松坂城は1588年に蒲生氏郷が築城(氏郷32歳)。
投与部位の痛みあり。見た目は赤みも腫れもなし。
体温は36℃台で経過中。時々頭痛あり。
氏郷は13歳で信長の人質として岐阜城に送られ小姓として仕えます。信長の元で14歳で元服。
小姓の教育係の稲葉一鉄から「行く末は100万の将」とも言われ、信長にも目をかけられていた様です。
21時間後 肩周りの重だるさ増す。頭痛も頻回に。体温37.1℃に上昇。予定があるので、カロナール(200)1錠を飲んでおくことにする。
南伊勢の北畠氏討伐で初陣。直後に信長の娘の冬姫を娶って故郷の近江日野へ戻りました。
1582年 本能寺の変後は安土にいた信長の一族を日野に匿い、その後は秀吉に従います。
カロナール効果かその後は問題なく予定をこなす。
1584年 秀吉から南伊勢12万石を与えられ松ヶ島城に入城。松坂城築城に取り掛かります。
31時間後 時々頭痛あり。
築城と同時に城下町の整備も行います。
33時間後 頭痛頻度増す。肩周りの重だるさも増強。
翌日は仕事なので、悠長に副作用と向き合ってる余裕なし。カロナール無いのでロキソニン内服、就寝。朝まで覚醒せず。
信長の元で町づくりを見てきた氏郷は楽市楽座を推進、近江日野や伊勢大湊から有力な商人を誘致します。
しかし、2年後の1590年 奥州仕置で会津を没収された政宗にかわり42万石で会津に転封。1年余りで92万石へ加増されています。
39時間後 何となく注射部位側の脇の下の違和感あり。
痛いとか腫れてる感じはなし。仕事中も特に気になる症状なし。
会津でも城の大改修と城下町の整備を行い、会津発展の基礎を造ったといわれます。
家臣も大切にし、強い軍を持っていた氏郷は朝鮮(文禄の役)にも出征しましたが、病を発症しており、1593年会津に戻ります。帰国後も病状は進行、40歳の若さで亡くなります。直腸癌、肝臓癌か肝硬変らしい症状がみられていたみたいです。
投与2日後には脇の下の違和感も消失。カロナール、ロキソニンで副作用症状は抑えられるかも。5回目…