R5年2月14日(火) 曇
「聖バレンタインデーはキリスト教圏での祝いで、主に欧米で毎年2月14日、カップルが愛を祝う日とされている。家族や親友などと祝う人もいる。非キリスト圏である日本では、伝統的に ” 女性が男性にチョコレートを贈る日 ” とされてきたが、これについて国内で批判や不満が多く、近年は大きく変化している。日本、中国、台湾、韓国では、バレンタインデーに派生して、ホワイトデーが存在する。」(ウィキペディア参照)
昭和50年中頃、クラス・・というよりも学年で人気者だった二人の女子から貰ったチョコが、「きのこの山」と「たけのこの里」でした。当時の私は、勉強、スタイル、運動・・も含め、フェースも性格も平凡。どこにでもいるような男子でありましたが、唯一の取り柄は、人並み以上に「足が速かった」事でした。
今のように遊びがデジタル化していない昭和の子供たちは、外遊びをする機会が多く、足の速い子は何かと優遇され、女子や下級生からも一目置かれていました(笑)
陸上大会で入賞を果たすと、全校児童が集まる中、名前を読み上げられ壇上に上がり、校長先生から賞状と副賞を手渡しされるのですから、全校児童に名前が売られるのも当然と言えば当然だったわけです。
あれから40数年が経過・・・。今人生を振り返ると、一番の絶頂期はあの頃だったような・・??
その後の人生を考えると、楽しくもあり、嬉しくもあり。懐かしき良き思い出話です。
そんな思い出深い「きのこの山」と「たけのこの里」って、今も現役で売られているのですね(喜)
仕事で立ち寄ったスーパー入口に置いてあるのを発見。人気者の女子「Mちゃん」「Fちゃん」の事を思い出しながら、思わず衝動買いしてしまいました(苦笑)
今や齢50半ばの私にチョコをくれるのは、職場の女性からの義理チョコと、嫁&10歳娘だけ・・かと思ったら、なんと!今年は10歳娘からのチョコは無く・・でした(寂)
翌日、催促気味に話しかけると、「ああゴメン。忘れてたわ」とケロリ返答(苦笑)
そして、このブログ用に買った「きのこの山」と「たけのこの里」を目ざとく見つけていたらしく、「あれ、食べちゃった。美味しかったよ。また買ってきてね」との事(呆)
懐かしき思い出の「きのこの山」と「たけのこの里」・・令和に入っても大人気。嬉しい限りです。
いつまでも愛されるお菓子であり続けてほしいものです。
昭和のお菓子って、いつの間にか発売中止になっていたり、復刻版が発売されたり。
そんな激戦のお菓子業界にあって、この二大お菓子は流石の人気商品ですね。
「きのこの山」は昭和50年に発売されました。
昭和50年といったら、巨人軍の大スター「長嶋茂雄」が監督に就任。
なんと!球団初の最下位でシーズンを終えた年にあたります。
漫画「ちびまる子ちゃん」の舞台も昭和50年。「古き良き時代」でした。
「きのこの山」はチョコとクラッカーの組み合わせ。
サクッとした食感にプラスされ、チョコが口の中で溶けると絶妙な美味しさに。
でも一番のメリットは、クラッカーにより手がチョコで汚れない事かと。
スマートフォンの時代ですから、これって消費者にとって凄く有難い利点だと思います。
「たけのこの里」は昭和54年、きのこの山の姉妹品として販売開始。
昭和54年頃と言えば、TVをつけたらピンクレディー一色。私も大ファンでした(笑)
但し、ピンクレディー人気もこの年あたりから下降・・。
松田聖子がヒット曲を連発。1980年代アイドルが続々と売り出され・・
昭和55年、ピンクレディー、山口百恵、王貞治といった大スターが引退。
今の時代の幕開け(分岐点)は、1980年(昭和55年)だと思っています。
ちなみにクラスでも「ミー派」と「ケイ派」にわかれ、学級会の討論??を行った事がありました(笑)
同じく「ガンダム派」と「宇宙戦艦ヤマト派」、「ウルトラマン派」と「仮面ライダー派」も存在(笑)
今考えてみれば、ビームライフルと波動砲、どっちが強いとか、どうでもよい事ですが・・当時の子供たちにとっては気になる話だったのでしょうね(苦笑)
ビターチョコ+クッキーの組み合わせが良いですね(笑)
ビターが甘さを調整して、独自の美味しさを醸し出しています。