かった。お金持ちです。隣の町内に住んでいたので保育園がわが家の長男と同じでした。

 

婿になった子は2歳上。わが家の長男と一緒になることもなかったので母親(後の長女の姑)とも面識がなかった。

 

10年後私達は焼津市へ。

 

長女は勤務していた会社の人たちとスキーに行くために静岡駅で待っていて婿に見初められた。

婿も仲間とスキーに行くところでした。婿はスキ―が上手い。

 

若者同士同じスキー場でまた会った。教えてもらったのが縁だった。そこから付き合いが始まった。婿は布団屋を継ぐためにふとん学校(あるんだよ)へ。ところが父親は競輪にはまり借金をした。

 

結局布団屋は廃業。婿家族はバラバラになった。両親は借金の関係もあって離婚。

婿はわが家の爺ちゃんが就職先を紹介。それから結婚し母親を引き取って娘たちは3人で暮らし始めた。

 

父親は親せきの家に住みながら親戚のお布団屋を手伝いながら生活していたが白血病で亡くなった。

 

県民共済に入っていたので籍を戻しそのお金でお墓を焼津市に用意しわが家の隣のお墓に眠っている。

 

世間は狭いなあと感じた2件のお話でしたがつまんなかったかな。

 

まだまだ暑いですね。コロナもインフルエンザも増えているそうです。でもお相撲の中継を見ているとマスクなしが多い。まだまだ人混みを避けて生活している身として心配になります。