Hickey超訳・古事記31




⬇️ Hickey超訳・古事記《上つ巻》⬇️



Hickey超訳・古事記

《中つ巻》

⬇️ もくじ ⬇️





帯中津日子天皇

(タラシナカツヒコノスメラミコト)

《仲哀天皇》





~気比大神~

(ケヒノオオカミ)


忍熊王(オシクマノミコ)との戦いに勝った

大臣(おおおみ)の

建内宿禰命(タケウチノスクネノミコト)

太子(ひつぎのみこ)を連れて戦の穢れを

祓うため禊をしようとして淡海(おうみ:琵琶湖)

若狭国(わかさのくに:福井県)巡ったんだわ☝️😊

この太子は後の応神天皇のことだがや☝️😊

その時…

高志前の角鹿に仮宮を建てて滞在したんだわ☝️😊

高志前の角鹿=こしのみちのくちのつぬが

これはいまの敦賀市だな🤔

この場面の戦いの穢れを祓うための禊ってのは

忍熊王との戦いの時に敵軍を騙すため

「御子は既に亡くなりました」と

言い広めたのが言挙げにならぬようにと

穢れを祓うため禊したんだわな☝️😊

すると…そこ住む

伊奢沙和気大神命

(イザサワケノオオカミノミコト)

太子(ひつぎのみこ)の夢に現れたんだわ❗️



ほんで

『あんだって❓あに言ってだ〜よぉ❗️

あたしが神様だぁ〜よ❗️

あたしの名とおみゃさんの名を交換しよみゃあ』

そう言ったんだわ😳

ほんだで太子(ひつぎのみこ)

『ええよ😁』そう即答してまったんだわ😨

ええんか〜い😳

その神は

『明日の朝になったら

浜に行ってみやあ❗️

名を交換した証に贈りもんがあるでよ❗️』

そう言ったんだわ⁉️

ドキドキだがね😅何くれるんかな❓🤔

さて翌朝になり浜へ出かけてみると

鼻に傷が付いた入鹿魚(イルカ)浦(海岸)一面に

打ち上げられとったんだわ⁉️😳

その大量の入鹿魚を見た太子(ひつぎのみこ)

『御食(みけ)の魚をくれたんかなも❓』

そう神様に言ったんだわ☝️😊

そこでその神の御名を称えて

御食津大神(ミケツオオカミ)

名付けたんだわ☝️😊

今の気比大神(ケヒノオオカミ)な☝️😅

また入鹿魚の鼻の血が臭かったから

その海(浦)を血浦(ちうら)といい

それが今じゃ

都奴賀(つぬが)となっとんだて☝️😒

更に現代じゃ敦賀になっとるけどな😅💦




~酒楽の歌~

(さけくらのうた)


こうして御子(ひつぎのみこ)の禊が済んで

大和に帰ってきた時

母の息長帯日売命(オキナガタラシヒメノミコト)

待酒(まちさけ)を用意したんだわ☝️😊

古事記には太子と御子が

ゴチャ混ぜて書いてあるだわ😅

ここに出てくる御子も後の応神天皇のこと☝️😅

間違えんよう気をつけやあ☝️😅

母だから神功皇后の事だかね☝️😊

そこで

息長帯日売命(オキナガタラシヒメノミコト)


この御酒(みき)

我が御酒ならず

(くし)の司(かみ)

常世(とこよ)に坐(いま)

石立(いはた)たす

少名御神(すくなみかみ)

神寿(かむほ)き 寿き狂ほし

豊寿(とよほ)き 寿き廻(もと)

(まつ)り来し御酒ぞ

(あ)さず飲(を)せ ささ 



《Hickeyの御歌訳》


この御酒は私の御酒ではありません!

酒を司る常世の国におられ

石に宿る少名毘古那神(スクナビコナノカミ)

祝福し踊り狂い祝福し踊り回って醸(かも)し

授け下さった御酒です!

飲み干しなさい、さあ!


このように歌を詠み

大御酒(おおみき)をささげたんだわ☝️😊

そこで建内宿禰命(タケウチノスクネノミコト)

御子の為に答えて

次の歌を詠んだんだ[emoji:v-389]

この御酒(みき)を

醸(か)みけむ人は

その鼓(つづみ) 臼に立てて

歌ひつつ 醸みけれかも

舞ひつつ 醸みけれかも

この御酒の 御酒の あやに

うた楽し ささ



《Hickeyの御歌訳》


この御酒を醸した人は

その鼓を臼のように立てて

歌いながら醸したからか

踊りながら醸したからか

この御酒はこの御酒は何とも愉快だ!

さあ!


これは酒楽(さかくら)の歌だがね☝️😊

御子は角鹿の神と名前を交換し神が作った

酒を飲むことで即位が承認されたんだわ☝️😊

第十五代天皇

応神天皇(おうじんてんのう)だ☝️😊



父であった第十四代天皇•仲哀天皇

御年が五十二歳 

壬戌年(みずのえいぬのとし)六月十日に崩御し

御陵は河内の恵賀(えが)長江にあるんだわ☝️😊




また母の神功皇后御年が百歳で崩御されて

沙紀の盾列池上陵に埋葬されたんだ☝️😊

さきのたたなみのいけのえのみささぎ




今宵はここまで😊👍

つづきは

Hickey超訳・古事記32で😊👍

みんな古事記を楽しもう✊😊