⬇️Hickey超訳・古事記《上つ巻》⬇️
Hickey超訳・古事記
《中つ巻》
⬇️もくじ⬇️
【大帯日子於斯呂和気天皇】
(オオタラシヒコオシロワケノスメラミト)
《景行天皇》
~倭建命の東征~
(ヤマトタケルノミコトのとうせい)
父帝・景行天皇に褒めてもらえるとばかり思い
ドキドキわくわくしながら倭建命は西征から
大和に凱旋帰国✊😊🎉
…が…
景行天皇は
「東方十二道の荒ぶる神々と
(ひむかしのかたとおあまりふたみち)
従わない者どもを説得し平定せよ!」
そう倭建命に勅命をあたえたんだわな😳
まぁ~西征も厄介払いだったんだでな😨💦
褒めるわきゃあらせんわなぁ~当然😨💦
本当は熊曾討伐に失敗して棺で帰ってきた所に
『おぉヤマトタケルノミコトよ
死んでしまうとは情けない!』
そうドラクエの王様みたいに言いたかったんだろな
景行天皇…😨💦
褒めてもらいたくて一生懸命に西征してきたのに
ヤマトタケルノミコトかわいちょ😭
さて…
景行天皇はヤマトタケルノミコトに
吉備臣(きびおみ)らの祖である
御鉏友耳建日子を随伴させて
(ミスキトモミミタケヒコ)
比比羅木(ひひらぎ)の木で出来た
八尋矛(やひろほこ)を授けるんだわ😊
この矛は柊で作った邪気払いの矛だがね☝️😊
さすがに【ひのき棒】とかじゃないんだな🤣
ヤマトタケルノミコトは
天皇(スメラミコト)の勅命を受け出発する時に
伊勢の大御神宮(=伊勢の神宮)に参り
そこにおった叔母の
倭比売命(ヤマトヒメノミコト)に
『大王(おおきみ)は俺に死んでほしいと
思っとんだと思うんだわ…
何でなんだて…
どうしてなんだて…
やっとの思いで西征を終えて
大和に帰って来てまだ間もにゃあのに
兵士も与えられとらんのに今度は
東方十二道を平定を俺に命じるんだわ!
きっと俺なんて死んだらええと思っとんだて!』
そう愚痴ったんだわ😨💦
何だか切にゃあ😨
泣くなヤマトタケルノミコトよ😨
ヤマトタケルノミコトが泣きながら
立ち去ろうとした時…
ヤマトヒメノミコトは
草薙剣(くさなぎのつるぎ)と袋を授け
『もし身に危険が及んだ時は
この袋の口を開けたってちょ!』
そうヤマトタケルノミコトに言ったんだ❗️
こうしてヤマトタケルノミコトは
東征に出て行くんだわ❗️
さて…
尾張に着いたヤマトタケルノミコトは
そこで
尾張の国造(おわりのくにのみやつこ)の祖の
美夜受比売(ミヤズヒメ)の家に入るんだわ❗️
どらミヤズヒメが綺麗だったもんだで
ヤマトタケルノミコトは一目惚れ😍💓
ヤマトタケルノミコトは
ミヤズヒメとすぐに結婚をしようと思うが
大和に帰る時にしようと考え改めて
ミヤズヒメと婚約だけし東国に出発し
山河の荒ぶる神々や従わぬ者達をことごとく説得し
平定して進んでいったんだわ‼️
やっぱ強ぇヤマトタケルノミコト😳
さて…
相武国(さがむのくに=神奈川県)に
ヤマトタケルノミコトが着いた時
相武の国造(さがみのくにのみやつこ)は
ヤマトタケルノミコトに
『この野の中に大沼があるずら!
この沼の中に住む神は道速振る神ずら!』
道速振る=【ちはやぶる】で霊力のあるって意味😊
そう嘘こいて騙すんだわ😒
さて…ヤマトタケルノミコトは
その神を見てみようと野原に足を踏み入れると…
その国造の野郎が野に火を放ってまったんだわ🔥
ヤマトタケルノミコト大ピ〜ンチ😱
あれ❓…ん❓…おや🤔 慌てとらせんがね🤔
ほんでも騙されたと知っても慌てんのが英雄だで❗️
やっぱり
ヤマトタケルノミコだがね☝️😊
叔母のヤマトヒメの言葉である
『もし身に危険が及んだ時は
この袋の口を開けたってちょ!』
これをを思い出してヤマトヒメから
授かった袋の口を開けみたんだがね☝️😊
袋の中には火打石が入ってんだわ🤔
ほんだもんだでヤマトタケルノミコトは
草薙剣で周りの草を刈り払い火打石で火をおこし
刈り払った草に向火(むかいび)をつけて焼き退け
そこから脱出し国造どもを斬り殺してまったあげく
火をつけて焼いてまうんだわ🔥
ほんだでその地を焼遺と言うんだぞわ☝️😊
今の焼津市のことだがね☝️😊
~弟橘比売命~
(オトタチバナヒメノミコト)
相武の国造を征伐した
ヤマトタケルノミコトは
ソコからさらに東へと進んだんだわ☝️😊
ほんで船で走水海を渡ろうとしたところ…
(はしりみずのうみ=浦賀水道)
その海峡の神が嵐をおこし船を翻弄し
グルグルとまわしたもんだで渡れんくなったんだわ😨
ヤマトタケルノミコトまたまた大ピンチ😨💦
そこでヤマトタケルの后である
弟橘比売命(オトタチバナヒメノミコト)が
『おみゃさんの代わりに私か海の中に降りるで
おみゃさんは勅命を成し遂げて
天皇(スメラミコト)に報告せなかんでしょ〜』
そう言って海におりようとして
菅畳八重(さがたたみやえ)
皮畳八重(かわたたみやえ)
絹畳八重(きぬたたみやえ)を
波の上に敷しいてそこにおりたんだわ…😱
すると…
荒波は自然と収まり船を進めることが出来たんだわ⁉️
海におりる時に
オトタチバナヒメノミコトは
歌を詠んでたんだわ…
さねさし
相武(さがむ)の小野に
燃ゆる火の
火中(ほなか)に立ちて
問ひし君はも
《Hickeyの御歌訳》
相模の野原に燃える火の
その火中に立って
私の身を案じて
呼んでくださった君よ…
それから七日後…
オトタチバヒメノミコトの
身に着けていた櫛が浜辺で見つかったんだわ…😞
ヤマトタケルノミコトは
その櫛をとり御陵を作っておさめたんだわ🙏
ヤマトタケルノミコトは
そこからさらに進み
荒ぶる蝦夷(えみし=野蛮な奴)達や
山河の荒ぶる神々をことごとく説得し
平定していっなんだわ☝️😊
さて…東征を終えて大和へ引き返す途中…
足柄(あしがら=足柄山)の坂の麓で
乾飯(かれいい=お弁当)を食べてたら…
その坂の神が白い鹿に化け現れたんだわ⁉️😳
ほんだもんだでヤマトタケルノミコトは
食べ残しの蒜(ひる=ニンニク)の端切れを持って
大谷翔平バリに豪快に投げつけると
白い鹿の目に当たり白い鹿は死んでまったんだわ⁉️
そしてその坂の上に登り立ち三度ため息をついて
『吾妻(あづま)はや』
あぁ我が妻よ…って意味な☝️😒
そう言ってんだわ☝️😊
ほんだでその地を阿豆麻っていうんだがね☝️😊
今の吾妻だわな☝️😊
そこからヤマトタケルノミコトは
その国を越え甲斐国(山梨県)に着き
酒折宮(さかおりのみや)で歌を詠むんだわ…
新治(にひばり)
筑波(つくば)を過ぎて
幾夜か寝つる
《Hickeyの御歌訳》
新治や筑波を過ぎてから
幾夜を寝たのだろうか
すると…かがり火を焚く老人が
その歌の後に続けて歌を詠んだんだ⁉️😳
やるな爺さん😳
かがなべて
夜には九夜(ここのよ)
日には十日(とおか)を
《Hickeyの歌訳》
日に日を並べて夜は九日
日は十日になりますよ
ヤマトタケルノミコトは
その老人を誉めたって
東国造(あずまくにのみやつこ)にしたったんだわ❗️
ヤマトタケルノミコトは
無事に大和に帰ることができるのか…
あゝヤマトタケルの運命やいかに…
さて今宵はココまで☝️😊
つづきは
Hickey超訳・古事記26で☝️😊
みんなで古事記を楽しもう😊🇯🇵