こんばんは😊
本日2回目の登場Hickeyです😊



沖縄の皆さん‼️

明日6月16日は選挙の投票日🗳️

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今日の1回目のブログです‼️

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【Hickeyの今日は何の日❓🤔】

     

今日(6/15)は

暑中見舞いの日


昭和25年(1950)6月15日

郵政省が初めて

「暑中見舞用郵便葉書」を発売‼️

それを記念し6月15日が

暑中見舞いの日になったんだよ🇯🇵


(はじめて発売された暑中見舞い葉書⬇️)



さて昨日は【日本史という変な名前の教科!】

そういう題で話をさせていただきました‼️


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さてここからが本題です‼️

今日のテーマは【減災・防災】‼️





静かなる
    海を願いて
            われ祈る
                思い届けよ
                   わだつみの神
                                         
       ~Hickey~


【津波災害が起きぬよう祈願し詠む】




【Hickeyの今日は何の日❓🤔】
     
明治29年6月15日
M6.9の明治三陸地震が発生⁉️
三陸地方を大津波が襲い
死者  約22000人‥‥


今から128年前の話…
明治29年(1896)6月15日  19時32分
明治三陸地震
これがおきたんだな‼️
震度は4~2程度の長く緩やかな揺れで人々は
特に気にする様子もなかったそうだ‼️




だが‥‥地震発生から約30分後に突如として
津波が襲ってきたんだ⁉️
津波の第一波から15分後…
第二波の津波に人々は襲われる事になった‼️
この津波と満潮と重なったのも不運だったんだな‼️

当時の様子が三陸津波誌に残っている‼️

午後七時頃地震があった
強くはなかったが震動時間が長かった
十数分過ぎてからまた微震があって
それが数回続いた海岸では
潮の引くべき時間でもないのに引き潮があった
それからまた潮がさし
しばらくたって8時20分頃海の方から
轟然と大砲のような響きが聞こえた
しかし人々は軍艦の演習くらいに思い
気に留める者もいなかった
まもなく凄い音響とともに黒山のような波が
耳をつんざくばかりに怒号し一瞬の間に
沿岸一帯あらゆる全てのものを流しさってしまった

このようにだね
明治三陸地震というものは地震による直接的な被害は
ほとんどなかったんだが大津波が発生してしまい
甚大な被害をもたらしたんだな🫵😒



明治29年6月19日の時事新報の記事には

《海上に異様な響き たちまち丈余の怒濤
     宮城県志津川町被害の詳報》

宮城県本吉郡志津川町にては去る15日午後8時過ぎ
海上に轟然として砲発にてもしたらんごとき
異様の響き聞こゆると間もなく汽車の鉄道を
軋るがごとき音轟きければ
皆々何事ならんと訝りつつある内
たちまち1丈(約3m)余の怒濤が逆巻きて
咆哮し来たる勢いの凄じく
アナヤと驚く間もあらせず芝居小屋は巻き去られ
90余の漁戸は波底に埋没せらるると同時に
建家の倒潰する音
怒濤の激する響きは
老幼男女の悲鳴叫喚せる声に和して
沸くがごとく耳に徹して
物凄きなんど云うばかりなかりしが
25分も立ちたらんと覚しき頃
潮水ようやく引き去りて
その跡を見れば悲惨の様は
また一入(ひとしお)にて
実に目も当てられざる状況なり屍体のここかしこに
三々伍々泥に埋まるあれば
重傷を負い泥に塗(まみ)れて呻吟するもあり
郡書記諏訪部勝治氏の住宅などは
遠く田甫の中に流されて
その妻は嬰児(みどりご)を抱きたるまま
無惨の死を遂げしも同氏は2人の小供と抱き合うて
2階に斃れ居りしが時経て
ようやく人心地付きたりと云う
かかる有様なれば満目ただ修羅場と云うの外
なかなか筆紙に尽すべくもあらざる惨状なり

そう書かれているんだな🫵😒



この日は旧暦の5月5日
小学校で端午の節句の祝賀会をしていたために
小さな子供達も多く流されてしまったんだな😔

(災害記録絵画⬇️)



(漂着した数多くの御遺体⬇️)


海岸には犠牲者の死屍累々と並び漂流した御遺体を
地引き網でかき集める事態となったそうだ‼️



ちなみ明治三陸地震津波東日本大震災前まで
本州における観測史上最高の遡上高で
海抜38・2mを記録したんだぞ⁉️


(東日本大震災時に明治三陸地震と比較した図⬇️)


明治三陸地震の時の日本での津波の範囲は北海道から
宮城県までで海外ではハワイでも9mの津波が⁉️
またカルフォルニアでも3mほどの津波が
観測されてて記録されてるんだそえだ⁉️



明治三陸地震による人的被害は
《死者》21915人
北海道:6人
青森県:343人
岩手県:18158人
宮城県:3452人
《行方不明者》44人
《負傷者》4398人

物的被害は
《家屋倒壊・流失》9878戸
《家屋全壊》1844戸
《船舶流失》6930隻

この当時の日本の総人口が約4000万人だからな‥
いかに明治三陸地震による被害が
甚大なものだったかがわかると思う‼️



(写真は臨時病院の被災者の方々⬇️)



津波が来る前に海岸線が600mも沖に引き
その後に壁のような津波が襲ったんだそうだ⁉️
海岸付近にあった
刑務所に収監されていた193人の受刑者は
あらかじめ集合場所を決めて解放‼️
津波から避難した受刑者達はどうなったかわかるか❓
ちゃんと集合場所で隊列を組んで待機してたんだぞ❗️
これは日本人らしいエピソードだろ🫵😏
だが残念なことに受刑者4名が犠牲となり
職員8名も殉職してもいるんだな🙏


(災害記録絵画⬇️)


下の写真は御遺体の収容所となった石応寺だ‼️



明治三陸地震からの復興にあたり壊滅的な被害が出た
町村は高台に移転になったんだ🫵😒
吉浜村(現•大船渡市)は高台移転により
昭和におきた昭和三陸地震の際に
津波の被害を最小限に食い止めているんだぞ‼️
だが唐丹村(現・釜石市)は一度は高台に
移転したんだが元が漁村で住民の多くが漁師…
そんな事もあり暮らしのため住民達は移転先から
徐々に元の地へと戻ってしまったんだな⁉️
そのためこちらは昭和三陸津波
再び悲劇にみまわれる事になってしまったんだ❗️



明治三陸地震でもわかるように比較的に弱い震度でも
場合によっては大津波になる事があるって事をだね
我々は絶対に忘れちゃいけないんだ🫵😒



災害は忘れた頃にやってくる❗️
僕は以前から事あるごとに諸君らに対して
防災や減災のために
自分の住む街の郷土史を調べろ!
神社はタイムカプセルだ!
地名はタイムカプセルだ!
こう言い続けてきた🫵😒
今は町村合併とやらで昔の地名が失われつつあり
新しい地名になってしまった所がかなりある‼️
地名というのは昔の人が後世のために遺してくれた
その土地のいわば履歴書なんだ🫵😒
今の地名や昔の地名の由来というものがわかれば
そこでおこる可能性のある自然災害が
いったい何なのかというのがわかるもんなんだ‼️
また神社や寺院の由緒も調べてみよう‼️
その地に神社が鎮座し寺院が創建された時代や
歴史を調べていけば土地の歴史もわかる‼️
また大きな津波などがあって寺社が流されたり
神社が遷座したり寺院が移転したりしている
そういう記録がのこっている場合もある‼️
こうした歴史的な情報を知っているか知らないかで
災害時の運命が大きくかわるもんなんだ🫵😒
郷土史をバカにせずに調べてみるべきだぞ🫵😒
神社や寺院や地域の歴史や地名を調べ歩きながら
その地に昔から坐した神々や住んでいた人々と
頭の中で会話をして
自分だけの防災マップを作るんだ❗️

(豊橋で津波で流された歴史のある神社⬇️)


本題の冒頭に僕が詠んだ和歌は
再び津波による
被害がおきぬようにと
強い願いを込めて詠んだ和歌
今日6月15日は
明治三陸地震がおきた日‥‥‥
風化させる事なく
明治三陸地震から何かを学び
防災・減災につなげてもらいたい❗️



明治三陸地震で
亡くなられた全ての方々に‥

黙祷



皆さん‼️

どう思いますか❓

共に日本のために🇯🇵

全ては日本のために🇯🇵