さて昨日は【土用入り】
そういう題で話をさせていただきました‼️
まだ御覧になってない方は
下をクリックして御覧ください⬇️
さて今日は本題はここから‼️
今日のテーマは【花火】です‼️
(昨年の豊橋祇園祭りにて撮影⬇️)
今日は
豊橋祇園祭りの奉納打ち上げ花火!
この豊橋祇園祭というのは吉田(現・豊橋)の
吉田神社 (牛頭天王社、吉田天王社) の神事‼️
吉田神社の御祭神は古事記にも出てくる
建速須佐之男命
要は天照大御神の弟神の俺…じゃないテ
スサノオノミコトですな🫵😏
吉田神社の御鎮座は天治元年(1124)で
崇徳天皇の時代だね🫵😏
後に日本三大怨霊となる天皇だな⁉️
豊橋に鎮座する吉田神社は
京都に鎮座する八坂神社に端を発するという
牛頭天王信仰に結びついているんだよ🫵😏
考えてみたら豊橋祇園祭と同時期に
八坂神社でも祇園祭をやるもんな🤔
建速須佐之男命は外来宗教の仏教により
祇園精舎の守護神にされて
疫病を払う力があるとされているんだ‼️
交通の要所にあった三河の吉田神社は古くから
牛頭天王信仰と共に数多くの武将に親しまれ
中でも源頼朝には大変に尊ばれていた事で
当時から知られていたんだぞ🫵😏
吉田神社は
手筒花火発祥の地とされていて
境内には記念碑が建てらいんだぞ🫵😏
豊橋祇園祭がはじまったのは
鎌倉時代のはじめの事と言われていて
疫病払いを祈願する祇園祭では
炎による悪霊放逐というならわしが
やがて手筒花火の放揚に結びついたんだ🔥
花火を打上げ花火なはじまった時期 には
諸説あるんだが少なくとも鉄砲伝来以降であったと
考えられているんだな🫵😏
今川義元は吉田の町の発展に力を注いでおり
手筒花火の奉納が執り行われたと記録にあり
氏子八ヶ町が手筒を放揚し技を競い合ったという❗️
江戸時代に入ると火薬の利用が多様化して
吉田神社の祇園祭は吉田藩主の保護を受けながら
本格的な花火大会へと成長していったんだな🫵😏
豊橋祇園祭・奉納打ち上げ花火には
日本国内でも有数の歴史があって
三大参州三河に花火あり🎇
そう全国にも知られていたんだそうだよ🫵😊
江戸時代に は
徳川家康の出身地であった三河地方において
火薬の製造・貯蔵に関する規制が
他藩に比べ大変に優遇され権限が与えられていた❗️
だから吉田(現・豊橋)や岡崎などの
打ち上げ花火は古くから有名だった訳だな❗️
さて令和6年7月20日
豊橋祇園祭・奉納打ち上げ花火🎆
この模様を現地から
ツイキャスで生配信しました😊
その録画を添付しておきます😊
ぜひ御覧ください😊
⬇️⬇️⬇️
チャイナウィルスが
再び流行の兆しを見せているので
疫病祓いとしてぜひ
豊橋祇園祭・奉納打ち上げ花火を
皆さんで御覧あれ😊
祇園祭から戻り執筆したので
今日のブログは短めだけど
ここまでとします🙏
皆さん‼️
どう思いましたか❓
共に日本のために‼️
全ては日本のために‼️