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昭和30年代~40年前期は、戦争色こそ薄れてきたものの、依然として 「国賊キャラ」 ともいえるショーマンレスラーが多数存在し、その代表レスラーがグレート東郷。 流智美のレトロプロレスで、東郷の試合を見ましたが、ワンパターンの中に、ファンを魅了させる技?や小細工がしこまれており、当時のアメリカ情勢なら人気があった理由がわかります。
 
その東郷と同じく 「東洋の悪魔」 としてアメリカマットで活躍したのが、プロフェッサータナカです。
ブルーノ・サンマルチノとの抗争では、「顔面塩なすりつけ攻撃」を行う等、東郷スタイルで大暴れ。
 
しかし、見せかけのショーマンだとは言い難いタイトル歴を誇り、1966年、68年に2回、IWA世界王者(オーストラリア版)に君臨すると、1970年には、鉄の爪・フリッツ・フォン・エリックから2度にわたりアメリカンヘビー級王座を奪取。 1972年、73年、77年にはWWWF世界タッグを奪取。 更に1975年には、アブドーラ・ザ・ブッチャーから、ジョージアヘビー級王座を奪取して、大物レスラーの仲間入りをはたしました。
 
日本では1974年、全日本プロレス「新春NWA」に参戦し、ジャイアント馬場のPWFに挑戦する他、1978年には国際プロレス「日本リーグ争覇戦」に参戦。 決勝でラッシャー木村と対戦し、敗れています。
 
さて、このプロフェッサータナカですが、日系人かと思えば、実はハワイ出身フィリピン系との噂が。(他にも、タイ民族出身説あり) トール・タナカ だの タロー・タナカだの、いかにも日本人らしい名前をリングネームにつけていましたが、その正体は???
 
昭和48年発行のプロレス入門に、タナカの紹介がされていたので名前は知っていましたが、試合を見た記憶がないので、その実力の程はわかりません。 オールドファンの方ならば、プロレス引退後、悪役映画スターに転向した事の方が、記憶に残っているかもしれませんね。