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巨人一筋20年・・・ 一軍ベンチ入りの回数は、強者ぞろいの巨人軍において、川上や長嶋よりも多い歴代4位。 しかし、同時期には森昌彦がいた為、V9戦士でありながら万年補欠。 
当時の捕手は、今風の 「打って、守って、走れて」 ではなく、「打てなくても好リードのできる者」 が良い捕手像であり、森と同じバッティングレベルの吉田は長年に渡り、二番手捕手として地道に貢献してきた貴重な存在でもありました。

市立神港高校時代、1963年の選抜甲子園大会に出場。 準決勝まで進出するも、下関商業・池永投手の前に敗退。 翌年は地区予選で敗退。 1965年(昭和40年)に巨人軍へ入団。 当初4年間はファーム中心でしたが徐々に認められ、1969年(昭和44年)には56試合に出場するに至ります。

転機が訪れたのは、森が引退する1974年。 実に入団から10年経過しての事。 
この年から森にかわって、森以上にマスクをかぶります。
以後、巨人の正捕手として一軍固定されると、1976年(昭和51年)にはオールスター出場。 地道な男が三塁打を放ち、オールスターMVPを獲得。 更に1977年もオールスターに出場。 これによって、昭和50年代初期の巨人軍捕手といえば吉田・・・ っといった印象が強まった感がします。

ところが・・・ そこは名門・巨人軍の壁。 1978年、鳴り物入りで山倉が入団した事で、またも出場機会が激減。以後、山倉の控え捕手となり、1982年には選手兼任のバッテリーコーチ補佐して、裏方で巨人軍を支えます。 

1984年は一度も一軍登録がないままオフに引退。
引退後は巨人フロント陣に加わり、2012年、横浜DeNAの編成・スカウト部長に就任。 現在68歳。 まだまだ野球への情熱は捨てきれないみたいです。

 = 通算成績 =
 476安打  42本塁打  199打点  打率235
 オールスターMVP1回   オールスター出場2回