R6年1月31(水) 晴れ

帰宅時、月刊スカパーガイドを買うつもりで、松山市内の本屋さんに立ち寄ると、スポーツコーナーに「Gスピリッツ テキサスの荒馬 テリー・ファンク」が売られていました。

表紙は1977年(昭和52年)12月に行われた、「ザ・ファンクス VS ブッチャー&シーク」の一コマ。

この一戦でテリー人気に火がつき、日本全国どこに行ってもアイドル以上の人気者となりました。

最近はYouTubeでも、往年の裏話を語る番組が増えましたので、テリーの新しい魅力やエピソードを楽しむ事ができます。

 

日本プロレス時代から来日していたザ・ファンクスでしたが、ジャイアント馬場が全日本プロレスを旗揚げした時、意外にもテキサスプロレスと馬場との関係性は薄かったようで、ファンクスと交渉したのは「マシオ駒」だったようです。

またサムソン轡田とか、妙に深い人脈をもつ者が多く、これら協力者に動いてもらう事でより強固な協力関係が生まれたのだとか。

ファンクスやマスカラス・ブラザーズの活躍により、ちびっこや女性ファンも増える中、昭和50年初期、最高のヒールは「アブドーラ・ザ・ブッチャー」でした。

某YouTubeの番組内で、グレート小鹿が「ブッチャーを発掘して送り込んだのは俺!」って言ってましたが、当時の全日本プロレスは、個性的なレスラーが多くてドキドキ・ワクワク感がありました。

 

テリーは全日本プロレスのブッカーでしたが、勢いにのる新日本プロレスをけん制する為、試案の日々。

そんなある日、ホテルでブッチャーと食事を摂る際、思いついたのが「フォーク攻撃」だったのだとか。

狙いは的中し、悲鳴が飛び交う中、日本のファンはファンクスに熱狂。

またブッチャーも帰国できない程の人気者となり、CMにも出演。

ファンクスやブッチャーをモデルにした少年漫画も多数発売されました。

極めつけは「キン肉マン」にでてくる「テリーマン」。

確か・・キン肉マンをかばって足を撃たれて義足となると、意地悪なきんこつマンやイワオに義足を奪われたりと散々。

そんな弱さがまたもや人気キャラを高め、この漫画にはなくすことのないキャラとなりました。

 

納豆も食べる「日本人らしくないアメリカ人」であるテリーですが、熊本巡業で、馬刺しを食べた(食べさせられた)時は、まじギレしたとの事。テキサスで馬は家族同様。日本人だったら「犬」や「猫」を食べさせられた感覚かもしれません。

2023年(R5)8月23日 永眠(79歳)