Hickey超訳•古事記30




⬇️ Hickey超訳•古事記《上つ巻》⬇️



Hickey超訳・古事記

《中つ巻》

⬇️ もくじ ⬇️




帯中津日子天皇

(タラシナカツヒコノスメラミコト)

《仲哀天皇》





~神功皇后の新羅遠征~

(じんぐうこうごうのしらぎえんせい)


神功皇后(じんぐうこうごう)は御神託の通りにし

軍勢を整え船を並べてドンブラこっこと

海を渡って進んでった時に海原の魚が大小に関わらず

ことごとく船を背負って渡ったんだわ⁉️

ギョギョギョ🐟😳

お〜っと⁉️ 正にイルカに乗った少年状態か⁉️

更にどえりゃあ強いフォローの風が吹き

船は波が寄せるにまかせグイグイ進み

新羅国(しらぎのくに)近づいていったんだわ☝️😊

そしてついに…

その船が立てた波は新羅国に押し上がり

その大きな波は勢いよく新羅国の中程にまで

到達したんだわ⁉️

すると…

新羅国の国王(こにきし)恐れ畏ってまって

『これよりは天皇の御言葉に従い

御馬甘(みまかい=馬飼い)として

毎年船を並べて船の腹を乾かすことなく

棹や舵を乾かすことなく

天地の続く限り仕え奉るニダ🙏』

そう言ったんだわ❗️

今さ従うって言ったよね❓🤣

言ったよね❓😳

みんな聞いたよね❓😒言ったよね❓😒

まぁ~要は新羅は降参したんだわ😊👍

これにより新羅国を御馬甘(みまかい:馬飼い)と定め

百済国(くだらのくに)

渡屯家(わたりのみやけ)定めたんだわ☝️😊

渡屯家ってのは

外地にある朝廷の御料地の事な☝️😊

そして神功皇后は御杖(みつえ)を

新羅の国王の家の門に衝き立てて

墨江大神(すみえのおおかみ)を

国守神として祭り鎮め

神功皇后は帰国していったんだわ😊👍



神功皇后の新羅征伐がまだ終わってせんうちに

御子が生まれそうになったんだわ⁉️😳

んだもんだから…

神功皇后は何とかそれを鎮めようと石を取って

衣服の腰に巻きつけ生まれそうになるのを

耐えたんだわ😳

そんなんで耐えられるんかい⁉️😳

んで筑紫国に渡った時に御子が生まれたんだわ😊

だからその御子の生まれた地の名を

宇美(うみ)と言いうんだて☝️😊

また新羅征伐中生まれそうになったのを

食い止めるため腰に巻かれていた石は

筑紫国の伊斗村(いとのむら)に今でもあるんだわ😳

また筑紫の末羅県(まつらのあがた)の

玉島里(たましまのさと)に着き

その川辺でランチをしていた四月の上旬…

その川の岩に座り衣服の糸を抜き取り

飯粒(いいぼ)を餌にして年魚(あゆ)を釣ったんだて❗️

だからその川の名を小河(おがわ)といい

またその岩の名を

勝門比売(かつとひめ)というんだわ☝️😊

それにより四月の上旬に女性が衣服の糸を抜き

飯粒を餌にして年魚を釣ることが

今に至るまで絶えないんだわ⁉️😳





~ 香坂王と忍熊王の反逆~

(カゴサカノミコとオシクマノミコのはんぎゃく)


神功皇后は筑紫国(つくしのくに)で

出産を終え大和国に帰る時に人々の心が疑わしく

生まれたばかりの御子の命が

狙われる危険性があったんだわ⁉️😨

御子の兄貴達が怪しいわな😒

天皇(すめらみこと)の座も空位のままだしな😒

そこで神功皇后は喪船(もふね)を

一隻用意させ御子をその船に乗せ

『御子は既に亡くなってまっとるがや😭』

そう言い広め大和へと向かったんだわ😳

ははぁ〜ん🤔神功皇后…撒き餌をまいたな🤔

すると…御子の腹違いの兄貴の

香坂王(カグサカノミコ)

忍熊王(オシクマノミコ)達が

御子を待ち伏せし殺害しようと企てて

斗賀野(とがの)に進み出て

誓約狩(うけいがり)をしたんだて☝️😒

香坂王(カグサカノミコ )

(くぬぎ)の木に登っとると怒れる大きな猪が現れ

その櫟の木を堀って倒し

香坂王(カグサカノミコ)

食い殺してまったんだわ😳

悪い事は出来んもんだな😨

誓約狩の結果は凶だって出たわけだわ😛

弟の忍熊王(オシクマノミコ)

そのことを恐れずよしゃいいのに軍勢を集め

立ち向かうんだわ☝️😒

兄もアホなら弟もアホか😨

忍熊王(オシクマノミコ)らの軍勢は

喪船をやりすごし軍船を攻めようとしたんだわ😳

すると神功皇后

喪船の方から兵士を降ろし戦ったんだわ❗️

やるな神功皇后😏いい作戦だ😏

敵が空だと思ってた喪船に実は兵士が乗り込んどって

神功皇后たちの軍船は実は空船だったわけだわ😏

これはすべて忍熊王(オシクマノミコ)らを欺き

油断させる策だったわけなんだわ☝️😏

この時に忍熊王(オシクマノミコ)

難波吉師部(なにわのきしべ)の祖

伊佐比宿禰(イサヒノスクネ)を将軍に

太子(ひつぎのみこ)の方は

太子は今の皇太子だわ☝️😊

丸邇臣(わにのおみ)の祖

難波波根子建振熊命を将軍にし戦い

(ナニワネコタケフルクマノミコト)

太子(ひつぎのみこ)側が追い退けて

山代(現・京都)に至った時に

敵側も引かずに立ち向かって来たもんだで

おたぎゃあに引かせん戦いになったんだわ⁉️😳

要は激戦になったって事だわ😅

そこで

建振熊命(タケフルクマノミコト)は頭を使い

『息長帯日売命(オキナガタラシヒメノミコト)

既に亡くなってまった😭

ほんだでもう戦う必要あらせんだろう❗️』

そう敵に伝えて弓の弦を切り敵を欺き

降伏するふりをしたんだわ☝️😏

伊佐比宿禰(イサヒノスクネ)は単純だで

その偽りを信じてまって弓を外し兵を収めたんだわ❗️

するとその時…

建振熊命(タケフルクマノミコト)

頂髪(たきふさ)の中に隠しておいた弦を取り出し

それを弓に張り再び追撃したんだわ😳

髪に隠すって…黒柳徹子か😳

おそぎゃあでかん😅

伊佐比宿禰(イサヒノスクネ)

逢坂(おうさか=京都と滋賀の境)まで

退却し向かいあって再び戦ったんだわ❗️

建振熊命(タケフルクマノミカト)は追い攻めて

沙々那美(ささなみ=琵琶湖西岸)で敵を撃破❗️

ことごとく敵兵を斬り殺したんだ😨

おそぎゃあ😨

忍熊王(オシクマノミコ)

伊佐比宿禰(イサヒノスクネ)

共に追い詰められ船に乗り海(=琵琶湖)を

漂いながら歌を詠むんだわな…

のんびりしとんな😳


いざ吾君(あぎ)

振熊(ふるくま)が

痛手負はずは

鳰鳥(にほどり)の

淡海(あみふ)の海に

潜(かづ)きせなわ 


《Hickeyの御歌訳》


さぁ我が君よ

建振熊命に討たれる前に

水鳥のカイツブリのように

近江(おうみ)の海に潜ろう


こう詠み終えると二人は海(=琵琶湖)に

身を投げてまって共に死んでまったんだわ…




さて今宵はここまで😊👍

続きは

Hickey超訳・古事記31で☝️😊