Hickey超訳・古事記25




⬇️Hickey超訳・古事記《上つ巻》⬇️




Hickey超訳・古事記

《中つ巻》

⬇️もくじ⬇️



【大帯日子於斯呂和気天皇】

(オオタラシヒコオシロワケノスメラミト)

《景行天皇》




~倭建命の東征~

(ヤマトタケルノミコトのとうせい)


父帝・景行天皇に褒めてもらえるとばかり思い

ドキドキわくわくしながら倭建命は西征から

大和に凱旋帰国✊😊🎉


…が…

景行天皇

「東方十二道の荒ぶる神々と

(ひむかしのかたとおあまりふたみち)

従わない者どもを説得し平定せよ!」

そう倭建命に勅命をあたえたんだわな😳

まぁ~西征も厄介払いだったんだでな😨💦

褒めるわきゃあらせんわなぁ~当然😨💦

本当は熊曾討伐に失敗して棺で帰ってきた所に

『おぉヤマトタケルノミコトよ

死んでしまうとは情けない!』

そうドラクエの王様みたいに言いたかったんだろな

景行天皇…😨💦

褒めてもらいたくて一生懸命に西征してきたのに

ヤマトタケルノミコトかわいちょ😭

さて…

景行天皇ヤマトタケルノミコト

吉備臣(きびおみ)らの祖である

御鉏友耳建日子を随伴させて

(ミスキトモミミタケヒコ)

比比羅木(ひひらぎ)の木で出来た

八尋矛(やひろほこ)を授けるんだわ😊

この矛は柊で作った邪気払いの矛だがね☝️😊

さすがに【ひのき棒】とかじゃないんだな🤣

ヤマトタケルノミコト

天皇(スメラミコト)の勅命を受け出発する時に

伊勢の大御神宮(=伊勢の神宮)に参り

そこにおった叔母の

倭比売命(ヤマトヒメノミコト)

『大王(おおきみ)は俺に死んでほしいと

思っとんだと思うんだわ…

何でなんだて…

どうしてなんだて…

やっとの思いで西征を終えて

大和に帰って来てまだ間もにゃあのに

兵士も与えられとらんのに今度は

東方十二道を平定を俺に命じるんだわ!

きっと俺なんて死んだらええと思っとんだて!』

そう愚痴ったんだわ😨💦

何だか切にゃあ😨

泣くなヤマトタケルノミコトよ😨

ヤマトタケルノミコトが泣きながら

立ち去ろうとした時…

ヤマトヒメノミコト

草薙剣(くさなぎのつるぎ)と袋を授け

『もし身に危険が及んだ時は

この袋の口を開けたってちょ!』

そうヤマトタケルノミコト言ったんだ❗️

こうしてヤマトタケルノミコト

東征に出て行くんだわ❗️



さて…

尾張に着いたヤマトタケルノミコト

そこで

尾張の国造(おわりのくにのみやつこ)の祖

美夜受比売(ミヤズヒメ)の家に入るんだわ❗️

どらミヤズヒメが綺麗だったもんだで

ヤマトタケルノミコトは一目惚れ😍💓

ヤマトタケルノミコト

ミヤズヒメとすぐに結婚をしようと思うが

大和に帰る時にしようと考え改めて

ミヤズヒメと婚約だけし東国に出発し

山河の荒ぶる神々や従わぬ者達をことごとく説得し

平定して進んでいったんだわ‼️

やっぱ強ぇヤマトタケルノミコト😳




さて…

相武国(さがむのくに=神奈川県)に

ヤマトタケルノミコトが着いた時

相武の国造(さがみのくにのみやつこ)

ヤマトタケルノミコト

『この野の中に大沼があるずら!

この沼の中に住む神は道速振る神ずら!』

道速振る=【ちはやぶる】で霊力のあるって意味😊

そう嘘こいて騙すんだわ😒

さて…ヤマトタケルノミコト

その神を見てみようと野原に足を踏み入れると…

その国造の野郎が野に火を放ってまったんだわ🔥

ヤマトタケルノミコト大ピ〜ンチ😱

あれ❓…ん❓…おや🤔 慌てとらせんがね🤔

ほんでも騙されたと知っても慌てんのが英雄だで❗️

やっぱり

ヤマトタケルノミコだがね☝️😊

叔母のヤマトヒメの言葉である

『もし身に危険が及んだ時は

この袋の口を開けたってちょ!』

これをを思い出してヤマトヒメから

授かった袋の口を開けみたんだがね☝️😊




袋の中には火打石が入ってんだわ🤔

ほんだもんだでヤマトタケルノミコト

草薙剣で周りの草を刈り払い火打石で火をおこし

刈り払った草に向火(むかいび)をつけて焼き退け

そこから脱出し国造どもを斬り殺してまったあげく

火をつけて焼いてまうんだわ🔥

ほんだでその地を焼遺と言うんだぞわ☝️😊

今の焼津市のことだがね☝️😊





~弟橘比売命

(オトタチバナヒメノミコト)



相武の国造を征伐した

ヤマトタケルノミコト

ソコからさらに東へと進んだんだわ☝️😊

ほんで船で走水海を渡ろうとしたところ…

(はしりみずのうみ=浦賀水道)

その海峡の神が嵐をおこし船を翻弄し

グルグルとまわしたもんだで渡れんくなったんだわ😨

ヤマトタケルノミコトまたまた大ピンチ😨💦

そこでヤマトタケルの后である

弟橘比売命(オトタチバナヒメノミコト)

『おみゃさんの代わりに私か海の中に降りるで

おみゃさんは勅命を成し遂げて

天皇(スメラミコト)に報告せなかんでしょ〜』

そう言って海におりようとして

菅畳八重(さがたたみやえ)

皮畳八重(かわたたみやえ)

絹畳八重(きぬたたみやえ)

波の上に敷しいてそこにおりたんだわ…😱

すると…

荒波は自然と収まり船を進めることが出来たんだわ⁉️

海におりる時に

オトタチバナヒメノミコト

歌を詠んでたんだわ…


さねさし

相武(さがむ)の小野に

燃ゆる火の

火中(ほなか)に立ちて

問ひし君はも



《Hickeyの御歌訳》


相模の野原に燃える火の

その火中に立って

私の身を案じて

呼んでくださった君よ…



それから七日後…

オトタチバヒメノミコト

身に着けていた櫛が浜辺で見つかったんだわ…😞

ヤマトタケルノミコト

その櫛をとり御陵を作っておさめたんだわ🙏




ヤマトタケルノミコト

そこからさらに進み

荒ぶる蝦夷(えみし=野蛮な奴)達や

山河の荒ぶる神々をことごとく説得し

平定していっなんだわ☝️😊

さて…東征を終えて大和へ引き返す途中…

足柄(あしがら=足柄山)の坂の麓で

乾飯(かれいい=お弁当)を食べてたら…

その坂の神が白い鹿に化け現れたんだわ⁉️😳

ほんだもんだでヤマトタケルノミコト

食べ残しの蒜(ひる=ニンニク)の端切れを持って

大谷翔平バリに豪快に投げつけると

白い鹿の目に当たり白い鹿は死んでまったんだわ⁉️

そしてその坂の上に登り立ち三度ため息をついて

『吾妻(あづま)はや』

あぁ我が妻よ…って意味な☝️😒

そう言ってんだわ☝️😊

ほんだでその地を阿豆麻っていうんだがね☝️😊

今の吾妻だわな☝️😊




そこからヤマトタケルノミコト

その国を越え甲斐国(山梨県)に着き

酒折宮(さかおりのみや)で歌を詠むんだわ…


新治(にひばり)

筑波(つくば)を過ぎて

幾夜か寝つる


《Hickeyの御歌訳》


新治や筑波を過ぎてから

幾夜を寝たのだろうか


すると…かがり火を焚く老人が

その歌の後に続けて歌を詠んだんだ⁉️😳

やるな爺さん😳


かがなべて

夜には九夜(ここのよ)

日には十日(とおか)を


《Hickeyの歌訳》


日に日を並べて夜は九日

日は十日になりますよ


ヤマトタケルノミコト

その老人を誉めたって

東国造(あずまくにのみやつこ)にしたったんだわ❗️


ヤマトタケルノミコトは

無事に大和に帰ることができるのか…

あゝヤマトタケルの運命やいかに…




さて今宵はココまで☝️😊

つづきは

Hickey超訳・古事記26で☝️😊



みんなで古事記を楽しもう😊🇯🇵