沖縄戦の遺骨収拾 沖縄県の距離は遠い | 1592takakumaさんのブログ

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沖縄のことや競馬やら政に関して書きます。


慶良間チージ・安里52高地・シュガーローフと呼ばれる丘です。
右上に大道森・ハーフムーン(クレセント・ヒル)が見えます。
具志堅さん
「沖縄県に電話をして、まだ遺骨があるから遺骨収拾した方が良いんじゃないかって風な、そういう風なことを電話で話したんですけど、そしたら電話の向こうでは何も言わないんです。
まったく言わなかったんです。
最後は根負けしまして。」
具志堅さん達は国に働きかけ、シュガーローフの東側にある開発途中の真嘉比での遺骨収拾が始まりました。
しかし、途中で中止。
抗議して再開されましたが、開発期限を盾に沖縄県・那覇市は中止にしました。
「どうせ日本兵の遺骨なんだから」
という考えが県や市にあったんじゃないかと、イヤミを言います。
朝日・毎日です。
分断を作るマスコミの仕事です。
こういうのって、子や孫に受け継がれて行くものです。
翁長さんは、真和志村(現那覇市の安里や真和志一帯)の村長だった金城和信氏の話しをなさっていました。

金城和信氏は、1946年1月に糸満地区隊長ブランナー大尉により真和志村長に任命され、1月23日に真和志村民が収容所から糸満の米須(魂魄の塔の東側)へ移動を始めました。

金城和信村長の二人の娘さんは、師範学校本科2年と県立第1高女3年。
お二人共、女子学徒隊員です。
次女の最期の場所は伊原第3外科壕で、ひめゆりの塔が建つ場所です。

金城村長は、魂魄の塔・ひめゆりの塔・健児之塔をお建てになりました。

翁長さんの言葉。
「アメリカ軍は遺骨収拾さえ簡単には承諾しない。敵対行為だということで。」
「村長は、私達は生かして貰ってる。
生きてる者はねぇ、死んだ人をこんなに踏みつけては人間として出来ることじゃない。
道徳的に、どうにか骨の片付けをさせてくれと日参しておられた(毎日米軍にお願いに行った)」

翁長さんの言葉。
「遺骨に対する差別は絶対しなかったということ。
これは確かです。
軍人であれ誰であろうが。」
具志堅さんは
「県民だろうと日本兵だろうと、遺骨を家族の元に返したい」
とも、おっしゃっています。

マスコミは
「遺骨がある南部土砂を辺野古埋め立てに使うな」
と、魂魄の塔のスグ側にある採掘場を問題にしています。
しかし具志堅さんは、採掘場を含む山城の丘やその他の場所を含んでいます。私も同じです。

【厚労省の遺骨収集の要約】
『沖縄 ・戦没者概数 188,100人
・収容遺骨数 187,470柱
・未収容遺骨概数 630柱
・地表で発見された遺骨の収容・情報収集は沖縄県へ委託して実施。
・重機による掘削等が必要な大規模な遺骨収集は厚生労働省が実施。
・米軍基地内での調査・収集は米側との協議が必要。
・引き続き、沖縄県と協力して保
有している情報について、現地調査を強化』

沖縄県は
「県民の被害者はもっと多い」
「未収拾の遺骨はもっと多い」
と言っています。

ならば、調査して重機を使わなくて良い場所の遺骨収拾を進めるのが当然だと、私は思っています。
「遺骨収拾は国の事業だ」
とするのは、県民に対して冷たい沖縄県の対応ではないでしょうか。

以前も書きましたが、問題の採掘場で掘り上げた琉球石灰岩を、県や各自治体は使わないんでしょうか。
沖縄県や那覇市が進める米軍浦添軍港の埋め立てに使わないんでしょうか。

まぁ、マスコミはダンマリだから痛くも痒くもないか。