こんばんは😊
浴衣のHickeyです😊
今日は豊橋祇園祭りに間に合わせるために早朝から
仕事をスタートさせ何とか夕方までに終わらせて
職場で急いで浴衣に着替えてとドタバタでした😊
実は浴衣って暑いんだよなぁ😅💦
祭りは人混みの中だしコロナが流行りだしたので
一応はマスクを装着😅💦 もう汗だくです😅💦
俺は祭りの時は浴衣を着て楽しむ人😊
自宅では夏は甚平を着て過ごしてる人😊
和だねぇ〜😁
基本的に和服が好きなんだよね😁



さて昨日は【土用入り】

そういう題で話をさせていただきました‼️


まだ御覧になってない方は

下をクリックして御覧ください⬇️


さて今日は本題はここから‼️

今日のテーマは【花火】です‼️


(昨年の豊橋祇園祭りにて撮影⬇️)


今日は

豊橋祇園祭りの奉納打ち上げ花火!

この豊橋祇園祭というのは吉田(現・豊橋)

吉田神社 (牛頭天王社、吉田天王社) の神事‼️

吉田神社の御祭神は古事記にも出てくる

建速須佐之男命

要は天照大御神の弟神の俺…じゃないテ

スサノオノミコトですな🫵😏



吉田神社の御鎮座は天治元年(1124)

崇徳天皇の時代だね🫵😏

後に日本三大怨霊となる天皇だな⁉️



豊橋に鎮座する吉田神社

京都に鎮座する八坂神社に端を発するという

牛頭天王信仰に結びついているんだよ🫵😏

考えてみたら豊橋祇園祭と同時期に

八坂神社でも祇園祭をやるもんな🤔

建速須佐之男命外来宗教仏教により

祇園精舎の守護神にされて

疫病を払う力があるとされているんだ‼️

交通の要所にあった三河の吉田神社は古くから

牛頭天王信仰と共に数多くの武将に親しまれ

中でも源頼朝には大変に尊ばれていた事で

当時から知られていたんだぞ🫵😏

吉田神社

手筒花火発祥の地とされていて

境内には記念碑が建てらいんだぞ🫵😏



豊橋祇園祭がはじまったのは

鎌倉時代のはじめの事と言われていて

 疫病払いを祈願する祇園祭では

炎による悪霊放逐というならわしが

やがて手筒花火の放揚に結びついたんだ🔥



花火を打上げ花火なはじまった時期 には

諸説あるんだが少なくとも鉄砲伝来以降であったと

考えられているんだな🫵😏

今川義元は吉田の町の発展に力を注いでおり

手筒花火の奉納が執り行われたと記録にあり

氏子八ヶ町が手筒を放揚し技を競い合ったという❗️



その頃に路上で建物綱火 (仕掛け花火の一種) などが
小規模ながら打上げられていたんだ‼️

江戸時代に入ると火薬の利用が多様化して

吉田神社の祇園祭は吉田藩主の保護を受けながら

本格的な花火大会へと成長していったんだな🫵😏

豊橋祇園祭・奉納打ち上げ花火には

日本国内でも有数の歴史があって

三大参州三河に花火あり🎇

そう全国にも知られていたんだそうだよ🫵😊

江戸時代に は

徳川家康の出身地であった三河地方において

火薬の製造・貯蔵に関する規制

他藩に比べ大変に優遇され権限が与えられていた❗️

だから吉田(現・豊橋)岡崎などの

打ち上げ花火は古くから有名だった訳だな❗️


さて令和6年7月20日

豊橋祇園祭・奉納打ち上げ花火🎆

この模様を現地から

ツイキャスで生配信しました😊

その録画を添付しておきます😊

ぜひ御覧ください😊

⬇️⬇️⬇️



チャイナウィルス

再び流行の兆しを見せているので

疫病祓いとしてぜひ

豊橋祇園祭・奉納打ち上げ花火

皆さんで御覧あれ😊



祇園祭から戻り執筆したので

今日のブログは短めだけど

ここまでとします🙏


皆さん‼️

どう思いましたか❓

共に日本のために‼️

全ては日本のために‼️