⬇️ Hickey超訳•古事記《上つ巻》⬇️
Hickey超訳・古事記
《中つ巻》
⬇️ もくじ ⬇️
帯中津日子天皇
(タラシナカツヒコノスメラミコト)
《仲哀天皇》
~神功皇后の新羅遠征~
(じんぐうこうごうのしらぎえんせい)
神功皇后(じんぐうこうごう)は御神託の通りにし
軍勢を整え船を並べてドンブラこっこと
海を渡って進んでった時に海原の魚が大小に関わらず
ことごとく船を背負って渡ったんだわ⁉️
ギョギョギョ🐟😳
お〜っと⁉️ 正にイルカに乗った少年状態か⁉️
更にどえりゃあ強いフォローの風が吹き
船は波が寄せるにまかせグイグイ進み
新羅国(しらぎのくに)へ近づいていったんだわ☝️😊
そしてついに…
その船が立てた波は新羅国に押し上がり
その大きな波は勢いよく新羅国の中程にまで
到達したんだわ⁉️
すると…
新羅国の国王(こにきし)は恐れ畏ってまって
『これよりは天皇の御言葉に従い
御馬甘(みまかい=馬飼い)として
毎年船を並べて船の腹を乾かすことなく
棹や舵を乾かすことなく
天地の続く限り仕え奉るニダ🙏』
そう言ったんだわ❗️
今さ従うって言ったよね❓🤣
言ったよね❓😳
みんな聞いたよね❓😒言ったよね❓😒
まぁ~要は新羅は降参したんだわ😊👍
これにより新羅国を御馬甘(みまかい:馬飼い)と定め
百済国(くだらのくに)を
渡屯家(わたりのみやけ)と定めたんだわ☝️😊
渡屯家ってのは
外地にある朝廷の御料地の事な☝️😊
そして神功皇后は御杖(みつえ)を
新羅の国王の家の門に衝き立てて
墨江大神(すみえのおおかみ)を
国守神として祭り鎮め
神功皇后は帰国していったんだわ😊👍
神功皇后の新羅征伐がまだ終わってせんうちに
御子が生まれそうになったんだわ⁉️😳
んだもんだから…
神功皇后は何とかそれを鎮めようと石を取って
衣服の腰に巻きつけ生まれそうになるのを
耐えたんだわ😳
そんなんで耐えられるんかい⁉️😳
んで筑紫国に渡った時に御子が生まれたんだわ😊
だからその御子の生まれた地の名を
宇美(うみ)と言いうんだて☝️😊
また新羅征伐中に生まれそうになったのを
食い止めるため腰に巻かれていた石は
筑紫国の伊斗村(いとのむら)に今でもあるんだわ😳
また筑紫の末羅県(まつらのあがた)の
玉島里(たましまのさと)に着き
その川辺でランチをしていた四月の上旬…
その川の岩に座り衣服の糸を抜き取り
飯粒(いいぼ)を餌にして年魚(あゆ)を釣ったんだて❗️
だからその川の名を小河(おがわ)といい
またその岩の名を
勝門比売(かつとひめ)というんだわ☝️😊
それにより四月の上旬に女性が衣服の糸を抜き
飯粒を餌にして年魚を釣ることが
今に至るまで絶えないんだわ⁉️😳
~ 香坂王と忍熊王の反逆~
(カゴサカノミコとオシクマノミコのはんぎゃく)
神功皇后は筑紫国(つくしのくに)で
出産を終え大和国に帰る時に人々の心が疑わしく
生まれたばかりの御子の命が
狙われる危険性があったんだわ⁉️😨
御子の兄貴達が怪しいわな😒
天皇(すめらみこと)の座も空位のままだしな😒
そこで神功皇后は喪船(もふね)を
一隻用意させ御子をその船に乗せ
『御子は既に亡くなってまっとるがや😭』
そう言い広め大和へと向かったんだわ😳
ははぁ〜ん🤔神功皇后…撒き餌をまいたな🤔
すると…御子の腹違いの兄貴の
香坂王(カグサカノミコ)
忍熊王(オシクマノミコ)達が
御子を待ち伏せし殺害しようと企てて
斗賀野(とがの)に進み出て
誓約狩(うけいがり)をしたんだて☝️😒
香坂王(カグサカノミコ )が
櫟(くぬぎ)の木に登っとると怒れる大きな猪が現れ
その櫟の木を堀って倒し
香坂王(カグサカノミコ)を
食い殺してまったんだわ😳
悪い事は出来んもんだな😨
誓約狩の結果は凶だって出たわけだわ😛
弟の忍熊王(オシクマノミコ)は
そのことを恐れずよしゃいいのに軍勢を集め
立ち向かうんだわ☝️😒
兄もアホなら弟もアホか😨
忍熊王(オシクマノミコ)らの軍勢は
喪船をやりすごし軍船を攻めようとしたんだわ😳
すると神功皇后は
喪船の方から兵士を降ろし戦ったんだわ❗️
やるな神功皇后😏いい作戦だ😏
敵が空だと思ってた喪船に実は兵士が乗り込んどって
神功皇后たちの軍船は実は空船だったわけだわ😏
これはすべて忍熊王(オシクマノミコ)らを欺き
油断させる策だったわけなんだわ☝️😏
この時に忍熊王(オシクマノミコ)は
難波吉師部(なにわのきしべ)の祖の
伊佐比宿禰(イサヒノスクネ)を将軍に
太子(ひつぎのみこ)の方は
太子は今の皇太子だわ☝️😊
丸邇臣(わにのおみ)の祖の
難波波根子建振熊命を将軍にし戦い
(ナニワネコタケフルクマノミコト)
太子(ひつぎのみこ)側が追い退けて
山代(現・京都)に至った時に
敵側も引かずに立ち向かって来たもんだで
おたぎゃあに引かせん戦いになったんだわ⁉️😳
要は激戦になったって事だわ😅
そこで
建振熊命(タケフルクマノミコト)は頭を使い
『息長帯日売命(オキナガタラシヒメノミコト)は
既に亡くなってまった😭
ほんだでもう戦う必要あらせんだろう❗️』
そう敵に伝えて弓の弦を切り敵を欺き
降伏するふりをしたんだわ☝️😏
伊佐比宿禰(イサヒノスクネ)は単純だで
その偽りを信じてまって弓を外し兵を収めたんだわ❗️
するとその時…
建振熊命(タケフルクマノミコト)は
頂髪(たきふさ)の中に隠しておいた弦を取り出し
それを弓に張り再び追撃したんだわ😳
髪に隠すって…黒柳徹子か😳
おそぎゃあでかん😅
伊佐比宿禰(イサヒノスクネ)は
逢坂(おうさか=京都と滋賀の境)まで
退却し向かいあって再び戦ったんだわ❗️
建振熊命(タケフルクマノミカト)は追い攻めて
沙々那美(ささなみ=琵琶湖西岸)で敵を撃破❗️
ことごとく敵兵を斬り殺したんだ😨
おそぎゃあ😨
忍熊王(オシクマノミコ)と
伊佐比宿禰(イサヒノスクネ)は
共に追い詰められ船に乗り海(=琵琶湖)を
漂いながら歌を詠むんだわな…
のんびりしとんな😳
いざ吾君(あぎ)
振熊(ふるくま)が
痛手負はずは
鳰鳥(にほどり)の
淡海(あみふ)の海に
潜(かづ)きせなわ
《Hickeyの御歌訳》
さぁ我が君よ
建振熊命に討たれる前に
水鳥のカイツブリのように
近江(おうみ)の海に潜ろう
こう詠み終えると二人は海(=琵琶湖)に
身を投げてまって共に死んでまったんだわ…
さて今宵はここまで😊👍
続きは
Hickey超訳・古事記31で☝️😊