私はメンタルが弱い。

そう思ってずっと生きてきた。

多分だけど今もそうだけど、常に最悪の状況の未来予測をしてしまって、上手くいく予想も見えなくは無いのに最悪のとこからフォローすることばかり考えてしまっている。と、分析してみる。
大体は最悪の状況てのは起こり得ないんだけど(らしい)そこからリスクを減らす方法やら、安全に進める方法やらを突き詰めてばかりで思い切った事が出来ない。

そこに加えて自分の立場やら周囲の目やら意見とかがこんがらがっちゃって本当に訳がわからなくなってしまう。

周りの目とかってのはおまけの部分で本質的な物は自分の捉え方考え方がよろしくない。それも分かっていながら出来ない。

出来ないのはただの言い訳、甘え、ズボラ的な部分が大半。

けれどそのダメな自分を責めてばかりもまた良くない。ネガティヴの無限ループでとことんまでさがってしまうだけだ。

ダメな自分と出来る自分。
調子がいい時はそのバランスか結構とれている時で、傍目から見るとかなりいい感じっぽくなってるけど中身は結構ダメな時と変わらなかったりすると思われる。

結局は他人の思うイメージの、調子のいい自分を中身の心とかは関係なしに延々と演じ続けているだけなのです。

今はそれに疲れてしまっている。

それなのにまだ懇意にしてくれている方たちには、弱りながらもそういう調子いい自分を演じてしまっている。
失いたくないから。

ひょっとしたらかもだけど、その仲間たちの前ではそれが素の自分なのかもしれない。どちらが本当かの判断は自分でも付かない。
結局失う訳にいかないからこれからもずっとその場面では調子のいい自分で居続けるだろう。
苦痛にならない限りは。

これからどうするかを考えてみる。
やりたい事と現実のギャップを埋めていく生き方が理想的であり世間的にいうバランスの取れた人生なのだろう。

そうではなくどちらか一方。例えばやりたい事全振りならば安定志向とは真逆でリスクを背負って生きていく。極端な話明日食う飯、寝床に困っても仕方ないと思うか?思わん。
単身ならアリだけど家族を巻き添えには出来ない。
全振りするなら資金力がしこたま要る。

では反対。現実重視で己の心や信念、誇りはいくらかは蔑ろにしていわゆる社畜となるか。
なる人もいるだろうが全部が全部そうはできない。
し、社畜なれど不安要素は沢山ある。トップ層の舵の切り方一つで最下層の社畜はすぐに終わる。と言いつつも結局何処かに勤めるのって結果楽なのではないかと最近思うこともある。保険だったり補償とか補助とか受けやすいのは組織に入っとけば間違いないだろうから。楽だから各種理不尽は目をつぶれかなあ?不当な評価、パワハラモラハラ沢山ありすぎだしそれが全く無いですという会社がまず無い。

ならばどうしようかねえと考える。
正解例(成功例)が身近に居ないので、と言い訳する。
ひとつひとつやっていく事とする。
メンタルをなんとかせにゃいかんと思い検索。

"鋼のメンタル"でヤフググル。
一冊の本が出てくる。
ゴリラ式?表紙のやつ強そう。とりあえず試し読みしてみる。
読み易く楽しそう。Kindle版をポチる。


心のゴリラと対話する。ゴリラはいつも強い。おおらかで仲間思い。そして本能のままに行動する。
人は本能のみでは生きていけない。かといってあまりに自分を押し殺すと壊れて行く。そこでゴリラの出番。自分の心のゴリラと対話。

まさに今の自分にピッタリの本でした。
出来てないけどメタ認知頑張ります。


心に(ゴリラに)従え