Hickey超訳・古事記 19




Hickey超訳・古事記《上つ巻》⬇️

Hickey超訳・古事記
《中つ巻》
もくじ⬇️
〜御真木入日子印恵命〜
(ミマキイリヒコイニエノミコト)
《崇神天皇》



~三輪山の大物主神~

崇神天皇(すじんてんのう)の御世に
疫病が多く起こってまって民(おおみたから)は
死に絶えそうになってまっとたんだわ😨💦
わやだ😨💦 どらヤベぇがや😱
崇神天皇は祭祀王としてどら心を痛めてまって
夢で神託(しんたく)を得るため特別に清めた寝室で
神床(かむとこ)眠っとると…
誰かがシュワシュワっと枕元に現れただわ⁉️😳
驚き飛び起きた崇神天皇
『おみゃさん誰なんだて❓』
そう枕元の男に問うと…
『あんだって?なに言って~だよ
私ゃ神様だ~よ!』
そう男は答え続けて
『おみゃあは疫病の事で悩んどるみたゃあだが…
あの疫病の原因は…わ・た・し…😛』
そう頭をポリポリかきながら告げたんだがね‼️
をぃをぃ…大胆なカミングアウトだな😳
驚きながらも崇神天皇
『で…結局おみゃさん誰なんだて?』
そう枕元の男に冷静に問うたんだわ…
やっぱり天皇は冷静だわ😳
すると男は
『だから神様だがね!大物主!』
そう名乗り疫病について語りだしたんだ…



『いや…あの…どら昔に大国主に
三輪山に祭ってもらったんだがよ〜
時が経ってまったもんだで
社が朽ち果ててまったんだて😨
そんだもんだでよ〜
霊力を調整できんようになってまったんだわ😨
この疫病をおさめるために
意富多々泥古(オオタタネコ)を
 捜しだしてきて私を祀ってほしいんだわ!』
そう崇神天皇に告げ枕元から霧のように
シュワシュワシュワ〜と姿を消したんだと…😳
早い話…
疫病は大物主の祟りだったんだわ☝️😨💦
まぁ〜まだこの時代にはアマビエ様は現れとらんで
《アマビエ様の絵で疫病封じをする》
そんな風にゃならせんわな😅💦
そらオオタタネコを捜さなかんわ😅💦



さて…

オオモノヌシの夢の御告げを聞いた(みた❓🤔)
崇神天皇はスグさま早馬を四方に走らせ
オオタタネコを捜させたところ
河内の美努村(みののむら)いう所で
無事に発見できたんだがね☝️😊
細きゃあ事だがオオタタネコの読み方だけどよ〜
オオタで切る人が結構おるんだわ😨💦
たぶん現代の太田とか大田って苗字をイメージし
勝手にオオタ・タネコ(太田種子❓🤔)って
変な切り方して呼んどるんだろが…😅
オオタタネコはオオタタネコだでよ☝️😅💦
オオは美称だでな😅💦
もし切るとしたオオ・タタネコ😅💦
でもやっぱりオオタタネコはオオタタネコだて😅
変な切り方せんでやってちょうだゃあ😅💦
ちなみに…
奈良の三輪にある大神神社ではオオタタネコは
大直禰子命として摂社・大直禰子神社に祀られとる🙏



さて…

崇神天皇オオタタネコ
『おみゃさん誰の子なんだて?🤔』
そう確認すると…
『私はオオモノヌシが
陶津耳命(スエツミミ)の娘の
活玉依毘売(イクタマヨリビメ)を娶って生まれた
     櫛御方命の子(クシミカタノミコト)の子
飯肩巣見命(イヒカタスミノミコト)の子の
建甕槌命(タケミカヅチノミコト)の子
意富多々泥古(オオタタネコ)だがね!』
そうオオタタネコは答えたんだわ☝️😊
どらええ血筋って言いたゃあんだろけど
オオタタネコ…自己紹介が長いんだわ😅
ソレを聞き崇神天皇は大喜びし
『これで天下は治り人々は栄えるでよ!』
そう言ってオオタタネコを祭主とし
御諸山(みもろやま=三輪山)に
意富美和之大神(オオミワノオオカミ)
拝み祀ったんだわ🙏
『この神様は誰〜❓🤔』そう思った人🫵😒
意富美和之大神はオオモノヌシの事だがね☝️😅
また…
伊迦賀色許男命(イカガシコオノミコト)に命じ
祭祀に使う平たい素焼きの皿をどら数多く作らせて
天神地祇(あまつかみくにつかみ)社を定め
祀ったんだわ🙏
更に…
宇陀墨坂神(ウダノスミサカノカミ)
赤色の楯と矛を祭り🙏
これは今の隅坂神社の事だがね☝️😊
俺もチャイナウィルス封じで参拝したよ🙏



大阪神(オオサカノカミ)黒色の楯と矛を祭り🙏
こちらは大阪山口神社の事だな🤔
隅坂は大和盆地内の大神神社から見て東の入り口!
大阪山口は西の入り口にあたるんだわ☝️😒



さらに坂の尾根の神や河の瀬の神にも尽く残す所なく
幣帛(みてぐら)を奉ったんだわ🙏
要は三輪あたりに疫病が入ってこないように
坂の尾根の神様や河川の瀬の神様など全てを祀り
祭祀をおこなって結界を張ったって事だわ🙏
ありがたゃあ事だて😁
これにより疫病はすっかりおさまり
国も平安を取り戻したんだがね🙏



このオオタタネコ神の子であると
知ったのには次のような理由があったんだわ☝️😒
どら美しいイクタマヨリビメの所に
ある夜遅く…容姿も威厳も比類にゃあ若い男が
突然やって来たんだわ😳
要はイケメンだったんだな😅💦
その夜から二人は惹かれ合ってまったもんだで
毎晩一緒に過ごしとったんだわ🫣
そうしとるうちに時間も経っとらせんのに
イクタマヨリビメは身ごもってまったんだわ⁉️😳
その妊娠を怪しんだ父母は
『夫もおれせんのになぜ妊娠したんだて❓😒』
そう聞くとイクタマヨリビメ
『名前も知らせんのだけど
どら麗しい男の人が毎晩やって来て
一緒に夜を過ごしている間に身ごもってまった』
そう答えたんだわ😳
自分の愛する娘の腹の中に子供がおる…
相手はどんな奴か親父としたら気になるわな😅
ほんだもんだで通ってくる男が誰なのか知ろうと思い
娘にこう言うんだわ☝️😒
『赤土を床の前にまいて
糸巻に巻いた麻糸を針に通して
その男の衣の裾に刺したってちょ!』
イクタマヨリビメは言われた通りにし
翌朝になって見てみると麻糸は戸の鍵穴を通って
外に出て残った麻糸は三勾(みわ=三巻き)だけに
なっとたんだわ☝️😒
さて…
その男が小さな鍵穴を通って出て行ったのを知って
その糸をたどっていくと…
美和山(みわやま=三輪山)に至り
神の社に続いとったもんだでよ〜😒
その男が美和山の神だとわかったんだわ☝️😒
麻糸が三勾残っていたことから
その地を美和と言うんだがね☝️😅💦
この話は三輪伝説だろ🤔
三勾と三輪をかけやがったな⁉️🤣
山田く~ん…座布団一枚もってって🤣
オオタタネコ神君(みわのきみ)
鴨君(かものきみ)の祖にあたるんだわ☝️😊



~建波邇安王の反逆~
(タケハニヤスノミコのはんぎゃく)

崇神天皇第八代天皇・孝元天皇の御子である
大毘古命(オオビコノミコト)
高志道(こしのみち=北陸道)に派遣し
その子である
建沼河別命(タケヌナカワケノミコト)
東方十二道に派遣して
(ひむかしのかたとおあまりふたみち=東海地方)
朝廷に従わぬ者達を和らげて平定させたんだわ❗️
また崇神天皇の兄弟にあたる
日子坐王(ヒコイマスノミコ)
丹波国に派遣して
玖賀耳之御笠(クガミミノミカサ)
倒したんだわ💪
さて…
オオビコノミコト高志道に行く途中
山代の幣羅坂(やましろのへらさか)に
軍を進めていた時のこと…
腰に短い裳(も)を着けた乙女がノリノリで
次のように歌っとたんだわ☝️😒

御真木入日子 (ミマキイリビコ)はや
御真木入日子はや
己が緒を    盗み殺(し)せむと
 後(しり)つ戸よ い行き違(たが)ひ 
前つ戸よ い行き違ひ
(うかか)はく 知らにと 
御真木入日子はや

《Hickeyの御歌訳》

御真木入日子(=崇神天皇)よ 
御真木入日子よ
自分の命をこっそり狙っとる奴が
後の戸からすれ違い
前の戸からすれ違い
狙いうかがってとるのも知らんで
御真木入日子よ

これを聞いたオオビコノミコトは奇妙に思い
馬を返して乙女に
『おみゃ~が今いっとったことは
一体どういうことだなも?』
そう問うてみたんだわ☝️😒
すると乙女は
『私は何も言っとらせんて!
ただ歌を詠んどっただけだて!』
そう言ってたちまち姿を消したんだわ😳
ほんだもんだでオオビコノミコト
どら慌て大急ぎで大和に戻り崇神天皇
ことの顛末を報告をしたんだわ
すると崇神天皇は
『こりゃ~山代国に住む
叔父上の庶兄(まませ=異母兄)の
建波邇安王(タケハニヤスノミコ)が
ダークサイドに堕ちた
(しるし)に違いちゃあ!
伯父上!軍を率いて行ってきやあせ!』
そう言って丸邇臣(わにのおみ)の祖である
日子国夫玖命(ヒコクニブクノミコト)を従わせ
討伐軍を派遣したんだわ‼️



この時…
丸邇坂(わにさか)に忌瓮(いわいべ)を
据えてから出発したんだわ🙏
山代の和訶羅河(わからがわ=木津川)に着くと
やっぱりタケハニヤスノミコト
すでに臨戦態勢で待っとったんだわ😒
両軍は川を挟んで対峙して戦いに挑んだんだて‼️
ほんだもんだでその地の事を
伊土杼美(いどみ)というんだわ‼️
はじめにヒコクニブクノミコトが敵に
『そちらが
 まず忌矢(いわや)を放ってみやあせ!』
そう言って挑発したったんだわ‼️
そこで…
タケハニヤスノミコトが矢を射った…が
その矢は全くかすりもせず当たらんのだわ🤣
どら下手くそだでかん🤣
次にヒコクニブクノミコトが矢を放った…
その矢はタケハニヤスノミコト
🎯クリティカルヒット⭐️
タケハニヤスノミコト
やけにあっさりと死んでまったんだわ‼️
これでタケハニヤスノミコトの軍は総崩れ…
オオビコノミコトの軍は
逃げ散る敵軍を追い詰めて
久須婆之度(くすばのわたり)に着いた時に
敵軍は苦しめられた恐怖に糞をもらし💩💩💩
それが袴(はかま)にかかるんだわ😨💦
だから…
その地を糞袴(くそばかま)と言うんだわ😨💦💩
さて…
逃げ惑う軍勢の行く手を阻み斬ってことごとく倒すと
その屍は鵜のように河に浮かんできたんだわ⁉️
だからこの河を鵜河(うかわ)と言うんだわ‼️
さらに兵を斬り放(はふ)ったから
その地を波布理曾能(はふりその)と言うんだわ❗️



オオビコノミコト
ヒコクニブクノミコト戦を終えて
崇神天皇に戦勝報告をしたんだわ☝️😊
さてその後オオビコノミコト
最初の命令通りに高志国に向かい
その途中の相津(あいず=会津)で東方
派遣されとったオオビコノミコトの子の
建沼河別命(タケヌナカワケノミコト)
合流したんだわ‼️
ほんだでその地を相津というんだがね☝️😊
 それぞれに派遣された国々を平定し大和に戻り
崇神天皇に戦勝報告したんだわ🇯🇵
これによっ天下は泰平となり
民は豊かになったんだわ‼️
ここで初めて
男に弓端之調(ゆはずのつき)を
女には手末之調(たなすえのつき)を
献上させたんだわ‼️
これが徴税のはじまりだがね☝️😊
男は弓矢で獲った鳥獣などを納めて
女は綿布だとか絹や糸などを作って納める☝️😊
その崇神天皇の御代を称えて
【初国知らしし御真木天皇】
(はつくにしらししみまきのしめらみこと)
そういうんだわ🙏
またこの御代に灌漑用の
溜池依網池(よさみのいけ)と
軽の酒折池(さかおりのいけ)作ったんだわ❗️
崇神天皇
戊寅年十二月…
(つちのえとらのとしのしわす)
御年が百六十八歳で崩御…
御陵は
山辺の道の勾之岡の上
ここにあるんだわ🙏



さて…

今宵はココまでに😊

つづきは次回

 Hickey超訳・古事記20で😊👍


その前に解説版を一度やらなかんね😅💦



みんなで古事記を楽しもう😊🇯🇵