Hickey超訳・古事記

【上つ巻】

【序】

臣下の安万侶(やすまろ)が申し上げます🙏
万物のはじめの気はすでに出来上がっても
その気はまだ充分でなく名もなく…動きもなく…
誰がその形を知ることが出来るでしょう…
ところが雨と土が初めてわかれると
天之御中主神(アメノミナカヌシノカミ)
高御産巣日神(タカミムスヒノカミ)
神産巣日神(カミムスヒノカミ)
この三柱が万物の始まりになりました☝️😁



そして陰と陽にわかれ

伊邪那岐神(イザナキノカミ)

伊邪那美神(イザナミノカミ)

万物を生み出す親となりました😘❤️😊



そしてイザナミが黄泉の國へ御でかけになり

またイザナキ黄泉の國と

現し國(うつしくに)を行き帰りしたのち禊をし

目を御洗いになった際に

日の神天照大御神(アマテラスオオミカミ)

月の神月読命(ツクヨミノミコト)が現れて

続いてイザナキが海水に浮き沈みし禊をした時

天神地祇があらわれました😳

(アマツカミクニツカミ)

このように天地のはじまりは奥が深いのですが

前々からの教え語り伝えによって神が国土を身籠り

島々を産んだ時のことがわかります😁👍

また元のはじめは遠きことなのですが古き世の

賢人達のおかげで神が生まれ

人が成り立たせた世のこともわかるのです😁👍

だから正しく次のような事を知る事ができます❗️

アマテラス

(あめ)の岩屋に御隠れになった時に

大御神に戻ってもらうために鏡を枝にかけて

(↑こう原文に表記されている)

また須佐之男命(スサノオノミコト)

珠を噛んで吹き捨てたことから

天忍穂耳命(アメノオシホミミノミコト)

姿を現しアマテラスの御子となり

万世一系の皇統が続くこととなりアマテラス

剱を噛んでスサノオノが大蛇を斬って

萬の神々が栄えました😁

神々が安の河原で天下平定の相談をし

建御雷神(タケミカヅチノカミ)

出雲國の稲佐の小浜で説き諭し国土を清めました🇯🇵

そこで

番能邇邇芸命(ホノニニギのミコト)

はじめて高千穂の峰に降り立ち

神倭天皇は年月をかけ秋津嶋に入りましたが

(カムヤマトスメラミコト=神武天皇)

熊と化した神が爪を出した時には天から下された

靈剱を高倉の中で手に入れました🗡️

また尾のある人が道を遮った時には大きな烏🐦‍⬛が

吉野へと導き舞踊って敵を打ち払い歌を合図に敵を

従わせました🐦‍⬛😁👍🎶

そして第十代崇神天皇(スウジンテンノウ)

夢のお告げにより

大物主神(オオモノヌシノカミ)を祀り

神祇を崇敬したため賢き后(かしこききみ)と

たたえられました😁

第十六代仁徳天皇(ニントクテンノウ)

民家の煙の少ないのを見て民を慈しみ

今に聖帝(ひじりのみかど)と伝えられています😁

また十三代成務天皇(セイムテンノウ)

国々の境を定め国造(くにのみやつこ)や

県主(あがたぬし)を定め近淡海(ちかつおうみ)で

天下を治められました😁

第十九代允恭天皇(インギョウテンノウ)

氏姓(うじかばね)をただして

遠飛鳥(とおつあすか)で天下を治められました😁

それぞれの政(まつりごと)には華やかなものと

質素なものがありましたが歴代の天皇は古を願み

すで衰えていた道徳を正そうとされ

また今を照らして耐えようとしている徳政を

補おうとされこれを厭うことをしませんでした❗️




 

また飛鳥清原の大宮で大八島國を

御治めになった天皇の御世に至りました❗️

(↑これは天武天皇のことです

この天皇は皇子として帝位にのぼるべき時を

太子(ひつぎのみこ)として吉野の山で出家し

時が熟すのを待っていました❗️

ある時に心を寄せる人達が集まり伊勢の國へむかい

堂々と進軍なさり山や川をおし渡り皇子の軍は

雷のように奮いたち諸国の軍は稲光のように

進軍していきました⚡️

矛(ほこ)は武威をしめし強き兵士達は立ち上がり

赤い旗が兵士達を輝かせた時に凶徒は瓦解し

まだ12日もたっていないうちに

妖気もおさまったので牛馬を休めました❗️

そして心安らかに大和の都へ帰り旗を巻き矛を納め

舞踊って都に留まりました😁

こうして酉の年の二月に清見の大宮において

即位をされました🙌

天武天皇(テンムテンノウ)の政道は

黄帝にも勝り徳は周王をも凌いでいました✨

皇位の証である神器を持ち天下を治められて

天統(あまひつぎ)を得て天皇の秩序というものを

世界の隅々まで行き渡らせました🇯🇵

政(まつりごと)は陰陽と五行の正しい運行に

則って行われて神の道を復興され

世の人々を正しい導きながら

優れた道徳を施し國を大きくされました🇯🇵

その英知は海より広々とし上古の事を探求され

心は明るく澄み切って

先代の御事績もよく踏まえておいででした😁

ここに天皇は次のように仰せになられました


朕が聞くところによると諸家に伝わる帝紀と本辞が

既に真実と異なり多くの偽りを加えているという😒

今この時にその間違いを正さなければ

幾年もたたぬうちにその趣旨はなくなってしまう❗️

これは天下国家の組織の原理であり

天皇の統治の基礎ともなるものである❗️

そこで帝紀と本辞を調べなおし偽りを削り

真実を定めて撰録し後世に伝えようと思う☝️😁


時に稗田阿礼(ひえだのあれ)という

二十八歳となる舎人がいました😁

これがまた人となりが聡明で

更に一度目にしたものは全て誦ずることができ

また一度聞いたら心に留めおくことができました😳

そこで天皇阿礼に詔あそばされ

帝皇日継(すめらぎのひつぎ=帝紀)と

先代旧辞(さきつよのふること)を

読み習わせました❗️


しかし天皇の代替わりがあり

いまだに撰録は行なわれていませんでした😨💦


謹んで思いまするに天皇陛下(元明天皇)

天子の徳を得てその聖徳は四方に及び

天地人の万物に通じて人々を育て養っております😁

皇居にいらしても御徳は水陸の遠く果てまで及び

その徳によって日と月が同時に光を重ね

慶雲が空にあらわれ枝の繋がって二本の木🌲🌲や

穂が繋がった二本の稲🌾🌾などが相次いで起き

瑞祥を記録する筆が耐える事がありません😁

国境を越え知らない国々からの貢ぎ物で

蔵は空になる月がありません⁉️😳

陛下のその御名は文明よりも高く

御徳は天乙にも勝るというべきであります❗️

ここにおいて天皇陛下

旧辞帝紀誤っている事を惜しまれて

それを正そうとあそばされて

和銅四年九月十八日

(わどうよとせのながつきとおかあまりやか)


臣下の安万侶

稗田阿礼が勅命によって

誦え習った旧辞を撰録して奉れ

そう仰せになったので

謹んで仰せのまま事細かく詳細に採録いたしました


しかしながら上古にありましては言葉も

またその意味も内容も素朴で飾り気がないために

漢字で文章を書きあらわすのが困難でした😨💦

全て訓を用いて記すと

その言葉がわからないでしょうし…😨

だからと言って全てを音で読むように書くと

いたずらに長くなってしまいます…😱

そこでいま古事記を書くにあたり

ある場合は一句の中に音と訓とを交ぜて用い

時によっては一つの事を記すのに

全て訓ばかりの文字で書く事にしました❗️

言葉の意味がわかりにくいものには注を加えて

意味をあきらかにし

意味がわかりやすいものには注は加えていません❗️

また氏姓において日下くさかと読んだり

名においてたらしと読むような類は

元のままにして改めませんでした❗️

およそ記すところは天地開闢から

小治田の親世までです☝️😁

そこで

天之御中主神から

日子波限建鵜葦草葦不合命までを

(ヒコナギサタケウカヤフキアエズノミコト)

上つ巻とし

神倭伊波礼毘古天皇から

(カムヤマトイワレビコスメラミコト)

品陀の御世までを中つ巻きとし

大雀皇帝(オオササギノスメラミコト)から

小治田の大宮までを下つ巻とし

併せて三巻として謹んで献上いたします📕


臣下の安万侶


誠惶誠恐

(まことにおそれまことにかしこみ)

頓々首々

(くらりかえしぬかずきもうしあげます)


和銅五年正月二十八日

(わどういつとせのむつきはたちあまりやか)

正五位上勲五等

(おおきいつのかみのくらいいさおのいつつしな)

太朝臣安万侶

(おおのあそみやすまろ)


【上つ巻へ続く



いよいよ動き出した

Hickey超訳・古事記シリーズ!


第一回目は【序】でした😁


解説は夜のブログにて😁👍