メジャー通算15年。二桁本塁打達成は12回。通算1789安打 256本塁打という実績をひっさげ、1989年(平成元年)にヤクルト入団した大物助っ人。モントリオール・エクスポス時代の1978年には、3イニング連続ホームランという離れ業をみせる等、名の知れた名選手ではありましたが、当時は野茂フィーバーが起こる前であり、日本の野球ファンにメジャー・リーグは馴染みが薄く、「36歳になる有名メジャー選手が入団」という程度の、極有触れた入団でした。
ところがヤクルト入団会見で好きな食べ物を聞かれて、話は一変します。好物は「ワニ」と答えた為、会場は大騒ぎ。
パリッシュ談=「フロリダでは普通に食べるワニの肉だ」
事実、フロリダでは脂肪分の少ないワニ肉を普通に食べているようで、人気の食材なんだとか。
しかし日本では馴染みのない食材であり、ましてワニは動物園でしか見れない恐ろしい生き物ってイメージ。
この記者会見は瞬く間に報道され、以後彼の綽名はゲテモノ食いの「ワニ男」となってしまいました。
こんなエピソードにより、話題に事欠かないままシーズンに入りますが、日本初年度にもかかわらず打棒が大爆発。
130試合フル出場(当時はシーズン130試合制)を果たし、132安打 42本塁打 103打点 長打力562 打率268 の好成績をあげ本塁打王を獲得。2度の月間MVP(5月・9月)、ベストナインに選出される大活躍。
マスコミは連日のように「ワニ・パワー」として報道した為、ワニ肉を扱う店は大繁盛。全国の居酒屋や焼き鳥店でも急ぎメニューに加えられる程の話題ぶりでした。
(ワニ発言があった時、東京都内でもワニ肉を扱う店は1軒しかなかったそうですが、その後一気に広まります。ただブームが去るとワニ肉を専門的に扱う店は殆ど残っておらず、いかにパリッシュによる話題性が凄かったのか物語ります。)
人気者+本塁打王の実績があれば、当然翌年も残留となるはずですが、1989年オフに野村克也新監督が誕生するや状況は一変します。
野村新監督談=「いくらタイトルを獲っても三振が多すぎる。確実性のない奴はいらない。」
結局残留とはならず、本塁打王を獲得しながら退団となった珍事により、またも話題となりました。
当然ながらヤクルトファンは猛抗議しますが残留は認められず・・。
野村新監督は「確実性のない奴」を理由としましたが、パリッシュは血の気の多い助っ人で、三振した後はベンチで暴れる事も多く、ストレス解消の為「ラリー君人形」なるサンドバッグが置いてあった程。
ベンチ側としては扱い辛い助っ人だったのかもしれません。
1990年(平成2年)は阪神でプレー。
ヤクルト入団時、1億1千万円(推定。1億円との説も有)だった年俸は、1億4千万円にアップ。
時はバブル景気の末期ながら、日本人選手でも1億円超は少なく、自ずと阪神ファンは年俸にあった活躍を期待します。
パリッシュは期待に応え、打率こそ低いものの、本塁打・打点ともに好調をキープ。
同年のオールスターに選出された他、8月時点でホームラン単独首位であり、阪神ファンは「二年連続・本塁打王なるか」の期待を抱きながら応援しました。
ところが・・8月27日「古傷の膝が悪化」を理由に突然の引退。唖然とする阪神ファン。これまた話題となりました。
現役引退後はデトロイト・タイガースやアトランタ・ブレーブスで打撃コーチ。
(1998年~1999年は、デトロイト・タイガースで代行監督に就任)
巨人・斎藤雅樹投手のカーブが苦手で、斉藤が登板となるのを恐れていた話は有名。
(メジャー屈指の打者が恐れた斉藤雅樹投手の凄さを、改めて感じます。)
1953年11月生まれですので、70歳(R6年1月時点)となりますが、190cm 100kg の巨体は健在のようです。
=通算成績=
(メジャー)・・1789安打 256本塁打 992打点 30盗塁 打率263
MLBオールスター出場2回
(日本) ・・ 227安打 70本塁打 183打点 2盗塁 打率260
本塁打王1 月間MVP2回 オールスター出場2回
★日米合算 2016安打 326本塁打 となる為、日本名球会条件である日米合算2000本安打をクリアしています。