三内丸山は縄文時代前期から中期の遺跡でしたが、平出は中期から後期そして弥生、古墳、平安時代へと続く遺跡。

縄文弥生古墳平安と時代ごとの住居が復元されています。

縄文、弥生と炉が住居の中央にあったのに対し、平安時代には竈(かまど)が作られていたりと変化の様子が見られます。

諏訪湖の周辺は縄文遺跡が多く、平出は住居跡からたくさんの土器が発掘されています。

住居の入口には埋甕(うめがめ)があり、胎盤や亡くなった赤ちゃんを埋葬した説があるそうです。何で家の中に?と思ったのですが…

奈良時代の胞衣(えな)壺は胎盤・臍帯・卵膜を入れた壺のことらしいんですが、嬰児の守護霊や分身のようなものとみなされ神様に捧げることで子供が健康に育つように祈ったとのこと。

その後も日本ではへその緒を保管する文化が残っていますが、そんなに昔からだったのか…と驚きです。

実際に発掘されたものから骨や胎盤が確認されたのではなく中は土だったようですが、民俗学の例からの推測らしい。

1万年以上続いた縄文時代は何も無いところから、自然の恵を利用して色んなものを生み出していて本当に知れば知るほどもっと知りたくなる時代です。

長野の地は時代と共に変化しますが、変化を受け入れていった寛容さのある当時の日本人の性質がそこにあった気がします。

平出は泉の湧き水に恵まれ、栗やくるみの穀物に支えられ令和の時代まで人の住む定着の場となっています。

平出博物館までの道だったかな?粘土質の土がむき出しになっているとこがあって、ここ辺りから粘土を採取してたのかな…とか思ったり。博物館で土器たちを堪能し、ガイダンス棟で勾玉キットを購入。

気分は縄文人で勾玉を作るべく石を削りました。穴は最初から開けてくれています。