多賀城は神亀元年(724年)大宰府と共に平城京の鎮守府として創建されました。

天智2年(663年)朝鮮半島での白村江の戦いで大和政権と懇意にしていた百済が新羅と唐の連合軍に敗れ、さらに新羅はその後唐を退け高句麗を滅ぼし朝鮮を統一します。

白村江の戦いに参戦していた中大兄皇子(後の天智天皇)は大化の改新を経て673年に天皇に即位。人民把握のため戸籍制度も導入します。


大和政権はまだ国家というより地方自治程度の政府でしたので、早急に日本全体を天皇中心の律令国家として新羅からの侵略を防ごうとしました。

この頃、日本がいかに古くから続く天皇の国であるかを知らしめるための歴史が必要になります。海外向けにも本ができました。

もちろん国内でも大和朝廷の権威を顕すためにも神代から続く天皇のお話が必要です。そのために各地の言い伝えや武勇伝などを集めます。

大化の改新で中大兄皇子が戦ったのは蘇我入鹿(いるか)。入鹿の父は蘇我蝦夷(えみし)。蝦夷は入鹿の暗殺後に自邸に放火し自殺したとされていますが東北の人を蝦夷というのは果たして…
多賀城は大和政権による東北支配の拠点であり、対蝦夷の軍事拠点でもありました。蝦夷は『まつろわぬ民』とも呼ばれますが、802年の蝦夷族長のアテルイ(阿弖流為)が処刑されることで大和政権の蝦夷討伐は終了します。
 大人になって小さい頃にただ暗記した歴史の年号や人名をこんなにワクワクドキドキしながら調べることになろうとは。
まだまだ歴史散歩は続きそうです。