⬇️ Hickey超訳・古事記《上つ巻》⬇️
Hickey超訳・古事記
《中つ巻》
⬇️ もくじ ⬇️
帯中津日子天皇
(タラシナカツヒコノスメラミコト)
《仲哀天皇》
~気比大神~
(ケヒノオオカミ)
忍熊王(オシクマノミコ)との戦いに勝った
大臣(おおおみ)の
建内宿禰命(タケウチノスクネノミコト)は
太子(ひつぎのみこ)を連れて戦の穢れを
祓うため禊をしようとして淡海(おうみ:琵琶湖)や
若狭国(わかさのくに:福井県)を巡ったんだわ☝️😊
この太子は後の応神天皇のことだがや☝️😊
その時…
高志前の角鹿に仮宮を建てて滞在したんだわ☝️😊
高志前の角鹿=こしのみちのくちのつぬが
これはいまの敦賀市だな🤔
この場面の戦いの穢れを祓うための禊ってのは
忍熊王との戦いの時に敵軍を騙すため
「御子は既に亡くなりました」と
言い広めたのが言挙げにならぬようにと
穢れを祓うため禊したんだわな☝️😊
すると…そこ住む
伊奢沙和気大神命が
(イザサワケノオオカミノミコト)
太子(ひつぎのみこ)の夢に現れたんだわ❗️
ほんで
『あんだって❓あに言ってだ〜よぉ❗️
あたしが神様だぁ〜よ❗️
あたしの名とおみゃさんの名を交換しよみゃあ』
そう言ったんだわ😳
ほんだで太子(ひつぎのみこ)は
『ええよ😁』そう即答してまったんだわ😨
ええんか〜い😳
その神は
『明日の朝になったら
浜に行ってみやあ❗️
名を交換した証に贈りもんがあるでよ❗️』
そう言ったんだわ⁉️
ドキドキだがね😅何くれるんかな❓🤔
さて翌朝になり浜へ出かけてみると
鼻に傷が付いた入鹿魚(イルカ)が浦(海岸)一面に
打ち上げられとったんだわ⁉️😳
その大量の入鹿魚を見た太子(ひつぎのみこ)は
『御食(みけ)の魚をくれたんかなも❓』
そう神様に言ったんだわ☝️😊
そこでその神の御名を称えて
御食津大神(ミケツオオカミ)と
名付けたんだわ☝️😊
今の気比大神(ケヒノオオカミ)な☝️😅
また入鹿魚の鼻の血が臭かったから
その海(浦)を血浦(ちうら)といい
それが今じゃ
都奴賀(つぬが)となっとんだて☝️😒
更に現代じゃ敦賀になっとるけどな😅💦
~酒楽の歌~
(さけくらのうた)
こうして御子(ひつぎのみこ)の禊が済んで
大和に帰ってきた時
母の息長帯日売命(オキナガタラシヒメノミコト)は
待酒(まちさけ)を用意したんだわ☝️😊
古事記には太子と御子が
ゴチャ混ぜて書いてあるだわ😅
ここに出てくる御子も後の応神天皇のこと☝️😅
間違えんよう気をつけやあ☝️😅
母だから神功皇后の事だかね☝️😊
そこで
息長帯日売命(オキナガタラシヒメノミコト)は
この御酒(みき)は
我が御酒ならず
酒(くし)の司(かみ)
常世(とこよ)に坐(いま)す
石立(いはた)たす
少名御神(すくなみかみ)の
神寿(かむほ)き 寿き狂ほし
豊寿(とよほ)き 寿き廻(もと)し
献(まつ)り来し御酒ぞ
止(あ)さず飲(を)せ ささ
《Hickeyの御歌訳》
この御酒は私の御酒ではありません!
酒を司る常世の国におられ
石に宿る少名毘古那神(スクナビコナノカミ)が
祝福し踊り狂い祝福し踊り回って醸(かも)し
授け下さった御酒です!
飲み干しなさい、さあ!
このように歌を詠み
大御酒(おおみき)をささげたんだわ☝️😊
そこで建内宿禰命(タケウチノスクネノミコト)が
御子の為に答えて
次の歌を詠んだんだ[emoji:v-389]
この御酒(みき)を
醸(か)みけむ人は
その鼓(つづみ) 臼に立てて
歌ひつつ 醸みけれかも
舞ひつつ 醸みけれかも
この御酒の 御酒の あやに
うた楽し ささ
《Hickeyの御歌訳》
この御酒を醸した人は
その鼓を臼のように立てて
歌いながら醸したからか
踊りながら醸したからか
この御酒はこの御酒は何とも愉快だ!
さあ!
これは酒楽(さかくら)の歌だがね☝️😊
御子は角鹿の神と名前を交換し神が作った
酒を飲むことで即位が承認されたんだわ☝️😊
第十五代天皇
応神天皇(おうじんてんのう)だ☝️😊
父であった第十四代天皇•仲哀天皇は
御年が五十二歳
壬戌年(みずのえいぬのとし)六月十日に崩御し
御陵は河内の恵賀(えが)の長江にあるんだわ☝️😊
また母の神功皇后は御年が百歳で崩御されて
沙紀の盾列池上陵に埋葬されたんだ☝️😊
(さきのたたなみのいけのえのみささぎ)
今宵はここまで😊👍
つづきは
Hickey超訳・古事記32で😊👍
みんな古事記を楽しもう✊😊