おばあちゃんの縁側日記(ではない) | 五月の風

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以前、おばあちゃんと縁側で月見をした話をしたけど、
今日はその家について。

その家はおばあちゃんがお嫁にきたときに建てた家。
でもおじいちゃんは戦争に行ったときのなにかが原因で30代で亡くなった。
そのあとお姑さんと子ども二人と共にずーっと住んでた家だ。
娘であるわたしの母も嫁に行ったものの、なんでかまた旦那とともに戻ってきてサザエさんちのようにその家に暮らしてた。
だからわたしもその家で育った。
母の弟であるわたしの叔父は高校卒業とともに静岡に行ったっきりそこで結婚してそのまま。

家を建てたのは、たぶん昭和10年代だと思う。
それで、わたしが娘を産んだ年に建て替えた。
だからたぶん50年くらい住んだんだね、おばあちゃんは。
だから、今実家に帰っても、その家はない。
これは、寂しいね~(TωT)
よくあることだとは思うけど。
なんとなく居場所がないんだな。
わたしの部屋だったところもないんだし。
まあ、あの縁側もないし(´・ω・`)

あ、この古いほうの家はとても変わった造りだったんだ。
木造の2階建てなのは普通だけど、2階へと上がる階段が2箇所あって、その2階の部屋どうしはつながってないの。
なんでかっていうと、人に貸してたの。
片一方は2部屋あってわたしのお父さんが住んでた(?)

もう一方は4部屋あってどこかのおじさんとおばさんが住んでた。わたしは夫婦だと思ってたけど、よくよく考えたら苗字が違ってた。でもなぜか不思議に思わなかったな。
そこのおばさんにわたしは可愛がってもらってて、たまにお部屋に呼んでくれてお菓子をご馳走になったりしてた。おじさんが描いたおばさんの絵が飾ってあった。おじさんは少し片足が不自由で、でも片足で器用に自転車をこいで仕事に行ってた。
今思えば、なんだかわけありでロマンチックな雰囲気むんむんなんだけど、なにしろ記憶ぎりぎりのちっちゃい子供だったから、あまりなんにも考えてなかったなあ。
いつまで人が住んでたかなあ?小学校高学年のときはもう誰もいなかったかなあ?
そのおじさんとおばさんは一番最後にいた人で、その前にもいろんな人が住んでた。

覚えがあるのは、お寿司やさん。
1階の1部をつかってお店をやってた。で2階に住んでたんじゃないかなあ。
うちは駅の近くだったからお店をやるには良かったんだね。
お寿司やさんのおじさんにも可愛がられてて、魚を仕入れに行くのに連れていってもらったりした。
トラックの助手席にすわって。うちの父は車を運転しない人だったから、このトラックに乗るのはちょっと嬉しかった(‐^▽^‐)
あとは、できたての寿司ごはんをもらって食べたのをよく覚えてる。あったかい酢のごはん。おいしかった。
そのお寿司やさんは、今はうちの近所でちゃんと自分のお店を建てて商売してる。

お寿司やさんの前はわたしはもう記憶がぼんやりなんだけど、赤ちょうちんみたいな飲み屋さんのときもあったと思う。
美容院のときもあったような。

あと、親戚の男の子を預かってたこともあった。
小さいときはまわりにいろんな人がいた。

それなのに父は生活空間が別で普段一緒に食卓を囲むことはなかった。
一緒にご飯食べるのは大晦日だけ。
同じ家には住んでるんだけどね。
今思うと、なんだか変だヽ((◎д◎ ))ゝ
でも、そういうもんだと思って育っちゃった。
まだまだいろいろあるけど、長くなったから今日はこのへんで。

それに比べると、今のわたしは、なんでこんなふつ~の平凡な家庭を築いちゃってるんだろうかな~
おばあちゃんになったら、冒険に出かけたいな~(-^□^-)


※今日はだらだら長いので字を大きくしてみました。

生まれたところを遠く離れて