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半沢直樹みたい?
っていわれました苦笑。

ちょっと昔話。

イイコなんかじゃない。
間に合わなかった。

高校二年生の終わりの
春休み始めの日
私の父は他界しました。
満46歳でした。

その時のことはなぜかリアルに覚えています。



本当は22時すぎたくらいで電話しようと思ったけど、
迷ってやめた。
だって今まで飲み方でいない日が多かった父に電話したことなんて一度もなかったから。
でも、今思えば「虫の知らせ」だったんだろう。
23時すぎてやっぱり氣になって
かけたけど、父は電話に出なかった。

翌朝、春休み初めの日。
父が帰る前に、社員の叔父さんが来た。
叔父さん「あれ?社長まだですか?」
母「まだ帰ってないのよ」
叔父さん「電話してみますね」
しばらくして
携帯がつながった
叔父さんが「え?いや、いえ、社員です」
そして席を外した母の代わりに私に向かって
「ちーちゃん、仏さんって、、、」
そう言って私に受話器を渡した
「電話口で、おまわりさんが、ご家族の方ですか?」
私「はい」
おまわりさん「仏さんのお名前確認、、、と話し始めた。」

いろんなことが脳裏をよぎった。
死亡時刻を聞いて
後悔した。
23時過ぎかけたときはもう父は死亡していて
22時にかけていれば、、
もしかしたら何か変わっていたかもしれない。
そんな思いがよぎった。

母を呼び、父の死を伝えた
受話器を母に渡した。

そのときの母の顔は覚えていない

ただ、社員のおじさんと母が遺体確認に向かい、

私が電話番をすることになったことは覚えている。

小学校のときから電話取りは手伝っていたから慣れていた。
よく新しい社員と間違われるくらいに。

電話が掛かったら、
「おはようございます
お世話になります
◯◯機工です」というと

相手は
「お世話になります
◯◯◯◯の◯◯です、
社長は?」という

私「社長は生きてるか死んでるかわかりません」と答える。

相手「…は?」沈黙のあと、なにいってるの?みたいな空気。

私淡々と続ける
「(状況説明し、)今、母と社員のものが確認に行っています」

すると何かを感じとった相手は

相手「わかりました。またご連絡ください、もしくはまたご連絡いたします」

そう言って電話を切った。

昼過ぎて
母とおじさんが帰るまで

なんど説明したか覚えてない。

ただ、たくさん電話があったことは覚えている。

電話番の間、いろいろな感情が巡った。

父との関係は良くはなかった。

社長としての父には敬意はあったが

父親として、の父には何の感情も持てなくなっていた。

数日前、うちの会社が潰れたから支払いは◯◯会社にするように、というFAXが取引先に送られていたことがあった。それはその日に親しい取引先から確認の電話があって分かった。

実際、それを信じて支払いしてしまった会社もあれば、確認してくる会社も、あった。

さらに昨日はそのFAXした会社の人が3人きていた。

父は何かにハンコを押して
何かを書いていた。

それが生きていた父の最後の姿

父の机から遺書がでてきた。

母、兄、妹には2枚。
私には一枚。


母たちに連れられて帰ってきた
父の顔はただ寝ているだけで、
ゆすり起こせば起きそうだった。

酒に焼けて、赤黒かった肌は
血が下がり白く、冷たくなっていた。

お通夜、葬式には
ものすごい
沢山の方々が来てくださった。
社長がいたから、、、
社長のおかげで、、、
そんな話もきいた。
せめてもの救い。

火葬場で

母が兄に「あんたが押しなさい」そういった。
兄は顔を振りうつむいた。

見兼ねて
「私が押す」そう言って
私がボタンを押した。







続きはまた。。。

ちぃ