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「レトロ」って言葉は時代背景と密接にかかわっており、昭和33年に長嶋茂雄がデビューするまでが、プロ野球界におけるレトロかな?って思ったりします。
長嶋誕生後の日本は高度経済成長の波にのり、様々な分野で現代化していきますしね。
 
そんなレトロ・プロ野球の末期に現れて一瞬の大活躍を見せた選手が、町田行彦です。
1952年、長野北高校(現・長野高校)から国鉄スワローズに入団。 当時の国鉄は素人の上クラスといったレベルで、まさにセのお荷物球団。 なんといっても球団誕生時、プロ経験者がたった一人だったというのですから驚きです。 結果、金田一人が注目を集めますが、年々実力者が育ち、才能豊かな若手を育てるうまさは、現在のヤクルトにも引き継がれているように思います。
 
町田は1955年(昭和30年)、31本塁打を放ち、セ・本塁打王に輝くと、1959年(昭和34年)にはサイクル安打を記録。 「西の中西、東の町田」と言われたホームランバッターでしたが、見た目以上の俊足でもあり、現役14年間に対してシーズン二桁盗塁は7回。 1954年=17盗塁、1958年=28盗塁、1059年=14盗塁と、高い盗塁率を誇りました。
 
しかし、ホームランバッターにつきものである激しいスイングによって腰痛が悪化、1964年、国鉄スワローズを自由契約。 翌年テスト生として巨人に入団。 27試合、25打席で2安打と結果を残す事ができず、この年限りでの引退となりました。
 
一時代を築いたヒーローも、平成25年6月現在において、御年79歳になられます。
夢の昭和30年代・・・。 古き過去の時代になっていくようで、寂しさを感じますね。
 
 = 通算成績 =
 913安打  129本塁打  459打点  盗塁133  打率233
 本塁打王1回  ベストナイン1回  サイクル安打1回  オールスター出場3回