お久しぶりです。


イカのお寿司ですか?



‥‥

真顔いかがお過ごしですか?ね






まーこです。


久しぶりに開いて
何か書こうとしても
指が止まります。



今年の夏
我が家は初盆でした。





5月の末
コロナ騒ぎで
我が田舎もマスクがなくなり
病院の面会もできなくなった頃

私のお母さんが亡くなりました。



子宮頸癌でした。




去年の年末
病院に行った時には
もうステージ3のB。


抗癌剤治療と
放射線治療をして

年明け家に帰ってきて
ほぼ寝たきりになりながらも
うるさい孫達と楽しそうに
過ごしてました。




先生の説明の通り
半年後には
たくさんの治療の副作用が出て
体力のない母は
やはり
日に日にやつれていきました。



自宅で過ごしてたけど
元々脊椎の病気で
あまり歩く事ができなかった母。

トイレも行けなくなって
オムツになって
食事で
座る事も辛くなってきました。


病院の面会が厳しくなってきた頃



熱が出てキツイからと
近くの病院に入院して

会えないまま3週間。

お腹が膨らんできたと
電話があって

病院に行って面会をお願いして

会った時には
もう瀕死の状況でした。



大きな病院に移り
緊急手術。

ICUに3日。

その間
1日1回の面会。

優しかった母は
看護婦さんに
かなりの暴言を吐いていました。



ここの看護婦は
みんな嘘つきだ


殺される

騙された




そんな事を言ったり



見積もりできた?

なぜか家の改装をする話をしたり


明日はお葬式だね。
まだ生きている
おばあちゃんの事を話したり。


かなり混乱してました。



一般病棟に移り
しばらくは特別室に入院。


腹水が溜まり
腹膜炎を起こしていた母は
大腸に穴が開き
手術で人工肛門をつけてました。

そのうち小腸に穴があき
食事は取れず


痛み止めと点滴のみ。


何度も延命治療の話し合いを
しました。


先生は

延命治療は
心臓が止まった時点から
する治療です。

テレビなどの影響で

植物状態で何年も生きているとか
を想像されると思いますが

せいぜい
10分。

心臓マッサージなら
もって5分。


苦しめるだけなんですよ。




残るのは
ここまでしてあげた
という
遺族の満足感だけです。




もう、十分がんばったお母さんに
頑張ってとは
もう言えない。


延命治療は
もうしない事にしました。


痛み止めだけの治療で
もってあと1週間です。と言われ

姉も兄も私もお父さんも
毎日病院に行って
交代で泊まりました。


はじめの3日は
まだ話は出来て

部屋にハチが居ると言ったりも
してましたが

そのうち話もできなくなって

朝から夕方まで
目を開かなくなって


夜中に目を開けたと
その日の泊まりだった兄からの
LINE。


開けたんじゃなくて


開いたんだよ。



なんて言えなかった。




朝から急いで病院に行った。


瞳孔が開いていて
反応はない。


耳は聞こえてますから
話かけてあげて下さいねー!

の看護婦さんの声にも


本当かよ

疑ってしまったりした。


昼になり
よく飲んでいたコーヒーを
少し舌につけてあげたいと
看護婦さんに相談。

コーヒーを買いに行ってもらった。



そしたら
お母さんが
開いていた口をグッと閉じた。


あれ?っと思ったら
看護婦さんが
バタバタと走ってきた。



脈の感覚が開いてきました。

お父さんに電話して
戻ってきてもらってください。


と。





そこから
ほんの5分。
いや、3分だっか10分だったか。


本当
ぽっくりと逝ってしまった。





化粧をしてあげたり
着物を探したり
遺影を探したり


葬式の準備は
バタバタで

その忙しさは
ありがたかった。



娘達は
ばあちゃん
花嫁さんになっとる!
可愛い!
と言いながら
ポロポロ泣いていた。

しかしお葬式の
お経が始まると

後ろで
ぐーぐーと寝ていた。
4人中2人が爆睡。
チンピラ次男5年生と
チビマー子3年生。

しかもタオルケットまで借りて。



後に
しつけが出来てないと
兄から怒られたのは
言うまでもない。





それからあっという間に
三か月。



悲しみもあったけど
少しホッとした。

毎日キツイ苦しい
もうやめたい。
と言ってた母。

生きるのは大変だと
言ってた母。



きっと

痛みから解放されて

もう20年前ぐらいから
思うように動かなかった足が

軽くなって

走ったり
歩いたり
好きな所に行ったり
あちこちでおしゃべりしたり


出来ていると信じてる。






いつでも
大丈夫。どーにかなるさ!

と言っていた母。



本当、
どーにかなってるよ。








アメブロ
このまま辞めようかとも考えた。



でも
やっぱ書きたくもなった。



もうすぐ母がいなくなって
100日。


今でも朝から仏壇の前に座ると
涙がでるけど


私はなんとか元気にやってます。

今年の夏休みは
初めてのキャンプにも行きました。

五家族で行きました。

離婚危機の夫婦+子供2人
ラブラブな夫婦+子供2人
不器用な夫婦+子供4人
お堅い夫婦+子供2人
誰の嫁でもない女+子供4人


ポーン最後はお前か!

意外と楽しくて
また来年行こうぜ!ってなりました。


そして髪をピンクにしました。



どっかで
こんな髪した奴いたよな。


って
思ってたら



桑名の息子でした。




だいぶ色落ちして
いい感じ。





今日はこんな記事で
ごめんなさいね。


書かずに始めるのも
なんか違うなとおもったので
書きました。




スッキリした。


次からは
またシェフの事とか書きますね!

いや、
臣くんの事書けよ
ムキー