そして陰と陽にわかれ
伊邪那岐神(イザナキノカミ)
伊邪那美神(イザナミノカミ)が
万物を生み出す親となりました😘❤️😊
そしてイザナミが黄泉の國へ御でかけになり
またイザナキが黄泉の國と
現し國(うつしくに)を行き帰りしたのち禊をし
目を御洗いになった際に
日の神天照大御神(アマテラスオオミカミ)と
月の神月読命(ツクヨミノミコト)が現れて
続いてイザナキが海水に浮き沈みし禊をした時
天神地祇があらわれました😳
(アマツカミクニツカミ)
このように天地のはじまりは奥が深いのですが
前々からの教え語り伝えによって神が国土を身籠り
島々を産んだ時のことがわかります😁👍
また元のはじめは遠きことなのですが古き世の
賢人達のおかげで神が生まれ
人が成り立たせた世のこともわかるのです😁👍
だから正しく次のような事を知る事ができます❗️
アマテラスが
天(あめ)の岩屋に御隠れになった時に
大御神に戻ってもらうために鏡を枝にかけて
(↑こう原文に表記されている)
また須佐之男命(スサノオノミコト)が
珠を噛んで吹き捨てたことから
天忍穂耳命(アメノオシホミミノミコト)が
姿を現しアマテラスの御子となり
万世一系の皇統が続くこととなりアマテラスが
剱を噛んでスサノオノが大蛇を斬って
萬の神々が栄えました😁
神々が安の河原で天下平定の相談をし
建御雷神(タケミカヅチノカミ)が
出雲國の稲佐の小浜で説き諭し国土を清めました🇯🇵
そこで
番能邇邇芸命(ホノニニギのミコト)が
はじめて高千穂の峰に降り立ち
神倭天皇は年月をかけ秋津嶋に入りましたが
(カムヤマトスメラミコト=神武天皇)
熊と化した神が爪を出した時には天から下された
靈剱を高倉の中で手に入れました🗡️
また尾のある人が道を遮った時には大きな烏🐦⬛が
吉野へと導き舞踊って敵を打ち払い歌を合図に敵を
従わせました🐦⬛😁👍🎶
そして第十代崇神天皇(スウジンテンノウ)は
夢のお告げにより
大物主神(オオモノヌシノカミ)を祀り
神祇を崇敬したため賢き后(かしこききみ)と
たたえられました😁
第十六代仁徳天皇(ニントクテンノウ)は
民家の煙の少ないのを見て民を慈しみ
今に聖帝(ひじりのみかど)と伝えられています😁
また十三代成務天皇(セイムテンノウ)は
国々の境を定め国造(くにのみやつこ)や
県主(あがたぬし)を定め近淡海(ちかつおうみ)で
天下を治められました😁
第十九代允恭天皇(インギョウテンノウ)は
氏姓(うじかばね)をただして
遠飛鳥(とおつあすか)で天下を治められました😁
それぞれの政(まつりごと)には華やかなものと
質素なものがありましたが歴代の天皇は古を願み
すで衰えていた道徳を正そうとされ
また今を照らして耐えようとしている徳政を
補おうとされこれを厭うことをしませんでした❗️
また飛鳥清原の大宮で大八島國を
御治めになった天皇の御世に至りました❗️
(↑これは天武天皇のことです)
この天皇は皇子として帝位にのぼるべき時を
太子(ひつぎのみこ)として吉野の山で出家し
時が熟すのを待っていました❗️
ある時に心を寄せる人達が集まり伊勢の國へむかい
堂々と進軍なさり山や川をおし渡り皇子の軍は
雷のように奮いたち諸国の軍は稲光のように
進軍していきました⚡️
矛(ほこ)は武威をしめし強き兵士達は立ち上がり
赤い旗が兵士達を輝かせた時に凶徒は瓦解し
まだ12日もたっていないうちに
妖気もおさまったので牛馬を休めました❗️
そして心安らかに大和の都へ帰り旗を巻き矛を納め
舞踊って都に留まりました😁
こうして酉の年の二月に清見の大宮において
即位をされました🙌
天武天皇(テンムテンノウ)の政道は
黄帝にも勝り徳は周王をも凌いでいました✨
皇位の証である神器を持ち天下を治められて
天統(あまひつぎ)を得て天皇の秩序というものを
世界の隅々まで行き渡らせました🇯🇵
政(まつりごと)は陰陽と五行の正しい運行に
則って行われて神の道を復興され
世の人々を正しい導きながら
優れた道徳を施し國を大きくされました🇯🇵
その英知は海より広々とし上古の事を探求され
心は明るく澄み切って
先代の御事績もよく踏まえておいででした😁
ここに天皇は次のように仰せになられました
朕が聞くところによると諸家に伝わる帝紀と本辞が
既に真実と異なり多くの偽りを加えているという😒
今この時にその間違いを正さなければ
幾年もたたぬうちにその趣旨はなくなってしまう❗️
これは天下国家の組織の原理であり
天皇の統治の基礎ともなるものである❗️
そこで帝紀と本辞を調べなおし偽りを削り
真実を定めて撰録し後世に伝えようと思う☝️😁
時に稗田阿礼(ひえだのあれ)という
二十八歳となる舎人がいました😁
これがまた人となりが聡明で
更に一度目にしたものは全て誦ずることができ
また一度聞いたら心に留めおくことができました😳
そこで天皇は阿礼に詔あそばされ
帝皇日継(すめらぎのひつぎ=帝紀)と
先代旧辞(さきつよのふること)を
読み習わせました❗️
しかし天皇の代替わりがあり
いまだに撰録は行なわれていませんでした😨💦
謹んで思いまするに天皇陛下(元明天皇)は
天子の徳を得てその聖徳は四方に及び
天地人の万物に通じて人々を育て養っております😁
皇居にいらしても御徳は水陸の遠く果てまで及び
その徳によって日と月が同時に光を重ね
慶雲が空にあらわれ枝の繋がって二本の木🌲🌲や
穂が繋がった二本の稲🌾🌾などが相次いで起き
瑞祥を記録する筆が耐える事がありません😁
国境を越え知らない国々からの貢ぎ物で
蔵は空になる月がありません⁉️😳
陛下のその御名は文明よりも高く
御徳は天乙にも勝るというべきであります❗️
ここにおいて天皇陛下は
旧辞と帝紀が誤っている事を惜しまれて
それを正そうとあそばされて
和銅四年九月十八日
(わどうよとせのながつきとおかあまりやか)
臣下の安万侶に
稗田阿礼が勅命によって
誦え習った旧辞を撰録して奉れ
そう仰せになったので
謹んで仰せのまま事細かく詳細に採録いたしました
しかしながら上古にありましては言葉も
またその意味も内容も素朴で飾り気がないために
漢字で文章を書きあらわすのが困難でした😨💦
全て訓を用いて記すと
その言葉がわからないでしょうし…😨
だからと言って全てを音で読むように書くと
いたずらに長くなってしまいます…😱
そこでいま古事記を書くにあたり
ある場合は一句の中に音と訓とを交ぜて用い
時によっては一つの事を記すのに
全て訓ばかりの文字で書く事にしました❗️
言葉の意味がわかりにくいものには注を加えて
意味をあきらかにし
意味がわかりやすいものには注は加えていません❗️
また氏姓において日下をくさかと読んだり
名において帯をたらしと読むような類は
元のままにして改めませんでした❗️
およそ記すところは天地開闢から
小治田の親世までです☝️😁
そこで
天之御中主神から
日子波限建鵜葦草葦不合命までを
(ヒコナギサタケウカヤフキアエズノミコト)
上つ巻とし
神倭伊波礼毘古天皇から
(カムヤマトイワレビコスメラミコト)
品陀の御世までを中つ巻きとし
大雀皇帝(オオササギノスメラミコト)から
小治田の大宮までを下つ巻とし
併せて三巻として謹んで献上いたします📕
臣下の安万侶
誠惶誠恐
(まことにおそれまことにかしこみ)
頓々首々
(くらりかえしぬかずきもうしあげます)
和銅五年正月二十八日
(わどういつとせのむつきはたちあまりやか)
正五位上勲五等
(おおきいつのかみのくらいいさおのいつつしな)
太朝臣安万侶
(おおのあそみやすまろ)
【上つ巻へ続く】
いよいよ動き出した
Hickey超訳・古事記シリーズ!
第一回目は【序】でした😁
解説は夜のブログにて😁👍