R6年3月27日(水)

 

2024年3月4日未明、主人公・まる子の声優を務めてきたTARAKOさんが永眠されました。

このショッキングなニュースが流れたのは数日たってからの事。

体調が優れないも車椅子に乗り、声優業に勤しんでいたと言いますから、無理が生じたのかもしれません。

でも、「まる子」の声は誰もが真似られない独特さがありましたので、代役がきかない声優業の厳しさでもあります。

 

1990年(平成2年)1月7日の放送、念願のTV放送開始。

既に単行本は売り切れ続出していた「ちびまる子ちゃん」だけに、世間の期待・話題は高まり・・。

とりわけ「まる子」の声に対する関心は高かったように記憶しています。

第1話の冒頭で・・「私はさくらももこ、清水市に住む小学3年生・・」と声が流れた時、「まる子」=「TARAKO」の声がぴったしすぎて驚きました。

「ちびまる子ちゃん」が長期連載の人気アニメとなった裏には、「TARAKO」さんの存在があったと思います。

(無名に近かったTARAKOさんが抜擢された理由は、原作者さくらももこさんと声が似ていたから・・と言われています)

 

大学を卒業後、第二期「ちびまる子ちゃん」が始まりましたが、初期の絵柄や内容は消えて、作られたエピソードや仲間たちとなっていたのは残念。その為か・・あまり見る機会を失っていきました。

 

今から20年ほど前・・松山市内の文具屋さんが店じまいを行った際、売れ残り品の中に、放送開始当時物の「ちびまる子ちゃん」グッズがあったので安価で購入。

使用目的ではなく、当時の思い出グッズとして、今も倉庫の中に入っています。

初期の「まる子」の表情は、簡素化されながらも小学3年生らしさがあり、個人的には気にいっています。

 

こちらは、当時、何かの懸賞品?粗品?だった記憶があります。

記憶が正しければ非売品となります。

表情といい、仕草といい・・こういった小学3年生らしさが「まる子」の魅力です。

初期の「ちびまる子ちゃん」の画風に思い入れがある理由でもあります。

 

小学3年生は9歳にあたります。

小学校にも慣れて、ちょっとお姉さん気分になったりして・・。

純粋で一番楽しい子供の時間・・それが小学3年かもしれません。

 

「さくらももこ」さんは、うさぎ・猫・小鳥・小魚の絵が好きだったように思います。

単調な描き方に見えますが、この物語にあった描き方は、流石プロだと思います。

 

初期当時に売られていた箱の中身は・・。

 

湯呑と茶碗のセットでした。

 

泣いたり・・笑ったり・・やはり初期の「まる子」画は良いですね(笑)

 

茶碗の中には魚の絵が。

小学3年生の描くような魚・・良いですね(笑)

 

色々な表情・・動き・・小学生らしさが感じられます。

 

ちょっと寂しそうな表情・・。

実は、この表情こそが「さくらももこ」さんの本性みたいです。

当時の某番組内で、「ちびまる子ちゃんで出てくるモデルをさがせ」の企画があり、はまじのモデルの方(永眠されました)とか数人出ていました。その時、さくらももこさんの思い出は・・と聞かれた際、「決してアニメのような明るくてクラスの中心的な存在ではなく、どちらかと言えばクラスの隅で絵を描くような子だった・・」と話されていました。

 

1990年(平成2年)といえば、伝説の「バブル経済」です。

実は既にバブル崩れは始まっていたのですが、誰もその後訪れる不況など考える事もなく、好景気にわいていました。

日本中、どこに行っても人・人・人。

今の時代と違うのは、この溢れる人は日本人が中心である事。

外国人観光者もいましたが、「日本人が中心とした好景気」こそが、バブル経済の特徴でもありました。