今年美容師25年を迎えるにあたって某雑誌にインタビューしてもらいました
記 はじめまして、本日は美容業25年を迎えたという事でいろいろお話を伺っていきたいと思いますので宜しくお願いします
15 わざわざありがとうございます!なんかそんなに長くやっているつもりはないんですけど気付けばあっという間ですね。こちらこそ宜しくお願いします
記 それでは先ず初めにざっと生い立ちからどうでしょう?と思うのですが、美容師になろうとしたきっかけなんかも伺えると。。。
15 そんなに遡るんですか。。。大して面白くもないのに更に掘るんですね笑 生まれは群馬の高崎で当時競馬場が合ったその真向かいにある学校に通ってましたね。休み時間にレースが覗けちゃっちゃり下校途中に競走馬が歩いてたり今考えると凄い環境ですよね笑 でも競走馬のスタイルの良さと言うか何て言うんですかね?大きさもですが兎に角カッコいい!!て思ったのを覚えてますね
記 学生時代は部活等は何をしていたんですか?
15 小学校の時に野球をやっていたんですけど当時どう考えても自分よりも身体が小さかったり運動神経が劣るのが何人かレギュラーで出ていて同じ様な境遇のと愚痴言いながらやってて、そしたら町内のソフトボールの監督の人が文句言いに行っちゃってね汗 よくよく聞いたら遠征とかで親が車出してくれてる子とかが試合に出して貰えるみたいで子供ながらにいろいろ察しちゃってね。。。大人って、ふ〜〜んてひねくれた子供が出来上がったよね笑
記 それは良くない教育ですよね、、、でもよくある話なんですかね?酷いです
15 野球の前にスイミングも通ってて今でもあるのかな?群馬のスクールでアスリートも何人も輩出してるみたいでその時はそういうの全くなかったから続けてれば良かったのかもだけど一通り泳げる様になったら満足して辞めちゃったんですよね
そして中学になって自分の実力で評価されて何かやりたくなって野球だと顔合わせたくない奴とも一緒にならなきゃだから嫌でバレーボールを始めるんですよ
高崎でも優勝したりでそれなりに結果も出せて頑張ってましたね
記 野球の時の思いがある分打ち込めたという事なんでしょうかね?それでも凄いですね!
15 野球の時の同じ境遇の奴も勿論誘って一緒に頑張ってたんだけどそいつも楽しそうにやってましたね!そして高校は運よくスカウトされて推薦で入学!まぁ受験したくなかっただけですけどね、 目指せ春高バレーなんて思っていた時期が僅かにありました。。。。
記 僅かだったんですか!?
15 笑っちゃうのがスカウトしてくれた名将顧問が自分が入学した年に移動になってしまって何の為にこの学校に入ったんだか。。。。?てことで半分位1年生辞めちゃって、、自分は隣の女バレのブルマ見たさに辞めずに頑張ったんですけどね笑
記 また大人に振り回されてしまったんですね!
15 う〜〜ん、コレばっかりは〜とも思いますけどやっぱり青春が奪われたのは事実ですし公認の顧問はド素人でホントなんだかな〜てのはありましたね
その反動か高校時代はバンドもやってて部活と平行で楽器の練習が出来なかったので唄ってました♪バイトも学校に行く前に打ちっぱなしの球拾いとかしてましたね
記 なかなかハードな高校生活だったんですね、でも充実してて楽しそうです
15 美容師になろうとしてたのは中学くらいの頃からで親には言っていたみたいですね。そしたら折角専門に行くなら都内の方に行った方がいい!て言うんでお言葉に甘えて山野に行かせて頂きました
記 山野美容学校って言ったら王道の学校ですからね、入るのも難しそうですけど?
15 バイトやら部活やらバンドやらやってた割に欠席はなかったんで推薦ですんなりでしたね。早くに決まり過ぎて部活も終わってやる事なかったんでその間は当時駅の喫茶店でバイトしてました
記 そして上京して美容師としての階段を上って行くんですね
15 そうそう試験に受かって来年入学だ!なんて思っていたらその年に創始者の
山野愛子先生が亡くなってしまって入った年はかなりバタバタしてたんだと思いますよ!
記 お会い出来なかったんですね、、、
15 一度会いたかったですね、歴史に名を残す方はやはり対峙すると分かりますよ
そういう雰囲気だけでも味わいたかったです
当時の美容学校は1年制でその後にインターンで1年それから国試だったので
今とはかなりシステムが違いますね
男子も少ないから女子に圧倒されつつ一年のカリキュラムをこなして気付いたら卒業、
学生気分どころじゃなかったけどその分早く現場に立てるのは良かったです
記 就職はスムーズだったんですか?
15 あまり美容室詳しくはなかったので先生にお任せして紹介して貰った所に入りました
結構競争率高かったみたいですけど無事に入れましたね
技術はしっかり身につけたかったのでその辺優先で希望は出してましたから
記 技術職ですからそこは優先したい所ですからね!いいサロンに入れて良かったですね
15 まぁ正直どこのサロンに入った所で最終的には自分がどれだけの美容師になれるかですからね
有名サロンに入って満足したりしても逆にレベル高いライバルが多いのもスタイリストになってからキツかったりもしますし、そこにやり甲斐とモチベがあれば勿論その方が人によってはいい場合もあると思いますけどそこまで競争心は正直ないので笑
記 入ったサロンで左右される部分もかなりありそうな業界みたいなイメージはありますね
自分も周りでも気付いたら美容師辞めてる人多かったりしますからね
15 その点当時5店舗くらいあって全部のサロンを半年くらいかけて働かせて貰ってそこから所属が決まるんですけど同じ会社でも全然雰囲気や客層違いましたから
でも当時麻布にもう1つお店を作っていて何故か既にそこの配属になっていたので
希望も何もなかったんですけどね
記 麻布ですか?一等地で働けるのはこれまたいい経験になったのでは?
15 そうなんですよね、でも地下鉄の出口の近くだったのに工事がなかなか進まなくて逆に不便な所だったんで集客は大変でした
スタイリストも麻布店で募集を掛けて来た人達だったから技術がバラバラで
自分はやっぱり会社の技術が学びたいというのと会社の技術が高いっていうのも
他のスタイリストの仕事を見て分かったし学べたのは良かったです
それでまだぺーぺーだった自分はここで働いていても勉強出来ないと思って
オーナーに申し出て異動するんですよ
記 1年目でそういった決断が出来るのも凄いですね
逆に技術が身に付いてないからこそなのかもしれないですが
15 一番はそこですよね!勿論海外のサロンから日本に来てみたいな人もいたし
そこそこの人もいたんですけど最終的にはオーナーの仕事を身につけたかったし
でも既に引退していたのでより近い人、自分の直ぐ上の人に学んでも全然遠いですから
当時まだ何人かだけオーナーがお客さんやってたりすると自ら志願してヘルプについたりしてね
そういうのが良かったのか気に入られてはいましたね
新しい事をするのが好きな人だったのでいちいち声を掛けて貰ってくっ付いていました
同期でも何年か上の先輩でもこういった扱いはされてなかったのでホントに有難かったです
記 破格の扱いだったんですね
15 でも自分には技術がないので先ずは早くスタイリストデビューをしないとなので
毎日レッスンをして当時は頑張ってましたね
オーナーが一番古い先輩を紹介してくれてその人から技術を学んでほぼマンツーで教えて貰いました
最後なんてスタイリストになるのにひと月毎日モデルを連れて来て見て貰って
ゴリ押しでスタイリストデビューに漕ぎ着けましたから笑
技術もデビューしてからだって磨いていかなきゃだしで入れるお客さんからどんどん経験積んで頑張れ!て言われてね
記 アシスタント時代ってホントに朝から晩まで営業した後に自分のレッスンで大変だって言いますからね
毎日モデルを連れてくるのだって大変そうです
15 当時は井の頭線の浜田山っていう駅のサロンで働いていたんですけど
吉祥寺やら渋谷やら、下北やらでモデハンという名のナンパに励んでましたよ笑
なるべく学生さんをターゲットにそこからまた友達紹介して貰ったりで数増やしていって〜ですね
記 晴れてスタイリストになれて良かったですね
15 そしたらそれを聞いたオーナーがカラーの専門店を作るから手伝ってくれ!て言ってくるんです笑
今でこそカラー専門店なんてそこらにあるけど20年以上前に言って来て更に当時はパブリックのものを使って染める!!ていうのを売りに千葉の市川でスタートするんです
完全に元祖ですね!
記 そこからカラーの専門店との出会いになるんですね
当時は画期的だったんでしょうね!2000年くらいですよね
15 そうですね、でもデビューしたものの正直浜田山のお店は新規が少なくて
なかなかお客さんに入れなかったので早く自分の技術を試したいっていう欲に駆られていたのでたくさんのお客さんをさせて頂ける機会はホントに嬉しかったですね
ホントにカラーだけでやってたので(今はカットや縮毛矯正もやっている)
それでも自分がやったお客さんがキレイになって笑顔で帰っていくのが嬉しくて嬉しくて
記 一人前の美容師になったって感じでしょうか?
15 ぃや、そんな事はなくてただ仕事には飢えてましたから数をこなすというのは嬉しかったですね!先述の先輩のサロンは個人経営だったから一日の来店数何てたかが知れてますから。。。
やはり身につけた技術を先ずは提供してどれだけ認めて貰えるかの世界ですからね
カラーだけとはいえ一日に何十人も施術させて貰えるのは経験知的に大きいです
記 仕事に飢えているっていいですね!確かにやったお客様にどう評価されるかは大事ですしそこからお店が大きくなるかどうかの分かれ道ですからね
15 カラーの専門店てなるとカットとか他の技術は出来ないから不利だと思っていたんですけど逆に考えると来店するお客さんのカットは全て他のサロンのカットな訳ですよ!これどういう意味かと言うとめっちゃ勉強になるんです
自分のサロンでカットしていると自分のサロンのカットしか見れない、せいぜい新規のお客様の時くらい
でも全員が他店のカットだと上手いなぁ〜と思うカットもあれば酷いカットもある
いいと思ったカットのお客さんはカラーの施術で塗っている間にカットラインや展開図を見れるから盗む!!そういう意味では勉強になりました
記 正にマイナスをプラスに変換して仕事をなさっていたんですね!
こういう考えを持って自分に跳ね返せる人って凄いと思います
15 今でこそお店でカットもしていますが当時の勉強があったからこそ他のサロンのカットを色々見ずにスタイリストやってるよりは然然良かったですね
当時もアシスタントとかでカットや他の技術も身につけたいからって辞めていく子が結構いてちょっと悲しかったですけどまぁ人それどれなのかなぁと、、、
自分の時代はブローの時代なんだけどアイロンでのスタイリングが出て来て
スタイリングにしても便利だしカールも作れるしで当時からカラーの需要が今後も伸びてくるって分かってたからパーマをかけての髪の負担を考えればアイロンでスタイリング出来ればその分の負担をカラーに掛けられますからね
案の定今ではパーマの比率はかなり少ないと思いますしそれこそ年配のお客さんの
パーマですら少なくなってますから!
記 先見の明ですかね?時代を読み解く事は何にせよ大事ですよね
今は昔では考えられないくらい職業的に打ち沈みが激しいですから今後5年10年続く職業と消える職業と学校でも授業があるくらいみたいですから
15 まぁオーナーが新しいもの好きで色んな事に興味を持って実際に動く人で
それこそカラーの専門店が今ではあちこちにありますからね
当時FC展開をして全国に出店して何て構想もあってそしたら大幹部になる予定でしたが上手くはいかないもので途中頓挫しましたが毎月大阪に教えにいっていた時期もありました
記 初めての事業は魅力がありますがやはり障害というかリスクもありますし
浸透するまでの時間も掛かりますからね
15 でも元祖なのは間違いないので何処にも負けたくはないですね!
自分は仕事を通じてカラーリング魅力に取り憑かれて可能性を見出して
専門店だからこそ色んなカラーを提供したいし専門店と謳っている割にブリーチ出来ません、マニキュア出来ませんとかは言いたくないし沢山の人にキレイに&可愛くなって欲しいと思っています
あ、あと若く!!これ大事笑
記 ここまでの熱意があるとお客さんもお願いしたくなりますね
15 そういえば市川で働いている時に定期的には来ているけど全然しゃべった事ない
お年寄りのお客さまがある時口を開いて
「おたくは大したもんだね!何年かお世話になっているけどいつもしっかりした仕事をしてくれる、これからもお願いね」
その人には白髪染めしかしていないからそんなんで何が伝わるんだろ!?
初めてしゃべったと思ったら、まぁ褒められるのは嬉しいけども
どこら辺が評価されてるのか分からないから聞いてみたんですよ
記 それは確かに気になりますね
15 そしたら目を瞑りながらこう続けたんです
「私くらいになれば櫛を通せば大体その人がどれくらいの技量かは分かるんだよ!
おたくは若いから知らないと思うけど昔は石渡潔先生の所に通っていてね
そこのお店は先生を始め皆さん素晴らしい技術を提供されていて。。。」
ハッ!?!?
お客さんが言っている石渡先生というのは実はオーナーの師匠で
男性美容師のはしりで市川は先生のお膝元、オーナーもこの地で修業時代を過ごしているのは聞いた事がある
実は石渡先生の事を知っているのとオーナーが弟子で働いていた事も伝えた!そうすると
「あら、そんあことがあるもんかねぇ、
先生にお願いしていたのが忙しくなってからは松井さんが担当してくれていの
よ!まさかそんな話が出来るとはね、通りで昔の事を思い出す訳だ」
そして更に松井というのは正しくウチのオーナー!
何十年の時を経てオーナーの師匠とオーナーが担当していたお客さまを知らずにさせて頂いて褒めて貰った。。。。
こんなに嬉しい事はないよね
記 お話を聞いていて震えてしまっているんですが。。。。
15 その時は自分も震えが止まらなかったですよ!でもホントに嬉しかった!!
自分がやって褒めるに値しなければそんなこと言って貰えなかった訳だし
美容師やって来て良かったな〜って
記 それこそ会社の技術、オーナーの技術の拘って身につけた甲斐がありましたね
何年経とうが身体がというか頭皮が覚えているんですかね?感覚的なものを
お互いビックリですよね?櫛を通せば分かるって凄いです
15 早速オーナーにもその話を伝えたんだけどその時の顔も忘れられないな〜
昔を懐かしむ顔と弟子の成長を喜ぶ眼差し。。。
我がまま言ってた分少しはお返しが出来たのかな?って思いましたね
記 そんな話聞いたらそれは嬉しいでしょうね
15 こういう経験てなかなかないけど辛い時にはどれだけ自分を励ます材料になるか!そうやって頑張って来て続けられている部分が大きいですね
まだまだもう少し美容師ぶってみようと思ってます
需要があるうちは。。。。
記 まだまだお話しすれば色んなエピソードが聞ける様ですが
今回はそろそろお時間なのでここまでに致します
本日は貴重なお時間とお話ありがとうございました
25周年改めておめでとうございます
今後の活躍も応援しています
頑張って下さい!
15 こちらこそありがとうございました
需要がある話かどうかは別として懐かしい思い出話も出来て良かったです
なんか書き出したら色々ネタはあるけど長過ぎても疲れるし
そもそもここまで読んでる人もいるのか?て感じなので
お久しぶりのブログ記事ありがとうございました
ストロベリーロックスもう少し頑張ります!!
是非ご利用お待ちしています
目指せ26周年!!笑
記 はじめまして、本日は美容業25年を迎えたという事でいろいろお話を伺っていきたいと思いますので宜しくお願いします
15 わざわざありがとうございます!なんかそんなに長くやっているつもりはないんですけど気付けばあっという間ですね。こちらこそ宜しくお願いします
記 それでは先ず初めにざっと生い立ちからどうでしょう?と思うのですが、美容師になろうとしたきっかけなんかも伺えると。。。
15 そんなに遡るんですか。。。大して面白くもないのに更に掘るんですね笑 生まれは群馬の高崎で当時競馬場が合ったその真向かいにある学校に通ってましたね。休み時間にレースが覗けちゃっちゃり下校途中に競走馬が歩いてたり今考えると凄い環境ですよね笑 でも競走馬のスタイルの良さと言うか何て言うんですかね?大きさもですが兎に角カッコいい!!て思ったのを覚えてますね
記 学生時代は部活等は何をしていたんですか?
15 小学校の時に野球をやっていたんですけど当時どう考えても自分よりも身体が小さかったり運動神経が劣るのが何人かレギュラーで出ていて同じ様な境遇のと愚痴言いながらやってて、そしたら町内のソフトボールの監督の人が文句言いに行っちゃってね汗 よくよく聞いたら遠征とかで親が車出してくれてる子とかが試合に出して貰えるみたいで子供ながらにいろいろ察しちゃってね。。。大人って、ふ〜〜んてひねくれた子供が出来上がったよね笑
記 それは良くない教育ですよね、、、でもよくある話なんですかね?酷いです
15 野球の前にスイミングも通ってて今でもあるのかな?群馬のスクールでアスリートも何人も輩出してるみたいでその時はそういうの全くなかったから続けてれば良かったのかもだけど一通り泳げる様になったら満足して辞めちゃったんですよね
そして中学になって自分の実力で評価されて何かやりたくなって野球だと顔合わせたくない奴とも一緒にならなきゃだから嫌でバレーボールを始めるんですよ
高崎でも優勝したりでそれなりに結果も出せて頑張ってましたね
記 野球の時の思いがある分打ち込めたという事なんでしょうかね?それでも凄いですね!
15 野球の時の同じ境遇の奴も勿論誘って一緒に頑張ってたんだけどそいつも楽しそうにやってましたね!そして高校は運よくスカウトされて推薦で入学!まぁ受験したくなかっただけですけどね、 目指せ春高バレーなんて思っていた時期が僅かにありました。。。。
記 僅かだったんですか!?
15 笑っちゃうのがスカウトしてくれた名将顧問が自分が入学した年に移動になってしまって何の為にこの学校に入ったんだか。。。。?てことで半分位1年生辞めちゃって、、自分は隣の女バレのブルマ見たさに辞めずに頑張ったんですけどね笑
記 また大人に振り回されてしまったんですね!
15 う〜〜ん、コレばっかりは〜とも思いますけどやっぱり青春が奪われたのは事実ですし公認の顧問はド素人でホントなんだかな〜てのはありましたね
その反動か高校時代はバンドもやってて部活と平行で楽器の練習が出来なかったので唄ってました♪バイトも学校に行く前に打ちっぱなしの球拾いとかしてましたね
記 なかなかハードな高校生活だったんですね、でも充実してて楽しそうです
15 美容師になろうとしてたのは中学くらいの頃からで親には言っていたみたいですね。そしたら折角専門に行くなら都内の方に行った方がいい!て言うんでお言葉に甘えて山野に行かせて頂きました
記 山野美容学校って言ったら王道の学校ですからね、入るのも難しそうですけど?
15 バイトやら部活やらバンドやらやってた割に欠席はなかったんで推薦ですんなりでしたね。早くに決まり過ぎて部活も終わってやる事なかったんでその間は当時駅の喫茶店でバイトしてました
記 そして上京して美容師としての階段を上って行くんですね
15 そうそう試験に受かって来年入学だ!なんて思っていたらその年に創始者の
山野愛子先生が亡くなってしまって入った年はかなりバタバタしてたんだと思いますよ!
記 お会い出来なかったんですね、、、
15 一度会いたかったですね、歴史に名を残す方はやはり対峙すると分かりますよ
そういう雰囲気だけでも味わいたかったです
当時の美容学校は1年制でその後にインターンで1年それから国試だったので
今とはかなりシステムが違いますね
男子も少ないから女子に圧倒されつつ一年のカリキュラムをこなして気付いたら卒業、
学生気分どころじゃなかったけどその分早く現場に立てるのは良かったです
記 就職はスムーズだったんですか?
15 あまり美容室詳しくはなかったので先生にお任せして紹介して貰った所に入りました
結構競争率高かったみたいですけど無事に入れましたね
技術はしっかり身につけたかったのでその辺優先で希望は出してましたから
記 技術職ですからそこは優先したい所ですからね!いいサロンに入れて良かったですね
15 まぁ正直どこのサロンに入った所で最終的には自分がどれだけの美容師になれるかですからね
有名サロンに入って満足したりしても逆にレベル高いライバルが多いのもスタイリストになってからキツかったりもしますし、そこにやり甲斐とモチベがあれば勿論その方が人によってはいい場合もあると思いますけどそこまで競争心は正直ないので笑
記 入ったサロンで左右される部分もかなりありそうな業界みたいなイメージはありますね
自分も周りでも気付いたら美容師辞めてる人多かったりしますからね
15 その点当時5店舗くらいあって全部のサロンを半年くらいかけて働かせて貰ってそこから所属が決まるんですけど同じ会社でも全然雰囲気や客層違いましたから
でも当時麻布にもう1つお店を作っていて何故か既にそこの配属になっていたので
希望も何もなかったんですけどね
記 麻布ですか?一等地で働けるのはこれまたいい経験になったのでは?
15 そうなんですよね、でも地下鉄の出口の近くだったのに工事がなかなか進まなくて逆に不便な所だったんで集客は大変でした
スタイリストも麻布店で募集を掛けて来た人達だったから技術がバラバラで
自分はやっぱり会社の技術が学びたいというのと会社の技術が高いっていうのも
他のスタイリストの仕事を見て分かったし学べたのは良かったです
それでまだぺーぺーだった自分はここで働いていても勉強出来ないと思って
オーナーに申し出て異動するんですよ
記 1年目でそういった決断が出来るのも凄いですね
逆に技術が身に付いてないからこそなのかもしれないですが
15 一番はそこですよね!勿論海外のサロンから日本に来てみたいな人もいたし
そこそこの人もいたんですけど最終的にはオーナーの仕事を身につけたかったし
でも既に引退していたのでより近い人、自分の直ぐ上の人に学んでも全然遠いですから
当時まだ何人かだけオーナーがお客さんやってたりすると自ら志願してヘルプについたりしてね
そういうのが良かったのか気に入られてはいましたね
新しい事をするのが好きな人だったのでいちいち声を掛けて貰ってくっ付いていました
同期でも何年か上の先輩でもこういった扱いはされてなかったのでホントに有難かったです
記 破格の扱いだったんですね
15 でも自分には技術がないので先ずは早くスタイリストデビューをしないとなので
毎日レッスンをして当時は頑張ってましたね
オーナーが一番古い先輩を紹介してくれてその人から技術を学んでほぼマンツーで教えて貰いました
最後なんてスタイリストになるのにひと月毎日モデルを連れて来て見て貰って
ゴリ押しでスタイリストデビューに漕ぎ着けましたから笑
技術もデビューしてからだって磨いていかなきゃだしで入れるお客さんからどんどん経験積んで頑張れ!て言われてね
記 アシスタント時代ってホントに朝から晩まで営業した後に自分のレッスンで大変だって言いますからね
毎日モデルを連れてくるのだって大変そうです
15 当時は井の頭線の浜田山っていう駅のサロンで働いていたんですけど
吉祥寺やら渋谷やら、下北やらでモデハンという名のナンパに励んでましたよ笑
なるべく学生さんをターゲットにそこからまた友達紹介して貰ったりで数増やしていって〜ですね
記 晴れてスタイリストになれて良かったですね
15 そしたらそれを聞いたオーナーがカラーの専門店を作るから手伝ってくれ!て言ってくるんです笑
今でこそカラー専門店なんてそこらにあるけど20年以上前に言って来て更に当時はパブリックのものを使って染める!!ていうのを売りに千葉の市川でスタートするんです
完全に元祖ですね!
記 そこからカラーの専門店との出会いになるんですね
当時は画期的だったんでしょうね!2000年くらいですよね
15 そうですね、でもデビューしたものの正直浜田山のお店は新規が少なくて
なかなかお客さんに入れなかったので早く自分の技術を試したいっていう欲に駆られていたのでたくさんのお客さんをさせて頂ける機会はホントに嬉しかったですね
ホントにカラーだけでやってたので(今はカットや縮毛矯正もやっている)
それでも自分がやったお客さんがキレイになって笑顔で帰っていくのが嬉しくて嬉しくて
記 一人前の美容師になったって感じでしょうか?
15 ぃや、そんな事はなくてただ仕事には飢えてましたから数をこなすというのは嬉しかったですね!先述の先輩のサロンは個人経営だったから一日の来店数何てたかが知れてますから。。。
やはり身につけた技術を先ずは提供してどれだけ認めて貰えるかの世界ですからね
カラーだけとはいえ一日に何十人も施術させて貰えるのは経験知的に大きいです
記 仕事に飢えているっていいですね!確かにやったお客様にどう評価されるかは大事ですしそこからお店が大きくなるかどうかの分かれ道ですからね
15 カラーの専門店てなるとカットとか他の技術は出来ないから不利だと思っていたんですけど逆に考えると来店するお客さんのカットは全て他のサロンのカットな訳ですよ!これどういう意味かと言うとめっちゃ勉強になるんです
自分のサロンでカットしていると自分のサロンのカットしか見れない、せいぜい新規のお客様の時くらい
でも全員が他店のカットだと上手いなぁ〜と思うカットもあれば酷いカットもある
いいと思ったカットのお客さんはカラーの施術で塗っている間にカットラインや展開図を見れるから盗む!!そういう意味では勉強になりました
記 正にマイナスをプラスに変換して仕事をなさっていたんですね!
こういう考えを持って自分に跳ね返せる人って凄いと思います
15 今でこそお店でカットもしていますが当時の勉強があったからこそ他のサロンのカットを色々見ずにスタイリストやってるよりは然然良かったですね
当時もアシスタントとかでカットや他の技術も身につけたいからって辞めていく子が結構いてちょっと悲しかったですけどまぁ人それどれなのかなぁと、、、
自分の時代はブローの時代なんだけどアイロンでのスタイリングが出て来て
スタイリングにしても便利だしカールも作れるしで当時からカラーの需要が今後も伸びてくるって分かってたからパーマをかけての髪の負担を考えればアイロンでスタイリング出来ればその分の負担をカラーに掛けられますからね
案の定今ではパーマの比率はかなり少ないと思いますしそれこそ年配のお客さんの
パーマですら少なくなってますから!
記 先見の明ですかね?時代を読み解く事は何にせよ大事ですよね
今は昔では考えられないくらい職業的に打ち沈みが激しいですから今後5年10年続く職業と消える職業と学校でも授業があるくらいみたいですから
15 まぁオーナーが新しいもの好きで色んな事に興味を持って実際に動く人で
それこそカラーの専門店が今ではあちこちにありますからね
当時FC展開をして全国に出店して何て構想もあってそしたら大幹部になる予定でしたが上手くはいかないもので途中頓挫しましたが毎月大阪に教えにいっていた時期もありました
記 初めての事業は魅力がありますがやはり障害というかリスクもありますし
浸透するまでの時間も掛かりますからね
15 でも元祖なのは間違いないので何処にも負けたくはないですね!
自分は仕事を通じてカラーリング魅力に取り憑かれて可能性を見出して
専門店だからこそ色んなカラーを提供したいし専門店と謳っている割にブリーチ出来ません、マニキュア出来ませんとかは言いたくないし沢山の人にキレイに&可愛くなって欲しいと思っています
あ、あと若く!!これ大事笑
記 ここまでの熱意があるとお客さんもお願いしたくなりますね
15 そういえば市川で働いている時に定期的には来ているけど全然しゃべった事ない
お年寄りのお客さまがある時口を開いて
「おたくは大したもんだね!何年かお世話になっているけどいつもしっかりした仕事をしてくれる、これからもお願いね」
その人には白髪染めしかしていないからそんなんで何が伝わるんだろ!?
初めてしゃべったと思ったら、まぁ褒められるのは嬉しいけども
どこら辺が評価されてるのか分からないから聞いてみたんですよ
記 それは確かに気になりますね
15 そしたら目を瞑りながらこう続けたんです
「私くらいになれば櫛を通せば大体その人がどれくらいの技量かは分かるんだよ!
おたくは若いから知らないと思うけど昔は石渡潔先生の所に通っていてね
そこのお店は先生を始め皆さん素晴らしい技術を提供されていて。。。」
ハッ!?!?
お客さんが言っている石渡先生というのは実はオーナーの師匠で
男性美容師のはしりで市川は先生のお膝元、オーナーもこの地で修業時代を過ごしているのは聞いた事がある
実は石渡先生の事を知っているのとオーナーが弟子で働いていた事も伝えた!そうすると
「あら、そんあことがあるもんかねぇ、
先生にお願いしていたのが忙しくなってからは松井さんが担当してくれていの
よ!まさかそんな話が出来るとはね、通りで昔の事を思い出す訳だ」
そして更に松井というのは正しくウチのオーナー!
何十年の時を経てオーナーの師匠とオーナーが担当していたお客さまを知らずにさせて頂いて褒めて貰った。。。。
こんなに嬉しい事はないよね
記 お話を聞いていて震えてしまっているんですが。。。。
15 その時は自分も震えが止まらなかったですよ!でもホントに嬉しかった!!
自分がやって褒めるに値しなければそんなこと言って貰えなかった訳だし
美容師やって来て良かったな〜って
記 それこそ会社の技術、オーナーの技術の拘って身につけた甲斐がありましたね
何年経とうが身体がというか頭皮が覚えているんですかね?感覚的なものを
お互いビックリですよね?櫛を通せば分かるって凄いです
15 早速オーナーにもその話を伝えたんだけどその時の顔も忘れられないな〜
昔を懐かしむ顔と弟子の成長を喜ぶ眼差し。。。
我がまま言ってた分少しはお返しが出来たのかな?って思いましたね
記 そんな話聞いたらそれは嬉しいでしょうね
15 こういう経験てなかなかないけど辛い時にはどれだけ自分を励ます材料になるか!そうやって頑張って来て続けられている部分が大きいですね
まだまだもう少し美容師ぶってみようと思ってます
需要があるうちは。。。。
記 まだまだお話しすれば色んなエピソードが聞ける様ですが
今回はそろそろお時間なのでここまでに致します
本日は貴重なお時間とお話ありがとうございました
25周年改めておめでとうございます
今後の活躍も応援しています
頑張って下さい!
15 こちらこそありがとうございました
需要がある話かどうかは別として懐かしい思い出話も出来て良かったです
なんか書き出したら色々ネタはあるけど長過ぎても疲れるし
そもそもここまで読んでる人もいるのか?て感じなので
お久しぶりのブログ記事ありがとうございました
ストロベリーロックスもう少し頑張ります!!
是非ご利用お待ちしています
目指せ26周年!!笑