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ブル中野・・・。 ニックネーム ”女帝”  身長170cm 体重118kg(全盛期)
「アントニオ猪木のように、悪を懲らしめる正義のレスラー」を目標に15歳で女子プロ入り。 ところがダンプ松本に誘われ役回りは悪役。 「どうせ悪役するのなら、怪獣みたいになってやる!」 と男性ホルモン注射にまで手を出すプロ根性。 それが自身に合っていたのか・・・ スケールのデカさで女子プロ界を牽引し、ダンプ引退後は ” 獄門党 ” を結成。 ちなみに10代にして月給約70~80万、年収は1000万前後・・ WWE移籍で世界女子王者時代は1試合で数百万・・ 年収は億を稼いだと言いますから、いかに当時のブル中野が売れっ子だったかわかります。
 ( 番組=「しくじり先生」 に出演 本人談 )

そんな絶対悪役王=ブル中野の ” 獄門党 ” 一員であったバイソン木村が、アジャコングと組んで反旗を起こしたのは何故か?? 当初はマンネリを防ぐ為、フロントが仕向けたいつもの手段程度に思っていましたが、H26年にベースボールマガジン社が発行した 「女子プロレス60年史」 におけるアジャコング談によって、その真相が明らかになりました。

アジャ=「デビュー当時はクラッシュ・ギャルズの全盛期。全日本女子プロへの入門希望者は半端なく、もの凄い倍率だったので、合格者は夕方のニュースにも出た程。 だから学校に行くとチョー有名人になっていて(笑) 卒業する時は ”おらが村の英雄” 扱いで送り出されました。 初日から想像以上のキツさに驚き、母親に ”帰りたい” って泣き付いたら ”帰っておいで・・” と言われて。 みんなに期待され送り出された手前、逆に恥ずかしくなって ”やっぱ、頑張る!” になっちゃって・・(笑) どこに行っても会場は満員御礼。 それが数年続いた後、長与さん、飛鳥さんが続々引退・・。 すると嘘のように会場は閑古鳥。 っとなると会社(全日本女子プロ)は次のスター探しを始めますが、何故か私たち昭和61年組にはスポットが当たらず、後輩の豊田真奈美とかにいっちゃったんです。」

アジャ=「そんな中、立野記代さんが辞められ、中野さんが本当のトップになって。中野さんは ”ベビーフェイスが上がるには対抗馬の悪役が強くなきゃいけない” と凄く頑張っていて、” ああ・・中野さんは凄いな ” と感心しっぱなし。 中野さんは真摯にプロレスと向き合っていたし。 私は中野さんの付き人もやっていたから、” その内またクラッシュのような存在人が出るだろう ” って甘く考えていたんです。 」

アジャ=「ところが、私より危機感を感じたのがバイソン木村だったんですよね。 彼女は同期ながら入門時、4つ年上の19歳だったので、5~6年で定年なんですよ。(当時、全日本女子プロは25歳定年制だった) その分危機感が強い上、同じくクラッシュに憧れ入門しながら、彼女は元々が悪役志望だったから喜んでヒールをやっていた。 だから憧れた世界で何もできない歯がゆさがあっただろうし・・。 中野さんの対抗馬が出てこないなら、自分が対抗馬になろうと動きだしたんです。」

アジャ=「私からすると ” バイソンは何トチ狂ってんだ?” の思い。 そうこうしているうちにバイソンが中野さんに喧嘩売り出しちゃって。 中野さんからも ” バイソンはどうしたんだ? ” と聞かれた程。 だからバイソンに聞いてみたら ” このままじゃ、いつまでも下のままだから ” って言うし。そこそこのポジションにいるし、別にいいんじゃないの?って聞いても ” 納得いかない ” と言うし・・ バイソンの反旗は相当に意志が強かったですね・・・」

アジャ=「バイソンはどんどん反抗的になり、獄門党の中はギスギス。 私は中野さんの付き人だし、面倒な事に巻き込まれたくなかったし。 そしたらバイソンが会社(全日本女子プロ)と正式に話して、別(獄門党以外)でやりたいと。 そこでボロッと ” アジャと二人で頑張ります ” って言うのを聞いて、なんで私?? って。 すると会社側も、” そうか、じゃあ頑張れ ” となるし・・。 私は波風立てたくない主義なのに巻き込まれた状態。 会社側が中野さんに、”バイソンがこう言っている” って話した時、中野さんは ” そうですか。でもアジャは出しません ” って言ってくれましたが、バイソンはリングの上で ” これからはアジャとやっていきます! ”宣言。 だから中野さんとの抗争が始まったのも、完全な事故なんです。 当時の中野さんはヒールのトップというより女子プロのトップ。 そこに二人で喧嘩を売るって事は周り全員を敵に回すわけです。 でもバイソンとは考え方が別次元。 私はバイソンみたいにトップ目指してとか、お客さんを増やしてではなく、やるか・やられるかだったからしょうがないけど・・」

これがバイソン&アジャコングのコンビ 「ジャングルジャック」 結成までの真相です。
プロレス団体に流行りの集団抗争・・ 一見、抗争(話題作り)による客寄せパンダかと思いきや、実は生き残りを賭けた真剣一本勝負だった事が判明。 「どうせやるならトップを目指して這い上がりたい」 バイソン木村のプロ根性に脱帽です。(ベースボールマガジン社 女子プロレス60年史 及びその他資料を参照)